もう30年も昔のことですが、面(おもて)神社と呼ばれる神社があったんです。
これは通称です。正式なお名前はまた別の長ったらしいものなのですが、
地元ではみな面神社と呼んでおりました。
「おりました」と過去形にしたのは、今はもうないのです。この間の大震災で
倒壊してしまいまして。これでだいたいどこの話かはおわかりでしょう。
・・・どうでしょうね、再建はなされないのではないかという気がします。
というのもご神体がこのときに流されてしまったのです、ですから。
もともと変わった由来を持つ神社でして、
ご神体はお面です、それもきわめて異国風の。
なんでも江戸の中期頃に、浜辺にうち上げられていたのを拾った漁師が、
時のお殿様に献上したということです。

始めはお城に宝物として保管されておったのですが、
次々と凶事があったため、神社を新しく開いて、そこにご神体として
祀りあげることになったのです。ですから、それほど歴史の古い御社で
あったわけではないのです。ご神体は、神道ですから仏教の秘仏のように
ご開帳されるということはありません。ですが、毎年一度の例大祭のときに
社殿の扉が開かれて、遠くから拝むことはできました。
黒々とした、異形としかいいようのないお姿でしたよ。
わたしの拙い知識では、アフリカの面に似ているように思われました。
そのような由来でしたから、社格は低かったのですが、
地域からは親しまれておりまして、さまざまな行事がありましたよ。
近くの保育園では、園児さんがこしらえたお面を奉納したり。

それと「面」ということで、地元の剣道連盟との関係も深かったのです。
ほら、剣道では防具として面を用いますから。
例大祭のときには野試合の奉納がありました。
地域の小学校のスポ小、中学校の部活動、道場の生徒さんたち
などが大勢集まり、賑やかに行われていました。
野試合、というのは野外でする試合のことです。さほど広くはない
境内でしたが、そこに砂を敷き詰めまして試合をするのです。
雨天の場合は近くの体育館を借りていましたけど。野試合もなかなか
よいものですよ。けっこうあちこちで行われているのではないですかね。
小学生などは、紅白に分かれて面に風船をつけ、
竹刀でそれを割られたら退場という団体戦もあったりします。

ああ、すみません。話がそれてしまいました。
その30年前の、中学校の剣道部であった出来事です。
剣道の経験者というのは多くないので、学校の先生が監督であっても、
未経験で剣道のことをよく知らない場合がけっこうあります。
そういうときは外部からコーチ、師範代と言えばよいのでしょうか、
を招くことが多いんです。父兄に経験者の方がおられることもありますし、
連盟にお願いして派遣していただく場合もあります。その剣道部では
長くコーチを務めておられた方がおったのですが、2年生に転校生が
ありまして、その父親が連盟の有力な方だったのです。それまでは勝敗に
あまりこだわらない、のんびりとした指導であったのですが、それが気に
入らなかったようで、裏から手をまわしてそのコーチを追い出してしまいました。

で、自分の息のかかった者をコーチとして入れたのです。
新しい指導は非常に厳しく、やめていく生徒が続出しました。
これはコーチのせいだけではありません。
その有力者の息子さんというのがなんというか、
子どもさんのことを悪くいうのも気が引けますが、剣道は強かったものの
性格に問題がありまして、転校してすぐに部員内に派閥をつくり、
自分の気に入らない者には嫌がらせをして追い出す、ということを始めたのです。
剣道は防具をつけていて他の武道よりケガが少ないとはいっても、
やはり厳しい稽古ですから、やりようによってはイジメにつながることがあります。
ほら何年かに一度くらい、そういうニュースが出たりするでしょう。武道は、
本来は自分の人格を磨くのが第一義と思うのですが、本末転倒した話ですよ。

部としては強くなり県大会にも出場するようになりましたが、部の人数は
減ってしまって、男子は団体を組めるぎりぎりになってしまいました。
・・・そんな事情があって、奉納試合の当日になったわけです。
アトラクション的な小学生の部が終わり、中学生は4校が参加し、
十数人ずつ紅白に分かれての抜き試合になりました。
公式戦ではありませんので、気楽と言えば言葉がよくないでしょうが、
勝ち抜き者にはメダル、終わった後全員に紅白餅を振る舞うようなものです。
ところが、その転校生の少年が出てきて数試合するうちに、
見物者のあちこちでざわめきが起き始めました。
確かに強いのですが、試合内容がよくないのです。
汚いとまでは言いませんが、勝ちにこだわった剣道というしかない。

とはいえ、表だって批判する者もおりませんでした。
会場には父親も見えていましたから。ほら、剣道関係者は警察の人が
多いでしょう。その父親も警察で、高い地位にあったのです。
白組のその少年が3人抜き、4人目に相対したところです。紅組は
大将しか残っておりませんので、ここで大将が負ければ白の勝ちとなるわけです。
少年が面を打った・・・かに見えたとき、ごうと風が吹きました。
社殿の開いた扉の中から吹きつけてきた気がします。
審判は旗をあげようとしたのでしょうが、砂埃が舞ってどうなったか
わかりません。目を開けていられなかったのです。砂塵がおさまると、
試合場の中央で少年が倒れた相手の大将に跨るようにして、
竹刀を突き下ろしていました。これは穏当ではありません。

審判が注意しましたがやめようとしないので、二人がかりで抱きかかえましたが、
それを振り払っての大暴れになってしまいました。大人が多数出て
取り押さえたのですが、少年の面を脱がせて誰もがあっと息を呑みました。
顔面が真っ赤で、赤と黄色の体液がぽたぽた垂れていたのです。
後で聞いたところによると、顔の皮膚が広範囲にはがれていたのだそうです。
どうしてそういう事故が起きたのかは誰もわかりません。防具の面を
かぶっていたのですからね。少年は入院し、けがのほうは回復したようですが、
精神を病み、その後どこでそうしているやらわかりません。
父親も他県に転勤してしまいましたし。社殿の横に、板に台座をつけて
立て並べ、そこに奉納されたお面を掛けてあったのですが、その中に混じって
赤黒い顔の皮膚がぺたりと張りついていた、などと言う者もおりましたよ。

これでお話は終わりですが、あの震災を経て
ご神体のお面はどうなっただろう、と考えることがあります。
多くの瓦礫の中にまぎれて焼却等されてしまったとみるのが
妥当でしょうが、どうもそうではないような気がします。
もしかしてまた、海に戻って流れ漂っているのではないかと思うのです。
面に自らの意志があるのかどうかは定かではないですけど。
そしてどこかの浜にたどり着き、それは日本ではないかもしれませんが、
拾った者がその威容に打たれて、その国の流儀でお祀りをする。
その繰り返しの中で不思議な力をさらに増してゆく。
そういった存在ではないかと考えるのですよ。
みなさんはそのような存在について、見聞きされたことはおありでしょうか。

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