今晩は。これから私の弟の話をしていきます。私の家は、父は公務員で、
母は主婦なんですが、ときどきパートに出たりしてました。
どこにでもあるような平凡な家庭だったんですが、
弟だけがちょっと違ってました。2人兄弟で、私と弟は3つ違いでした。
それで、私が12歳、小学校6年生の冬に、弟は亡くなってしまったんです。
はい、眠ったまま、朝になっても起きてこなかったんです。
救急車で病院に搬送して死亡が確認されました。死因は、
子どもの突然死症候群ということになったはずですが、今になって考えると、
病院でも死因の特定に困ったんじゃないかと思います。
朝に見つかったときには、顔に笑みを浮かべ、両手を胸の上に組んでました。
苦しんだような様子はまったくなく、ただ心臓が止まった・・・そんな感じでした。

それと、弟の葬儀なんですが、これもすごく異様だったんです。
そのことは最後にお話したいと思います。まず、弟の外見ですね。
私の両親は平凡な顔立ちで、それを私も受け継いでるんですけど、弟は違いました。
色が白い、ほんとうに紙みたいに白かったんです。目が大きくて、
西洋の人形みたいでした。ですから、小さいときからいろんな人に
可愛い、可愛いと言われて。私はほとんど言われることはなかったので、
いつも弟がうらやましいなあと思ってたんです。で、その目なんですが、
すごく黒目の部分が大きかったんです。角度によっては、
目全体が瞳のように見えることもあって、昆虫みたいで怖い、
そう思うこともあったくらいです。あ、こんなことを言ってるときりがないですね。
具体的な弟のエピソードをいくつか話していきたいと思います。


弟が5歳、まだ小学校にあがる前だったと思います。めったに病気することのない
弟でしたが、その日は朝から熱があって幼稚園を休んだんです。
でも、私が病気のときはすぐ医者に連れてく両親でしたが、
弟の場合は、ただ家で寝かせておくだけでした。これも今考えると、
両親は弟を医者にみせるのが嫌だったんじゃないかと思うんです。午後になって、

私が学校の帰り、家の近くの工務店の資材置き場を通りかかったら、
家にいるはずの弟が、積み上げられた土管の上に座っていたんです。「え?」と

思いました。弟は病気で寝ているはずだし、そこはフェンスに囲まれてて、
子どもが入れるとこじゃなかったし。フェンスに近寄って見ると、
下の草むらに猫がたくさんいたんです。全部で10数匹。
どれも近所のノラ猫だと思いました。で、異様なことに、

猫たちは全部、体をのばして腹を地面につけ、下を向いてたんです。ほら、

時代劇で家来たちが殿様の前で平伏したりしますよね。ちょうどあんな感じで。
弟は土管の上で足をぶらぶらさせてましたが、立ち上がってっゆっくり降りて

いくと、猫たちの間に入って歩き回って。その間、猫はみなじっとしてたんです。
そのうち、一匹の毛がボサボサの白い猫の前に来ると、優しく頭をなで、

そのときに「もらうよ」と言ったと思います。私はフェンスにしがみついて

見てたんですが、そこでたまらず「〇〇、何やってんの?」と弟の名前を

呼びました。すると、猫たちがいっせいに体を起こして、逃げ散ったんです。
弟の姿もどこにもありません。ただ、さっき弟が頭をなでた猫だけ、
地面に伸びたままで生きてるように見えなかったんです。家に戻り、
母に「弟は?」と聞くと、「2階で寝てる」という答えでした。

走って2階の部屋に行くと、2段ベッドの下で、弟はパジャマ姿で寝ていました。
不思議でしかたなかったので、「あんた、さっき資材置き場にいなかった?」

と聞くと、弟は「知らない」とだけ答えたんです。

・・・白猫の死体はしばらくそのままでしたが、
いつの間にか片づけられてなくなってました。

クローゼット
これは私が小学校4年生のときです。弟は小学校2年。その日、テレビの洋画劇場で
怖い幽霊の映画をやったんです。私は夢中になって見てましたが、弟は夕食が済むと

すぐ2階の部屋に上がりました。テレビが好きじゃなかったんです。子ども番組や

アニメもまず見ることはありませんでした。寝る時間になって、私は2段ベッドの

上だったんですが、下にいる弟に、「起きてる?」と言うと、「うん」と

答えたので、「あんた幽霊っていると思う?」聞いてみました。そしたら、

少し笑って「そんなのいないよ、お姉ちゃん信じてるの?」バカにしたように

聞き返されました。それでムッとして、少しおどしてやろうと思ったんです。

「幽霊はいるのよ。ほら、そこのクローゼット、今その中にいるから」
これはただ、そのとき思いつきで言っただけなんですけど、
弟は面白そうに笑い声をあげて、「幽霊ないないけど、つくるのは簡単だよ」って。
 

「え、どういうこと?」 「僕が今、幽霊つくったから、お姉ちゃん、クローゼット 

 開けてみなよ」そのときに、つけていた小さい電球がふっと消えたんです。

「え?」カリカリという音がしました。クローゼットの中からです。
木製の扉を内側から引っ掻くようにカリカリカリカリ・・・
「幽霊が出てきたがってるよ。お姉ちゃん、開けてあげてよ」
引っ掻く音はますます大きくなり、ドンドン、ドカンと叩く音に変わりました。
「ほら、お姉ちゃん、出してあげなよ」弟が笑いながら言い、
暗い中でしたが、木の扉が大きく外側にたわんだんです。
私はほんとうに怖くなって、「○○、もうやめなさい!」って叫びました。
「ふふふふふふ、じゃあ、おしまい」弟はそう言い、
それと同時に、クローゼットの揺れはおさまって、音も消えたんです。

日常
弟は学校の勉強はとてもよくできました。家でも勉強してることが多かったん

ですが、ドリルとかの宿題以外は、ノートに書くということはしませんでした。
ただ教科書を読んでるだけ。でも、テストはほとんど100点でした。
あと、図工と音楽も得意で、絵を描くと必ず県の展覧会で入賞してました。
亡くなる前の年に描いた絵なんかは、文部大臣賞になったんです。それと、

ピアニカやリコーダーも上手で、始めて見た楽譜も練習なしに吹けたんです。
ときどきリコーダーで、すごく不安な気持ちになるメロディを吹いてました。
私が「何、その気持ち悪い曲?」と聞くと、「僕がつくたんだよ」と言いました。
「なんて名前?」 「うーん、たましいの底をのぞく、かな」
「怖いからやめて、もう2度と吹かないで」 「わかったよ、お姉ちゃん」
こんな感じでした。あと、家族で外出なんかしたとき、

弟を見て寄ってくる人がいたんです。ファミレスに行ったときですね。
新興宗教みたいな団体がいました。私たちが店に入っていくと、
「うお!」と、その人たちのリーダーらしき人が急に大声を出し、
立ち上がってぞろぞろやってきて、他のお客さんがいるのに、弟の前に

全員がひざまずいたんです。リーダーの人は「こんなところにおられるとは、
わたしどもをお許しください」そんな内容のことを言ったと思います。
弟は「やめてよ」と言い「はっ」その人たちは立ち上がって店を

出ていったんです。また、あるときなんかは、私たち家族が信号待ちを

してるとき、道の向こうにいたお坊さんが「あっ!」と声を上げ、私たちの

ほうに向かって手を合わせ、お経を唱えだしたこともあるんです。はい、

その頃には、私も弟が「特別な人」なんだってことはわかってきていました。

死と葬儀
さっき言ったように、私と弟は一つの部屋で2段ベッドで寝ていたんですが、
弟が亡くなる直前、「僕、一人で寝たい」って言い出したんです。
両親は弟の言うことは何でも聞いてましたから、和室に弟の机と布団を

運び込んで、そこで寝るようになりました。これは私も大歓迎でした。
部屋が自分ひとりで使えるからというより、あのクローゼットのことが

あってから、弟のことが怖かったんですよ。それから数日後ですね。最初に

話したとおり、弟は朝起きてこなくて、母が見にいくと息をして

なかったんです。こう言うとなんですが、両親は・・・悲しんでいたと言うより、
ほっとしてるように見えました。それで、葬儀ですが、うちはいつもお盆に行く
お寺があったんですが、そこの住職さんには来てもらわなかったんです。
火葬した弟の遺骨を持って、次の日曜日、家族で四国のある山に行きました。

苦労して山頂近くまで登ったら、そこに白い着物を着た人が大勢いたんです。
そうですね、今だったら修験者ということがわかります。あのほら、山伏の

格好をしてホラ貝を吹いたりする。その人たちは、私たちの姿を見て手を合わせ、

その後、父から遺骨の壺を受け取りました。そのとき、修験者の人は

「長い間ごくろうさまでした、さぞ大変だったことでしょう」こんなことを

言ってました。その山頂には、大きな休火山の火口があるんですが、遺骨を

受け取った修験者は、その中を下に降りていって、弟の遺骨の灰を中に振りまいた

んです。ドーンという音がし、白い光があたりつつみ込んで、まぶしくて
目を開けていられませんでした。私たちは目をつぶったまま、それぞれ修験者に
手を引かれて山を降りていったんです。ある程度のところまで着て後ろを

振り返ると、山頂から太い白い光の束が、天に向かって伸びていたんですよ。