今回はこういうお題でいきます。座敷牢とは何か? wikiによれば「監獄などの
ような犯罪者収容のための施設ではなく、単に設置者ないし利用者の私的な理由に
よって、対象を軟禁(監禁)するための施設である。大きな屋敷の一角、離れ、
土蔵などを厳重に仕切り、施錠し、収容者が外へ出る自由を奪い、外部との関係を
遮断させる仕組みとされていた」とあります。

ただ、これはどうでしょうかね。確かに江戸時代以前は長期療養できるような
精神病院(瘋癲病院)は日本にはなく、明治以降にはできたものの、その数は
少なく、やはり精神障害にかかった者が自宅で押し込められていた例はかなり
あっただろうと思います。

昭和中期頃までは、私宅監置(したくかんち)といって、自宅の
一室や物置小屋、離れなどに専用の部屋を確保して精神障害者を「監置」する
ことが法律で定められていました。悪法ですが、他に手段がなかったのも確かです。

 



これらは日本の話ですが、西洋でも事情は同じで、私的に異常者を監禁する
施設は古い時代からありました。ただし、西洋では監禁されるケースが
犯罪者である場合もありました。どういうことかというと、西洋の警察と
いうのは庶民を取り締まるためのもので、王侯貴族など、身分の高い
犯罪者を逮捕するのは難しかったからです。

その例としては、血の伯爵夫人と呼ばれたバートリ・エルジェーベトを
あげることができるでしょうか。この人物は、ハンガリーの高位の貴族で、
領地の若い娘数百人を拷問・殺害し、その血を飲んだり、血の風呂に
入ったとされます。

しかし犯行は結局発覚し、共犯の召使などは斬首刑、火刑になりましたが、
主犯であるエルジェーベト本人は、高貴な家系であるため死刑にできず、
扉と窓を漆喰で塗り塞いだチェイテ城の自身の寝室に生涯幽閉となったんです。
ですが、不衛生や運動不足などのために3年ほどで亡くなっています。
こういうケースは多々あったと考えられます。

 

バートリ・エルジェーベト



また、日本でも、封建制であったため、全国的な捜査網はなく、藩がその地方の
警察権を持っていました。ですから、そのトップである主君は、自在に臣下の
生殺与奪をする権利を持っていたんです。ですが、この主君が理不尽に殺傷など
のことを起こした場合、

「主君押込」といって重臣たちが謀って座敷牢に監禁するなどのことがありました。
これはその主君のよくないふるまいが中央に知られれば、その藩は取りつぶされる
可能性があるため、苦肉の策として用いられたのだと思われます。また、西洋では
政治犯や、国王の血筋の者で後継ぎとなれないものなども監禁されていました。

さて、座敷牢は映画や小説、怪談に登場することが多いですよね。
それらについて見ていきたいと思います。まずは牛女。現兵庫県の西宮には
屠殺施設があり、そこの従業員の家に頭が牛、体が女の子どもが生まれた。

 


これはとうてい外には出せないと考えられ、座敷牢で監禁されていた。戦争中で
あったが、この子は言葉がしゃべれるようになると、日本の敗戦を予言した。
そして西宮市は空襲にあい、牛女は座敷牢から逃げ出して焼け跡で


焼死者の遺体を食べているのが目撃された・・・こういう形で噂が広まって
いったようです。ですから、牛女の話は現在の観点では職業差別につながる
ため、表面的なこと以外はあまり詳しく語られることはないんです。

座敷牢が出てくる創作としては横溝正史の『八つ墓村』や『獄門島』。
『八つ墓村』では狂気の当主がさらってきた娘を閉じ込めましたし、
『獄門島』では、当主自身が閉じ込められていました。で、このことが
大きく犯罪の動機にかかわってきます。

これは怪談ではなく純文学ですが、島崎藤村の『夜明け前』なんかも
そうですよね。主人公は明治維新のときに狂気となり、座敷牢に
押し込められてしまいました。これは実際に藤村の父親が座敷牢に
監禁されていたことがもとになっています。

 

牛女



それから奇想小説とでもいうべき夢野久作の『ドグラ・マグラ』。一読して
推理小説のような体裁ですが、じつはそうではなく、著者の異常ともいえる
空想を開放した内容となっています。これには、精神障害者をどのように
治療すべきかみたいなテーマも含まれているんですね。

あとは『残穢』とかかな。小野不由美のホラー小説ですね。祟りの原因を
どこまでも遡って調べていくと、複雑な過去の出来事がだんだんあらわに
なっていくという内容で、その一環として座敷牢の話も出てきていました。
あとまあ、漫画も含めるとかなりの数の作品が出てきますね。

さてさて、ということで、座敷牢とは何かということについて
見てきました。日本での精神障害の歴史は、狐憑きなどの迷信と結びついて
いたり、私宅監置など、人権侵害と考えられる事例が多々あったんです。
本来、面白半分に創作で扱うようなものではないんですね。
では、今回はこのへんで。