hhry (1)
「獅子王」東京国立博物館 蔵

今回はこういうお題でいきます。自分は刀剣を鑑賞する趣味が
ありまして、当ブログでも「刀剣シリーズ」というのを書いて
るんですが、これはどちらかというと地味な話なので、
興味のない方はスルーされてください。

さて、みなさんは「獅子王」という刀について聞かれたことが
あるでしょうか。例えば、源頼光が酒吞童子を斬ったとされる
「童子切安綱」などは有名ですけど、これはあんまり知られて
ないんじゃないかと思います。この刀の伝説には、二人の武人、
1匹の妖怪、そして一人の女妖が登場します。

どっから話していきましょうか。まず「獅子王」そのものについて。
これは現存する刀で、国の重要文化財です。平安時代末期の
大和の国の刀工作と見られており、刃長二尺五寸五分(約77cm)
やや小ぶりな刀ですが、元は長かったのが、研ぎ削られて
短くなったという説もあります。作者は不詳。

坂上田村麻呂
hhry (3)

次に、坂上田村麻呂の話をしていきたいと思います。
この人物はご存知でしょう。平安時代の武官で、桓武天皇の時代に
征夷大将軍を2度務め、蝦夷征伐をしたことで有名ですね。
田村麻呂については、「田村語り」と呼ばれる説話伝承が
各地に残ってるんですが、これがじつに混乱をきわめていまして。

できた場所や、伝わった時代によって内容がバラバラなんです。
ですから、ここから書く話には異説があります。そのことは
ご承知おきください。さて、次に出てくるのが女妖、鈴鹿御前
(すずかごぜん)です。伊勢国と近江国の境にある鈴鹿山に
住んでいたとされる伝説上の女性で、2つの顔を持っています。

田村麻呂の佩刀として有名な「ソハヤノツルギ」
hhry (7)

一つは、天より使わされた女神としての顔。もう一つは、
別名、立烏帽子(たてえぼし)という名の悪鬼、女盗賊としての
ものです。第六天魔王の娘とも言われます。正と邪の2面性が
あるんですね。で、前述のように、ここから話がごちゃごちゃに
なるんですが、大きく3つに分けられるかなと思います。

① 鈴鹿御前こと盗賊立烏帽子は田村麻呂によって討伐された。
② 鈴鹿御前と立烏帽子は別人で、田村麻呂は鈴鹿御前と協力して
  女盗賊立鳥帽子を倒した。③ 鈴鹿御前は立鳥帽子なのだが、
  本当の悪人は立烏帽子の夫で、田村麻呂は立烏帽子と
  ねんごろになり、その夫の大嶽丸を倒した。

ね、わけわかんないですよね。鈴鹿御前の伝説は、平安時代末頃には
できていたと考えられますが、残っている文献ごとに内容が
違うんです。ですから、鈴鹿御前が現代の作品やゲームに登場
する場合でも、そのキャラクターはバラバラになっています。

鈴鹿山の悪鬼、鈴鹿御前、田村麻呂 これは③の説
hhry (4)

長い話なので先を急ぎましょう。ともかく、田村麻呂は鈴鹿御前から
3本の宝刀を授けられ、それをもとにして大和の国の鍛冶に
作らせたのが、獅子王です。田村麻呂の佩刀としては「ソハヤノツルギ」
が有名で、この獅子王は朝廷に献上されました。

さて、時代は下って源平争乱の少し前、近衛天皇の御世。天皇は
体が弱く病気がちでしたが、その頃、毎夜黒雲が御殿をおおい、
その中で不気味な鳴き声をあげるものがいる。そこで退治を命じ
られたのが、源氏の長者、源頼政です。頼政が先祖、源頼光から
伝わる名弓「雷上動」で雲の中心を射ると、大きなものが落ちてきた。

妖怪 鵺(ぬえ) 実際は鵺という名前ではないと思われる
hhry (2)

これが、猿の顔、狸の胴体、虎の手足を持ち、尾は蛇の妖怪、
鵺(ぬえ)です。ただし、『平家物語』によれば、この怪物の
名前は不明で、鳴き声が鵺(トラツグミと考えられる)に似ていた
と出てくるだけなんですが、後世に鵺という妖怪になってしまいました。

頼政の家来、井早太がとどめをさし、怪物は死んで、帝の病気も
すっかり癒えます。近衛帝はこの褒美として、頼政に太刀、
獅子王を与えるんですね。この後、頼政は平氏全盛の世にあって
源氏最高の従三位の位にまで昇ります。

平安時代に鵺と呼ばれていたトラツグミ
hhry (1)

ですが、76歳で以仁王の令旨を受け、平氏追討に立ち上がるものの、
宇治平等院前の宇治橋で平知盛・重衡らと戦って戦死します。
このあたりのことはご存知と思います。で、獅子王は、頼政の
子孫である但馬国竹田城城主、赤松広秀へと受け継がれましたが、

赤松が関ヶ原の戦いにおいて、鳥取城下を焼き払ったのを徳川家康に
とがめられ切腹を命じられた際、家康に没収されます。
家康はこの刀の由来を知っていたので、自分のものにはせず、
頼政の別系の子孫、土岐頼次へと下賜されることになります。

従三位 源頼政
hhry (5)

土岐家に代々伝えられた獅子王は、明治維新後に皇室に献上され、
現在は東京国立博物館に所蔵されています。やっと最後まで
説明することができました。長い話でしたね。
ただ、現存する刀は、頼政に与えられた獅子王ではないという
説を唱える研究者もいます。

さてさて、ということで、獅子王伝説を見てきましたが、
どこまでが史実で、どこまでが伝説や脚色なのか、まったく判別
できません。歴史ってこういう例が多いんです。ただ、平安末期の
特徴を備えたこの名刀が存在していることだけは
間違いのない事実です。では、今回はこのへんで。

頼政が戦死した宇治橋合戦
hhry (6)