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今回はこういうお題でいきます。役小角(えんのおづぬ)は、
7世紀後半に生きたと考えられる人物で、役行者、
役優婆塞(えんのうばそく)などとも呼ばれます。
行者も優婆塞も、出家していない仏教修行者のことですが、
役小角がほんとうに仏教者だったかは疑わしいところがあります。

まず最初の議論として、役小角は実在の人物だったのか。これは
間違いないでしょう。正史あつかいになっている『続日本紀』に
記事が出ているからです。「文武天皇3年(699年)、
葛城山に住んでいた役君小角が呪術で人を惑わしたので、
伊豆大島に配流した」となってるんですね。

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仏教者であるという記述はありません。記事には続けて、
「小角は鬼神を使役することができ、水を汲ませたり、
薪をとらせたりした。もし鬼神が彼の命令に従わなければ、
彼らを呪縛した」とあります。式神を使っているようでもあります。

ですから、自分は役小角は民間の陰陽師ようなものではなかったかと
疑ってるんです。仏教というのは後づけなのではないか。
で、この記事がもとになって、後世、役小角に関するたくさんの
逸話ができたんですが、どこまで本当か怪しいものばかりです。

役小角
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『日本霊異記』では、役小角は大和国葛木上郡茅原村の人で、
若くして雲に乗って仙人と遊び、孔雀王呪経の呪法を修め、
鬼神を自在に操ったとなっています。「雲に乗って仙人と遊び」
の部分は道教修行者を思わせますし、「孔雀王呪経」は密教的です。

ただし、空海らが密教を中国から持ち帰ったのは役小角の死後のこと
なんですね。また、役小角が使役していた鬼神は、前鬼、後鬼の
2体で、このうち前鬼は、マンガの『鬼神童子ZENKI』で、
現代によみがえって悪と戦うことになります。

『鬼神童子ZENKI』
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さて、上記の記事に「葛城山」と出てきますが、これが一つの
考えるポイントになるかと思います。葛城は、奈良盆地の
南西部を指す地域の名称で、古墳時代有数の豪族、
葛城氏の勢力圏です。葛城氏は古代から、
大和朝廷と覇権を争っていたと考えられます。

そのことが寓話として出てくるのが、「一言主(ひとことぬし)」
の話ですね。『古事記』の雄略天皇4年(460年)の記事に、
「雄略天皇が葛城山へ鹿狩りをしに行ったとき、紅ひものついた
青づりの衣を着た、天皇一行と全く同じ姿の一行が、
向かいの尾根を歩いているのを見かけた。

一言主神と雄略天皇
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雄略天皇が名を問うと、われは悪事も一言、善事も一言で言い放つ神。
葛城の一言主の大神なり、と答えた。天皇は恐れ入り、弓や矢のほか、
官吏たちの着ている衣服を脱がせて一言主神に差し上げた。
一言主神はそれを受け取り、天皇の一行を見送った」とあります。

これは、葛城に強大な勢力があったことを示すものと解される
ことが多いんです。ただし伝承では、役小角はこの一言主と
争ったことになってるんですよね。役小角は奈良県吉野の金峰山と
葛城山に鬼神を使って山をまたぐ橋をかけさせようとした。

葛城山


これに怒った山の神、一言主が、人間に化けて朝廷を訪れ、
役小角を密告した。そこで朝廷の役人が小角を捕らえようとしたが、
さまざまな術を駆使して逃げられる。しかたなく小角の母親を
人質に取ると、小角は自ら出頭して伊豆に配流されたが、
夜になると富士山に飛んで修行を続けた・・・

おそらくですが、大和朝廷と葛城氏、それと葛城の宗教勢力である
役小角らの複雑な争いがあったことが想像できます。
この後、大宝元年(701年)に大赦があり、小角は故郷へ帰り、
同年6月、箕面山瀧安寺の奥の院にあたる天上ヶ岳で、
68歳で入寂したと伝えられています。

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さて、修験道ですが、役小角は修験道の開祖とされますが、    
これは完全な後づけで、山岳修行をしていたことから、
まつりあげられたのだろうと思います。修験道はご存知でしょう。
いわゆる山伏の格好をして、山地を飛び歩く。

山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを
目的とする日本古来の山岳信仰が、仏教に取り入れられたものです。
ただ、本来の仏教とはかなり考え方も違っています。
修験道は、平安時代のころから盛んに信仰されるようになり、

修験道の荒行
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室町時代に入って、金峰山、熊野山などの諸山では、役行者の伝承を
含んだ縁起や教義書が成立しています。仏教の中では密教と最も
関わりが深いため、江戸時代には、修験道の修行者は、
真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派のどちらかに
属さねばならないことになります。

さてさて、同時代の歴史書にわずか2行だけしか出てこない
役小角ですが、ここまで話が広がりました。日本史にはこの手の
ことがかなりあって、それを読み解くのも一つの醍醐味だと
自分は考えています。では、今回はこのへんで。