今回はこういうお題でいきますが、これを見てみなさんは
どう思われたでしょうか。団子にオカルトなんてあるのか、
そう考えられた方が多いんじゃないかな。ですが、当ブログで
書いているように、オカルト、迷信、呪いのたぐいは
何にでもあるんですよね。
さて、団子をWikiで見てみると、「穀物の粉を水や湯を加えて
丸め、蒸したりゆでたりしたもの」と出てきます。
必ずしも米の団子だけではなく、桃太郎の話で有名な
黍(吉備)団子、粟団子、稗団子などもありました。
要はデンプン質が含まれていればいいわけです。
さて、団子といえばまず月見団子です。お月見をするのは
基本的には旧暦の8月15夜で、中秋の名月と言いますよね。
お月見は中国から伝わってきた風習で、古くからありましたが、
団子をお供えして食べるのは江戸中期ころからと、
そう長い歴史があるわけではないようです。
中国ではお月見には月餅を供えてましたが、それが日本では
団子に変わった。こういう川柳があります。
「大家から 鉄砲玉が 十五くる」意味がわかりますでしょうか。
長屋の大家は住人から家賃を取るかわり、盆正月、
お月見などには餅や団子を配りました。
妖怪「団子婆」
それが、お金がなかったので、当時の丸い鉄砲玉のように
小さい月見団子を15個配ったという意味だと思われます。
江戸川柳はすごく解釈が難しいものが多く、この句も、
これだけ見れば まるで意味不明ですよね。
さて、団子に関係する妖怪の話を3つ。江戸の随筆に「団子婆」
という話が出てきます。番町(現千代田区)にあったある旗本の
屋敷では、絶対に団子を作ってはいけないという家訓があり、
団子を作っていると、使用人の中に見知らぬ婆さんが
混じっていて、ずっと団子をこね続けている。
江戸時代は8月15夜の他に、9月13夜にも団子を作って
ましたが、そのときにもこの婆さんはどこからともなく現れる。
不審に思って手を引っ張ると、どこまでも伸びる。ただこれだけの
ことで、別に危害などを加えるわけではないんですが、あまりに
不気味なので、旗本家では団子作りそのものを止めてしまった。
「箕(み)借り婆」というのもあります。旧暦12月8日、
家にやってくるという一つ目の婆さんで、箕を借りていく。箕には
たくさんの目(編目)があるので、自分の目のかわりにするのかも
しれません。これだけなら怖くないんですが、箕がその家に
なければ、人間の目を取っていくとも言われます。
右側が「箕借り婆」
この婆さん妖怪は強欲で、箕以外にも何でも欲しがり、地面に落ちた
米まで拾うと言われ、この婆さんを避けるには、「ツヂョー団子」
というものを作って、串に3個刺して戸口に出しておく。
ツヂョー団子は、脱穀時に地に落ちた米を用いた土穂団子のこと
でしょう。このあたりは都市伝説と言っていいようなものです。
3つ目は「生(なま)団子」。長野県埴科郡、更級郡(現・長野市)
などに見られる特殊な風習で、妖怪とは少し違うかもしれません。
生団子様を祀る家では、生団子仏(なまだんごぼとけ)という
仏像を本尊としており、仏像は片足が素足、片方の草履を手に
持っているという奇妙な姿。
「生団子」
この家筋との縁組は忌まれるということです。また、この生団子仏に
供えるために団子をゆでると、その名のとおり一つだけ生のままの
ものが必ずあるともいわれ、彼岸や月見に団子を作っても、3つは
必ず生のままになるともされます。うーん、よくわからないですが、
何か差別に関係がありそうな話ですね。
さて、残り字数も少なくなってきました。吉備の国で黍(きび)を
材料に作った雑穀団子です。民話の桃太郎は、この黍団子を
与えて、犬、猿、雉をお供にしました。以前記事に書きましたが、
桃太郎のモデルは古代の皇族、吉備津彦とされ、
その姉が倭迹迹日百襲姫。倭迹迹日百襲姫は一部で邪馬台国の
弥呼ではないかとも言われる女性です。あと、上田秋成の読本
『雨月物語』中の「吉備津の釜」の舞台となった吉備津神社でも
土産物として売られていたようです。
さてさて、最後に近代の作品。宮沢賢治の童話「狼森と笊森、盗森」
は、粟餅(粟団子)を中心に話が展開していきます。貧しい
入植者たちの子どもがいなくなり、みなで探しに行くと、狼森の中で
狼たちに焼き栗でもてなされていた。そこで村人はお礼として
森に粟餅を供えた。翌年、村中の農具がすべて消えてしまい、
また探しにいくと、笊森の大木の根もとに巨大な笊が見つかり、
開けてみると、消えた農具とともに異様な風体の山男が「ばあ」と
出てきた。山男は自分で粟餅を作ってみたかったんですね。
そこで村人は笊森にも粟餅を供えるようになった。さらに翌年、
秋になって収穫物が全部消えてしまいます。
これを盗ったのは盗森の主である山男。結局、岩手山のとりなしで、
収穫物は戻り、村人は3つの森にお供えをするようになった。
こんなお話でした。ということで、けっこう書くことが
ありましたね。では、今回はこのへんで。