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今回はこういうお題でいきます。歴史に関係がありますが、
眉唾な部分も多いので、オカルト論とします。さて、北辰とは
北極星、つまり、こぐま座α星ポラリスの中国名です。余談ですが、
みなさんは江戸時代の三大剣術道場として、神道無念流、
斎藤弥九郎の練兵館、鏡心明智流、桃井春蔵の士学館、

それと北辰一刀流、千葉周作の玄武館というのを聞かれたことが
あると思います。「力の斎藤、技の千葉、位の桃井」などとも
言われました。で、千葉周作が流派名にしている北辰が
北極星で、妙見菩薩信仰と深い関わりがあります。
また、道場名の玄武は「北」を支配する霊獣ですね。

千葉周作
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さて、もともと北極星および北斗七星に対する信仰は、中国の
道教からきたものです。北極星は、天の北極に最も近い
明るい星で、現在は上記のこぐま座α星のポラリスがそう
呼ばれていますが、歳差運動により天の北極は移動し、
長い期間をかけて北極星は交代します。

北斗七星は、おおぐま座の熊の下半身を構成する7つの
明るい恒星ですね。また、道教では北斗七星のおおぐま座Η星を
「破軍星」とし、軍神とみなしました。おっと、天文学の
記事ではないので、この内容はこれくらいにしときます。

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次に、道教における北極星信仰について。道教では現在の北極星
ポラリスを「北極紫微(しび)大帝」と呼びました。
北極星を中心とした紫微宮に住む位の高い神ですが、この兄に
「天皇大帝」がいます。天皇大帝がどの星なのかは、残念ながら
古代の中国天文学の図を見てもはっきりしません。

で、その天皇大帝は、日本における「天皇」という称号の起源の
有力な候補と見られているんです。それまでは大王(おおきみ)と
呼ばれたのを、天皇という語に変えたのは天武天皇と考えられます。
以前記事に書きましたが、天武天皇は道教、仏教、神道のすべてに
明るく、日本を霊的に支配することを目論んでいました。

天皇大帝
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天武天皇が道教にも詳しいのは、『日本書紀』に「能天文遁甲」
という文が出てくることでわかります。「天文と遁甲に精通していた」
という意味で、遁甲は、中国的な一種の占いのことです。また、
天武天皇は壬申の乱の最中、「則舉燭親秉式占曰」 自ら式盤を
とって、戦いの吉凶を占ったとされます。

天武天皇が採用した天皇の号は、この天皇大帝から取られたと
みる説が有力です。また、天武天皇が斎宮を派遣して再興した
伊勢神宮は、北斗七星を祀ったものであるという説もあります。
ただ、そのあたりは推測の域を出ないですね。

風水の式盤 中心に北斗七星を置く
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さて、この道教の信仰が仏教に取り入れられ、妙見菩薩信仰へと
変化しました。北極星または北斗七星を神格化した仏教の「天部」の
一つで、北辰菩薩などとも呼ばれます。本来「天部」というのは、
大黒天や帝釈天など、インドの古い神が仏教に取り入れられた
もので、仏教の高位の修行者である菩薩とは違うんですが、

妙見菩薩の場合、ここまで書いてきたように、もともとは道教の
神なので、異質なために「天部」に入ってるんです。
中国で起った妙見信仰が日本へ伝わったのは、ちょうど天武天皇の
時代、7世紀(飛鳥時代)のことで、渡来人によってもたらされた
ものでしょう。中国の信仰を受け継ぎ、

武神である妙見菩薩
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日本でも軍神、武神とみられ、後代になって武士の帰依を
受けることが多かったんです。で、ここでやっとオカルト的な話に
なります。平将門はもちろんご存知でしょう。10世紀の反乱者で、
自ら新皇を名のりますが、即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、
平貞盛らにより討伐されます。

その首は京へ運ばれて晒されましたが、ずっと吠え立てて
恨み言を述べ、ついには関東をめざして飛び去ったとされます。
その首が落ちたという地はあちこちにあるんですが、もっとも
有名なのが東京千代田区大手町の平将門の首塚で、
移転させようとすると祟りがあるとも言われます。

将門首塚
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将門自身も、関東の守護神にして、日本最大の祟り神などとも
言われますよね。で、平将門伝説は深く妙見信仰と結びついて
いるんです。例えば、将門が京に出仕していて苦難に遭ったとき、
妙見菩薩が姿を現して助けたとか、戦いを前にし、妙見信仰の
社である千葉の柴崎神社に詣でたとか。

妙見菩薩の本性である北斗七星にならい、室町時代に書かれた
『俵藤太物語』には、6人の影武者を立てていたと記されています。
将門本人を合わせて7人ということですね。その他にも、将門の
体は巨大、皮膚は鉄のようで刀の刃も立たなかった。影武者たちは

晒された将門の首
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太陽の光を受けても影ができず、弱点はこめかみ、などといった
話もあります。じつは千葉県はたいへんに妙見信仰の盛んな地で、
これは中世、当地で勢力を持っており、現在の県名にもなっている
千葉氏が、妙見信仰と将門伝説を組み合わせて取り込み、
一族の守り神としていたためなんです。

さてさて、ということで、北辰について見てきました。中国の
道教の神 天皇大帝が仏教と習合して妙見菩薩となり、
将門伝説なども取り込みながら、江戸後期の北辰一刀流
千葉道場までつながるんですね。では、今回はこのへんで。

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