相というのは古い時代にできた漢字です。木と目が向かい合うことから、
「よく見る」という意味で使われます。例えば、人相、手相、家相
などという、占いのジャンルがありますよね。
また、相を読むことを「観相」などとも言います。

ギリシアの人相学


まず、人相ですが、人の顔だちを見て、性格や生涯の運勢を割り出すもので、
歴史は古く、古代ギリシャ時代からありました。
ヒポクラテス、アリストテレス、プラトンなどが人相学の基礎を築いたと
言われ、その著作も残っています。

また、中国でも古い時代から人相学は発達していて、
日本の人相学は、その流れと考えられます。人相占い師は奈良時代から
いたようで、『日本霊異記』には、大きな神社のそばには、
相八卦見(そうはっけみ)が店を出して、参詣に来た人から
お金をとって占っていたという記述が出てきます。

次に、手相ですが、この由来は古代インドで、それが中国を経由して
日本に伝わっています。ヨーロッパでは、手相を見ることはキリスト教で
禁止されたので、あまり広まりませんでした。
あと、家相は、中国の風水から来ているものですね。

インドの手相学


さて、この「相」について、自分が好きな『今昔物語』に
面白い話が出ているので、ご紹介しましょう。
その昔に、登照という僧がいて、京都一条に住み、人相見の名人として
知られていました。この人は、平安時代の実在の人物です。

登照は、人の顔を見るだけではなく、声を聞いたり、
その動作を見ることで、寿命の長い、短いだけでなく、貧富や、
官位の高い、低いなどもすべて当て、一度も間違うことがありませんでした。
このことが評判になり、登照の僧坊にはたくさんの人が、
連日、占ってもらおうと押しかけました。

 



さて、この登照があるとき、所用があって朱雀門の近くを通りかかると、
老若男女、大勢の人が門の前にたむろしていました。
何げにそれらの人の顔を見て、登照は驚きました。
というのは、そこにいる人すべての顔に死相が現れていたからです。

「これはどうしたことだ?」 なぜこの人たちはみな死ぬのだろう。
例えばここに、悪人が現れて、手あたり次第に刀をふるったとしても、
全員が死ぬということはないはずだ。とすれば、考えられることは一つです。
登照は、「見ろ、今にも門が倒れるぞ。まごまごしてると、
下敷きになって死ぬばかりだ!」こう大声で叫びました。

朱雀門


この言葉を聞いて、あわてて走り出たものもいれば、登照の言葉を
信じなかった者もいましたが、それまで、ぴくりとも動かなかった門が、
急に傾いて、地響きをたてて倒れ、ぐずぐずしていた者の幾人かは、
門の下敷きになって死んだということです。

この話で面白いのは、登照は門が倒れることを予知したわけではない
というところです。あくまで、その場にいる人たちの相を読んだんですね。
そして全員に死相が現れていることから推理して、
朱雀門が倒れるという結論に達したわけです。

 



さて、登照の話はもう一つ載っていて、雨がしとしと降り続く夜、
登照の僧坊の近くを、笛を吹きながら通り過ぎるものがありました。
登照はじっと耳を澄まして笛の音を聞いていましたが、弟子を呼んで、
「今、笛を吹いて通り過ぎる者は、命が今日、明日に迫っている」
行ってそのことを教えてやれ、と命じました。

ところが、弟子はその人に追いつくことはできませんでした。
翌日、雨がやんだ夕方のことです。また同じ笛の音が聞こえてきました。
登照は、「おかしなことだ。あの笛の音は昨夜と同じ人だろうが、
ずっと寿命が延びている」そう言って、弟子に笛の音の主を
呼んでこさせました。

普賢菩薩


見ると、若い侍でしたので、登照は「失礼ながら、昨夜あなたさまの
笛を聞いたときには、寿命が尽きかけていると思いましたが、
今聞くと、延命の相が出ています。いったい、
どういうことをなさったのですか」と尋ねました。

男は、「いや、特別なことはしていないが、昨夜は普賢講(普賢菩薩を
信仰する講)があって、そこの人たちに混じって、夜通し笛を吹いていたのだ」
と答えました。これを聞いて、登照は、「それは、お経を読む以上の
功徳があって、寿命が延びたのでしょう」と言って男のことを拝み、
男も喜んで、礼を言って帰っていった・・・こんな話です。

さてさて、『今昔物語』は仏教説話ですので、寿命を延ばす功徳のある
普賢菩薩を称えるような内容になっていますが、それはともかく、
これらの話から、相は予知とは違うこと、また、相は変えることができる
ものだということがわかります。では、今回はこのへんで。