こんばんは。僕は武田といって、中学校の3年生です。この間です。
ちょっと信じられないようなことがあったので、その話をしたいと
思います。始まりは母の交通事故です。母はインテリアデザインの仕事を
しているんですが、その通勤の途中、車のフロントグラスに突然カエルが
降ってきたんだそうです。それもかなり大きなイボガエルだったそうで、
それで驚いてしまって大きくハンドルを右に切ってしまい、そのまま
対向車と衝突したんだそうです。母は事故のときには意識を失って

ましたので、これは後日意識を取り戻してからから聞いた話です。

母は頭を強く打ってしまって硬膜下出血になり、救急搬送された病院で

開頭手術になったんです。不幸中の幸いというか、手術は成功しまして、

数日ICUにいたんですが、一般病棟の個室に移ったんです。

それでICUにいたときは、家族が全員病院に来てたんですが、もう大丈夫
だろうということになり、その日は学校帰りの僕だけが病院に来てたんです。
母は意識を取り戻していましたが、頭は固定されて動かせない状態で眠って
たんです。僕はベッドのそばのイスに座ってたんですが、この騒ぎで
疲れていたせいか、前のめりになって少しうとうとしてしまってました。
何か気がかりな夢を見てた気がしますが、内容は思い出せません。一瞬で
意識が戻り、目を開けたとき、ベッドの反対側で黒い影がふっと消えた

ように見えたんです。不思議に思い、ベッドを回って枕元に行ってみました

が、もちろん何もありません。そのとき、自分でも何でそんなことを
したのかよくわからないんですが、持ってきていた学校のカバンにいつも
つけている成田山のお守りを外して手に持ち、そのあたりに差し出して

みたんです。すると「あ、痛あ!」という声がして、何かに触れた感触が
あったんです。突然、ブワッと浮き上がるような感じで白い薄汚れた着物姿の
爺さんが出てきました。僕はあっけにとられて、思わず「あんた誰ですか?」
って言ってしまったんです。爺さんはばつの悪そうな顔をして僕を見ると、
「こりゃしまった。成田山のお守りなあ・・・まいったな。わしゃ死神だ」
と言いました。にわかには信じられませんでしたが、誰もいない空間から急に
現れたのは確かだし「死神? 僕の母さんを連れに来たのか?」と聞きました。
死神は「まあ、そうだ」と言い、続けて「だが、姿を見られてしまったから

なあ。失態じゃよ。罰を受けることになるなあ。しかし、お前の母親を

連れて行かないとさらに罰は重くなる」って。「そんな。手術も成功したのに。
なんとかならないんですか?」叫ぶように聞くと、「・・・ならんこともない。

姿を見られてしまった以上、チャンスは与えねばなるまいなあ」死神は
そう言って、着物のたもとからスマホのようなものを出すと、それを見ながら
あれこれいじっていましたが、「うーん、この世界線を変えるには3ヶ所

くらいチャンスがあるな。あ、でも、お前が小学生ぐらいだと駄目だろう。
中学校になってからだとチャンスは1回だ」って言ったんです。「チャンス? 
どういうことですか?」そう聞くと「いやなあ、わしはたしかに死神だし、
予定を変えるわけにはいかんのだが、また、存在を生きた人間に知られるのも
よくない。姿を見られてしまった場合には、そいつに現実を変えるチャンスを
与えなくちゃならんのだ。お前の場合は3つの機会があるんだが、そのうち
2つはお前が幼児と小学生のときになる。だからチャンスは実質1回だけ」
「チャンス?どういうこと?」 「過去に戻るんだよ。そこで適切な行動が
 
できれば、世界線が切り替わって、もしかしたらお前の母親を助けることが
できるかもしれん。しかし、うまくいかなかった場合、お前は生まれて
こなかったことになり、存在自体が消えるかもしれんぞ」 「ああ、やります。
それで母さんが助かるかもしれないんだったら。で、どうやるんですか?」
「あー、この機械を使えば、お前を過去の適切な時間に戻すことができる。
ただ、その世界には過去のお前もいる。本当は同一の時間軸に同じ人間が
2人存在することはできんのだ。だから、お前の姿は人には見えんし、物に
触ったりもできない。ただ・・・それだと何もできないことになるから・・・
うーん、そうだな。1回だけ物にさわれるようにしてやろう。いいか、それ
1回きりだからな。戻る時間は今から7日前、お前の母親が事故にあった
日の朝だ。時間はそうだな、6時40分。事故の相手がいつも起きる

時間だよ。そこでうまく時間をずらすことができれば、お前の母親は
助かるかもしれん。あ、それから、物にさわれると言ったが、せいぜい
小石を動かすくらいだ。大きなものはダメだからな。いいか。じゃあ、
場所は加害者のアパートの前としよう。たまたまそこを人や車が
通りかかってお前と重なると、お前は消滅してしまうから、
そうならないよう祈るんだな。それから、この世界に戻ってくるには、
その世界の物に触ってから10秒後ということにしよう。いいな、
1回だけだぞ」そう言って、死神はスマホにピポパと何かを入力
したんです。そしたら目の前の光景がグニャンと歪んで・・・僕は、
一棟のよくある安アパートの外廊下に立ってたんです。天気は曇りで、
小雨がパラパラと落ちてきていました。さっきまで病院の中、

時刻も夕方だったのに、これは過去に戻ったのか? 信じられませんでしたが、
それまでとまったく違う場所にいるのは確かです。本当に過去なのか
どうかは、近くに日にちを表示したものがないのでわかりませんでした。
このアパートの目の前にドアのある部屋が母さんとぶつかった車の人・・・
謝りに来たときに顔は見て知っていました。で、時間を遅らせる、要は、
車で出発する時間を遅らせるってことなんでしょうが、いったいどうやって?
さっぱり思いつきませんでした。それと、自分の姿は他人には見えないと
言ってましたが、自分には見えたんです。手も足もどこでどうなってるかが
わかりました。ともかく、鍵がかかったドアからは入っていけません。
その人が自分で鍵を開けて出てきて車に乗るまでしかチャンスはないと
思ったんです。そこで、どうやって時間を遅らせられるか・・・

そのとき、近くの水たまりがばちゃんとはねました。大きなイボガエルが
そこに飛び込んできたんです。イボガエルか・・・そう言えば、母さんの
事故の原因になったのもカエルだった・・・あ、もしかしてこれを
利用すればいいかも。物を触るのは1回と言ってたけど同じ物ならずっと
触っていられるのかも。もう迷ったりしてる時間はないと思いました。
上からそうっと、今にもどっかにいきそうなカエルを両手を被せるように
してつかまえ、そしたらカエルの感触はグニャグニャで、グエコグエコと
大きな声で鳴いたんです。カエルはそのまま手の中にあり、ずっとつかんで

いることができたんです。僕は気持ち悪いのをこらえながら、ドアの前に
しゃがみ込み、住人が出てくるのを待ち伏せたんです。それから・・・
30分くらい時間が過ぎ、住人がスーツにカバンを持って出てきました。

事故の謝罪に来たときに見た顔と同じだと思いました。そいつはカバンのない

手には車の鍵を持っていて、両手がふさがっていたんです。これはいい、
ただしチャンスは1回、絶対に失敗しないように・・・僕はそうっと
後ろにしのび寄り、そいつが靴を直そうとしゃがんだときに、スーツの背中に
持っていたカエルを放り込んだんです。最初、そいつは気がついた様子もなく、
ああ、失敗かと思いましたが、カエルが暴れたんでしょう。スーツを脱ぎ、
カバンを置いて手で背中をまさぐり始めたんです。こっけいな動きで、TVの
コントみたいでした。そしてやっとのことでカエルをつかみ出し、その感触に
驚いてそのカエルを高く放り投げたんです。そして、カエルは大きな放物線を
描いて・・・その頂点に達したところで消えたんです。その間、5分は確実に
かかってました。これで時間を遅らせることができたろう。僕はまた世界が
 
歪むのを感じたんです。そしてこの世界に戻ってこれたんですが、そのさ中、
ある考えが頭をよぎったんですよ。あれ、あのカエル、落ちてこなかったよな。
空中で消えてしまった。あれ、どこへ行ったんだろう。まさか・・・って。