今回はこういうお題でいきます。カテゴリは妖怪談義です。
最近の怪談は、生霊が登場するものが多くなりました。
特に、マンガになっているスピリチュアル系の怖い話によく
出てきますね。自分は生霊の話は少ないですが、
まったく書いてないわけではありません。
下図は、いつものように、江戸の妖怪絵師、鳥山石燕の
「生霊」ですが、行灯の陰に憂い顔をした若い女がいて、
幽霊と同じように足がありません。女は手紙? を持っていて、
床にある書物と内容をつき合わせているように見えます。
同じく床には、刀、枕などが置いてあります。
鳥山石燕の「生霊」
おそらくこの絵には元ネタがあるはずなんですが、残念なことに
詞書もなく、少し調べてみたもののお手上げ状態です。
当時流行の芝居なんかに、こういう筋のものがあるんでしょうか。
もしご存知の方がおられましたら、ご教示いただければ
ありがたいです。参考として、同じく石燕の「死霊」もあげておきます。
さて、日本では生霊は古くからその存在が信じられていました。
以前少し書きましたが、平安時代の『源氏物語』に、
六条御息所の生霊の話が出てきます。これはたいへん示唆的な
エピソードで、「生霊が発生するための条件」がよくわかります。
同じく石燕の「死霊」 霊は入れないとする蚊帳に平気で入っていきます
六条御息所は光源氏と恋仲になりますが、六条御息所のほうが
光源氏よりも年上で、また高い身分です。光源氏は気位の高い
六条御息所をだんだんにもてあますようになり、逢う機会が少なく
なります。そして、御息所のほうは、光源氏に恋い焦がれているものの、
自分が年上である引け目や、その身分から、光源氏への思いや、
嫉妬心を押し殺します。ここが重要なポイントです。
ある思いを無理に押し込めてしまうと、精神が分裂し、閉じ込めた
思いが生霊となって自分の体を離れていくんですね。しかも、
本人は自分が生霊を出していることを知らない。
同じく石燕の「朧車」 六条御息所の車争いの話がモデル
六条御息所の生霊は、光源氏の正妻である妊娠中の葵上のところに
現れ、悪霊退散の加持祈祷を受ける。御息所は、自分の髪や衣服から、
なぜか加持祈祷に用いられる芥子のにおいがすることに気づき、
生霊を出していることを知って恐れおののく・・・
『源氏物語』前半の名シーンですよね。ここで怖いのは、
生霊を出すのを自分で制御できないことです。この後、葵上は
娘を出産するものの急死。御息所も都を離れて病没します。でもこれ、
すべての悲劇の原因は、光源氏の色好み、浮気性のせいなんですけどね。
般若と化した六条御息所の生霊
ここまでのところで、生霊は ・ 強い感情(多くは女性の嫉妬心)を
押し殺すことで発生する ・ 本人は生霊を制御できず、生霊を
出していることも知らなかったりする このように平安時代の頃には
考えられていたことがわかります。これ、フロイト心理学における
意識と無意識の関係によく似てますよね。
さて、次に、平安末期の仏教説話集『今昔物語』をみてみましょう。
ある身分の低い男が道を歩いていると、夜なのに供も連れず一人歩き
している女に出会い、民部太夫の館まで道案内を頼まれる。館前に来ると、
門が閉ざされているのに女は消えてしまい、しばらくすると中で泣き騒ぐ
音が聞こえた。翌朝館を訪ねると、家の主人が、近江の妻の生霊が
フロイト心理学
とうとう現れたと大声で叫び、すぐに死んだという。これは現地妻という
ことなんでしょう。その妻を捨てて都へ戻ってきていた。男が、近江まで
その妻を訪ねると、妻は謁見をゆるし、確かにそういうことがあったと認め、
礼の品を与え、男をもてなした・・・つまりこの場合、 本人は生霊を
出していることを知っていた。のみならず、夫をとり殺すことが目的だった。
これも怖い話です。 ・ 生霊は意図的に出すことができ、人をとり殺す
こともできる で、この話で興味深いのは、生霊を出している本人は
都へ行ったことがないので、自分を捨てていった民部太夫の家が
わからないところです。生霊だからといって、何でもできるわけではない。
生霊を出している女
このあたりは、体外離脱体験と似ている面があります。体外離脱では、
自分の行ったことがない、知らない場所へは行けないという報告もあるんです。
また、体外離脱した体が、物理的なこと(例えばドアを開けるとか)は
できるとする意見と できないという意見の両者があり、上の話では、
門が開かないのに、女の生霊は館に入ってますね。
あとはそうですね。これも体外離脱に近いですが、死の直前、危篤状態などに
なったとき、霊魂が体を抜け出して親類縁者に会いに行くという
話もあります。自分はこのネタで「早笑のじいさん」という話を書いています。
よろしければご一読を。
それから、ドッペルゲンガー現象も、一種の生霊なのかもしれません。
もともとはドイツの伝承で、もう一人の自分に出会ってしまうと、遠からず
死に至る。日本では、小説家の芥川龍之介が、死の直前にドッペルゲンガーを
見たという話になっていますが、どこまで本当かはわかりません。
芥川は睡眠薬を多用しており、幻覚との境目はきわめてあいまいです。
さてさて、ということで、生霊について見てきました。自分の書く
怖い話で、生霊ものが少ないのは、どうしてもそこに善悪の判断や
教訓めいた内容が入ってきてしまうからで、自分は、なるべくそれは
避けたいと思ってるんです。では、今回はこのへんで。