小学校6年生の夏休みのこと。その日は午後から、川に沈めてあった

カニ籠を見にいった。もし入ってなかったら釣りをするつもりで、

バケツと竿も持ってた。土手まで続く農道をぶらぶら歩いていたら、

横の田んぼにかかしがあるのに気づいた。かかしもひところは

すっかりなくなっていたそうだが、県内のある町でかかしをつかった

町興しを始めた影響があってか、またちょくちょく見るようになってた。

だその田んぼで見るのははじめてだった。かかし自体は、

十字に組んだ木の棒にボロ布を着せて、発泡スチロールの頭部を差し込んだ
ごくありきたりのやつだ。頭部には手ぬぐいでほっかむりをさせていた。
珍しいと思ったのは、両手の下にカラスをぶら下げてあることだ。
前に見たことがあったのはカラスに似せた人形で、

 

ずっと高いとこにヒモをはって吊るされていた。
もしかして本物の死骸なのかと思って、農道の砂利を拾って投げてみた。
距離は田んぼ半分くらい離れているので当たらない。
田んぼに石を入れるのはよくないとは思ったが、もう一度投げてみた。
すると今度は右側のカラスにうまく命中したが、

羽が散ったりすることもなくよくわからない。さらに石を

拾おうとかがんだとき、弟が「兄ちゃん、もういこう」と言ったんで、
立ち上がって、そちらを見ながら歩き出した。
土手に出てしばらくいくと、カニ籠を仕掛けてある川に出た。
そこは支流のさらに支流で、川幅は4mくらいのものだが流れが速かった。
川中にはり出している柳の枝に結んでおいたヒモを見つけ、

 

手をのばしてほどき引っぱった。水の上に籠が現れると、強烈な腐臭がした。
籠は2日前に沈めたんで、中のものが腐っているとは思えなかったが、
引き寄せてみると相当に重く、赤茶色の大きな毛皮のようなものが入っていて、
鼻が曲がるような臭いがした。何かの動物だろうか。

しかし籠の穴はこんなのが入れるほど大きくはない。
持ち上げると赤黒い水がどしゃーっとこぼれて中のものが横になった。
毛皮の下には白い細長い繊維のようなものが何十本ももつれていて、
その中に埋もれるようにしてカニや手長エビがうごめいていた。
吐きそうになった。これはダメだと思って、ヒモを振って籠を

もういちど川の中に投げこんた。籠がもったいないから、

何日かほうっておいてそれから回収しようと思ったんだ。


すると弟が「兄ちゃん、それ捨てちゃダメだよ」と言って、

ズックのままざぶざぶと川に入っていった。あっという間に

胸まで沈んだ。それでも籠を投げたあたりまでいこうとしたんで、
「流されるぞ、それ以上いくな」そう叫んだが、
弟はこちらを向かず二三歩進んで、ずんと頭まで沈んだ。

もう赤い野球帽しか見えなくなった。
「何やってるんだよ、ばかやろう!」俺も川に入っていった。
帽子を目印に近寄っていき、その下の水中を両手で抱きしめたが何もない。
流されてしまった、と思ったとき、帽子がぐるんと回って、
発泡スチロールでできた頭が現れた。
マジックで黒い穴のような目と赤い口が描かれたかかしの頭部だった。


そのとき、最初から弟なんか連れてきていないことに気がづいた。
頭がパニックを起こしながら、逃げるように川からあがり、
水面を見ると、野球帽もかかしの頭部もどこにも見えなくなっていた。
釣り竿をひっつかんで、家まで走って戻った。ずぶ濡れのまま

息をきらして庭に走りこむと、弟はじいさんと一緒に宿題をやっていたが、
飽きてきていたのか、のんびりした口調で「兄ちゃん、カニ見せて」と寄ってきた。
俺は口がきけなかった。あとで弟に聞いたところ、

お気に入りの帽子は川のもっと上流のほうでなくしたということだった。
怖かったんで、それから川にはまったく近づかないまま夏休みが終わった。
カニ籠の回収なんてとんでもないと思った。ただあのかかしは、友だちと

そこを通ったときに確かめてみた。顔は川で見たのとは似てなかったし、

ぶら下げてあるカラスはイミテーションの人形だった。