今回はこういうお題でいきます。オカルト論に入れておきますが、
広い意味の文化論のようなものです。ただ、かなり難しい話ですので
異論もあるかと思います。さて、みなさんは大晦日、テレビで
除夜の鐘をつくのをご覧になられたことがあるでしょう。

除夜の鐘は仏教の行事ですよね。人間世界にある煩悩の数に合わせて
108回つくことになっています。ただこれ、インドで始まった
原始仏教にそういう儀式があるわけではありません。
で、それを見おわると、初詣に行かれたという方もおられるでしょう。
初詣は、お寺に行く場合もありますが、普通は神社です。



初詣の起源ははっきりしませんが、もともとは宮中の年賀行事で
あったとも、鎌倉時代に将軍源頼朝が鶴岡若宮に詣でたのが
その始まりとも言われます。歳をまたいで、仏教と神道、
2つの行事を行うわけですが、これに違和感を持つ人はあまり
いないようです。日本では、なぜ仏教と神道が共存できたんでしょうか。

一般的には、一つの宗教がある地域に広まると、それ以外の
宗教は迫害されるのが普通ですよね。キリスト教、イスラム教などの
一神教では特にそれが厳しく、血を見る戦いにまで発展します。
朝鮮では、李氏朝鮮時代に儒教が国教化され、仏教は徹底的に
弾圧されました。寺院は破壊され、僧は奴婢身分に落とされます。

伊勢神宮
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現在の韓国では、日本が占領時代に朝鮮の仏教文化財を盗んだ
などという議論もありますが、実際は自らの手で多数を
破壊してるんです。ただ、朝鮮の仏教は完全に滅びたわけではなく、
宗派が統合されて一部は存続しています。

ところが、日本ではそういうことが起きてはいません。
なぜなんでしょうか。ここで一つの回答として、神仏の習合が起きたから
というものがあります。神仏習合とは、日本土着の神祇信仰(神道)と
仏教信仰が、仏教を主とし、神道を従とする形で融合したものです。

大嘗祭
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本地垂迹説がとられ、日本の神道の神々は、人々を教化するため、
仏教の仏が姿を変えたとする考え方です。たしかに、この名残は
あちこちに見られ、お寺の中に小ぶりの神社があったり、
逆に神社の中に仏教の三重塔があったりします。基本的に仏教の塔は
仏舎利(お釈迦様の骨)を収めるためのものです。

強訴という言葉はご存知でしょう。『平家物語』などに登場しますが、
「南都北嶺」とならび称された奈良の興福寺と比叡山延暦寺は、
それぞれ何か要求があると、僧兵が、興福寺は春日大社の御神木、
延暦寺は日吉大社の神輿を担いで京の都に下りて暴れました。
どちらも神道由来のものですよね。

強訴の様子
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では、神道と仏教が完全に入り混じってしまったかというと、
自分は、そうでもないように思えるんです。神道の領域と、仏教の
領域が区分され、棲み分けが行われていた。それがはっきりと
わかるのは、結婚式と葬式でしょう。

仏式の結婚式、神式の葬式というのもないわけではありませんが、
一般的ではありません。日本の神道は、死を扱わなかったんです。
神道において、死は「死穢」と言って忌避される対象となり、葬儀、
先祖の供養、極楽往生を願うなどの行為は、仏教の専門事項と
されました。では、神道では何を扱うかというと、

独鈷杵を持つ密教者として描かれる後醍醐天皇
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古代からの素朴な喜びです。具体的には収穫感謝などの農耕に関する
儀礼、それが祭りという形になります。日本三大祭りは、通常は、
「祇園祭(京都市八坂神社)」 「天神祭(大阪市大阪天満宮)」
「 神田祭(東京都神田明神)」のことを言いますが、
地域によって地元の祭りが加わる場合もあります。

なぜこうなったか、これは仏教伝来後も、天皇家が神道を        
放棄しなかったからです。天武天皇の命で編まれた日本最初の
歴史書『日本書紀』には、天皇家の祖先は天照大神と書かれており、
放棄しようにもできなかったわけです。ただし、天皇家は熱心な
仏教徒でもあり、古墳時代の後は仏式で葬られ位牌も菩提寺もあります。

天武天皇


この基礎を築いたのが天武天皇です。自分は以前「霊的巨人 天武天皇」
という記事を書いていますが、歴代天皇の中でも最大の傑物だったと
考えています。天武天皇は仏教を保護し、土地ごとに仏舎を作って
礼拝供養せよという詔を下し、使者を全国に派遣して「金光明経」と
「仁王経」を説かせています。

それと同時に、伊勢神宮を特別に重視し、天照大神を祀る伊勢神宮が
日本の最高の神社とされるよう、自分の娘を斎王として仕えさせました。
自分は、ここで、仏教と神道が共存する道が開けたと考えています。
これ以後、天皇家では仏式で葬儀を行うとともに、大嘗祭などの
農耕に関する神道儀礼も司ってきました。

手ずから田植えをされる上皇陛下
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天武天皇は霊的な面からも日本を支配しようとしたわけですが、
なぜこれができたかというと、壬申の乱の勝者だったからでしょう。
兄であった天智天皇の旧勢力を、皇族臣下の高位者でも流罪にする
という形で粛清しています。力の政治を行える立場にあったわけです。

さてさて、ということで、除夜の鐘と初詣について考えてみました。
明治の世になり神仏分離令が出され、国家神道ができると同時に、
仏教は国家からの保護を解かれました。僧侶の肉食妻帯は勝手とされ、
現在では葬式仏教と揶揄されることも多いですよね。
では、今回はこのへんで。

歴代天皇の仏塔
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