今回はこういうお題でいきます。辟邪絵(へきじゃえ)とは
後白河法皇の蓮華王院の宝蔵に保管されていた作品ですが、
どのような経緯で制作されたかはよくわかっていません。
12世紀のものと考えられ、国宝になっています。

現在、奈良国立博物館が収蔵。
地獄絵の一種なんですが、ここでは5体の善神が蛇や鳥、
鬼のようなものを責め苛んでいます。辟邪とは魔除けという
意味で、ここでやられているのは疫病神であると

後白河法皇
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考えられます。これを飾ることで、疫病から身を守ることが
できると考えられました。絵自体はおそらく日本で書かれた
ものでしょうが、内容は中国から伝わったものです。
なかなか迫力があるというか、怖いですよね。

全部で5枚の絵になっていて、まず一枚目。
ここでさまざまな生き物のをつかまえて食べているのは
「神虫」と呼ばれるものです。神虫はおそらく、
かなり古い時代の中国で信仰されていた神と考えられます。

キャプチャ x

なかなかキモい姿ですよね。全体が黒く、背中に羽があって
ゴキブリみたいですが、足が8本あるので蜘蛛の仲間
なのかもしれません。また、口の中の歯は動物のようでも
あります。注目したいのは、疫病神に
さまざまな姿のものがいること。

次は「天刑星」。中国の道教由来の神だと思われます。
天が決めた刑罰を、地上に降りてきて実行します。
天刑星は4本腕で、疫鬼たちを何かの液体につけてから
食べてますね。これはソースなんでしょうか。

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3枚目は「鍾馗様」ですね。鍾馗は中国の唐の時代に
実在したとされる人物で、役人になろうと志し、郷里から
出てきましたが、科挙試験に合格することができず、
自殺したとされています。当時の中国では、その手の
ことがたくさんあったようです。

で、唐の6代皇帝玄宗が瘧(マラリア)にかかり床に伏せて
いると、高熱のなかで、宮廷内で小鬼が悪戯をしてまわるが、
どこからともなく大男が現れて、小鬼を難なく捕らえて
食べてしまう。玄宗が大鬼に正体を尋ねると、鍾馗と名のり

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上記のエピソードを語った。目覚めると玄宗皇帝の病は
治っていた。日本では魔除けとして、五月人形の中に
取り入れられたり、関西では、屋根の上に人形を飾ったり、
疫病の流行中には鍾馗絵を戸口に貼ったりしていました。

4枚めは「栴檀乾闥婆 せんだん けんだつば」。
古いインドの神で、インドラ神(帝釈天)に仕え、半神半獣の
姿で描かれます。また、音楽を司る神とも言われます。
この絵では、蛇や鳥など、さまざまな姿の疫鬼の首を取り、
三叉の槍に突き刺しています。

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最後は「毘沙門天」。仏教の天部で、仏の教えを妨げる者と
戦う武神です。日本では、戦国武将の上杉謙信が
深く信仰していたことで知られます。もともとはこれも
インドからきた神と考えられます。

この絵では、逃げ惑うカラス天狗のようなものに、
背後から矢を射かけていますね。古代から疫病の流行は
恐れられており、現代と違って防疫の方法がないので、
たくさんの死者が出て、都は荒れ果てました。『今昔物語』を
もとに芥川龍之介が書いた『羅生門』の話の世界です。

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また、疫病は日本の国の外から来るとも考えられ、実際、
外国人が日本に頻繁に来るようになった江戸時代の後期には
何度も疫病の大流行がありました。今回のコロナ禍で
話題になった「アマビエ」も江戸時代の辟邪絵です。

さてさて、これらの絵を後白河法皇が命じて描かせたのかは
わかりませんが、ご存知のように平安末は源平の騒乱があり、
鎌倉幕府ができるなど、たいへん血なまぐさい時代
でもあったので、このような絵ができたのかもしれません。
では、今回はこのへんで。

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