今回も刀シリーズですが、この内容は史実ではありませんので、ご注意下ください。
さて、源頼光はご存知でしょう。平安時代後期、10世紀から11世紀
にかけて実在した武将で、当時権勢を誇っていた藤原道長の側近の一人です。
その生涯は、不可思議な伝説に彩られています。

源頼光と酒呑童子の首(歌川国芳)


さて、この頼光の家来の中でも、特に武勇に優れたものを四天王といい、
「渡辺綱 わたなべのつな」 「坂田金時 さかたのきんとき」
「碓井貞光 うすいさだみつ」 「卜部季武 うらべのすえたけ」の4人です。
ただし、この中で、幼名を金太郎といって、民話の主人公となっている
坂田金時に関しては、実在の人物ではない可能性が高いようです。

そして、この主従のところには、「童子切安綱 どうじきりやすつな」 
「膝丸 ひざまる」 「髭切 ひげきり」の、3本の伝説的な
日本刀が集まっていました。この中で最も有名なのが、
大江山に棲む鬼、酒呑童子を斬ったとされる「童子切」でしょう。

一条天皇の時代、京の都から若い姫君が次々にいなくなり、
安倍晴明の占いで、大江山に住む鬼の仕業とわかった。
そこで帝は源頼光らを征伐に向わせた。
頼光らは山伏をよそおって酒呑童子の棲家に入り、
八幡大菩薩から与えられた毒酒「神変奇特酒」を童子らにふるまい、

酔って寝入ったところを首を斬った。
童子は首だけになっても、頼光に噛みついたが、
頼光は家来の兜も合わせて2つかぶっていたので助かった。(上図)
一行は、首級を持って京に凱旋し、首は宇治の平等院の宝蔵に納められた。

だいたいこんなお話です。このときに、酒呑童子の首を刎ねた刀が、
「童子切安綱」ということになっています。酒呑童子が鬼だったというのは、
もちろん伝説ですが、頼光が宣旨を受けて、大江山で賊を討伐したことは
記録が残っています。事実に尾ひれがついて、こういう話になったんでしょう。

さて、現在に残る実際の「童子切安綱」は、平安時代の伯耆国の刀工、
安綱作とされる日本刀で、刃長二尺六寸五分(約80cm)、国宝として、
東京国立博物館に所蔵されています。(下図)試し切りしたところ、6人の

罪人の死体を積み重ねて斬り、さらに土壇にまで刃がくい込んだと言われます。

「童子切安綱」


ただし、製作年代に関して、大江山の酒呑童子伝説よりも後につくられた
のではないかとする説が有力ですね。もちろん、日本刀としての価値はきわめて

高く、「天下五剣」の一つで、「大包平 おおかねひら」とともに、
「日本刀の東西の両横綱」とまで言われています。

次に、「膝丸」ですが、これは筑前に住む唐国の鉄細工師が、
八幡大菩薩の加護を得て、「髭切」とそろいで作った二尺七寸の太刀とされます。
名前の由来は、死罪人の首を斬ったところ、
首と同時に膝の皿まで切り落としたということからです。

この刀も頼光が持っていたもので、もちろん伝説があります。
頼光が病にふせっていたところ、枕元に身長7尺の怪僧が現れ、縄を放って
頼光をからめとろうとした。頼光がなんとか膝丸を抜き放って、怪僧に斬り

つけると、僧は逃げていったので、翌朝、頼光が四天王と血の跡をつけて

いくと、巨大な蜘蛛が死んでいた。頼光は蜘蛛を鉄串に刺して河原にさらした。
・・・このことによって、刀の名は「膝丸」から「蜘蛛切」に変えられます。

土蜘蛛


さて、3本目の「髭切」は、四天王の一人、渡辺綱の所持刀で、
上に書いたように、膝丸とセットでつくられたもので、こちらは、
囚人の首を斬ったとき、その長い髭まで斬れたことから名づけられました。

綱が、夜中に京の一条戻橋たもとを通りかかると、
美しい女性がおり、夜も更けたので家まで送ってほしい
と頼まれた。綱は怪しいと思いながらも、それを引き受け馬に乗せた。
すると女はたちまち鬼に姿を変え、綱の髪をつかんで愛宕山の方向へ飛んだ。

綱は、空中で鬼の腕を太刀で切り落とし、なんとか逃げることができた。
鬼の腕は、摂津の国の渡辺綱の屋敷に置かれていたが、
綱の義母に化けた鬼が取り戻した。この鬼は、酒呑童子の一の家来、
「茨木童子 いばらぎどうじ」とも言われています。
この事件によって、刀の名は「鬼切」と改められました。

渡辺綱と鬼


さてさて、このような伝説ができあがったのは、「源氏重代の守り刀」という
思想があるためです。武家である源氏が、代々にわたって子孫に伝える、
家門を守護するための刀ということですね。後に、膝丸は源義経、
髭切は源頼朝の佩刀になったとも言われますが、伝説の域を出ません。

あと、優れた日本刀は、多かれ少なかれ、このような伝説をまとっています。
これは、日本刀には、「名物 めいぶつ」としての役割があったからです。
名物は、著名な茶器などもそうですが、手柄を立てた家臣に、
土地を与えることができなかった場合など、その代りに下されるものでした。

いわば、ステータスシンボルとしての意味があったわけです。
それには、大げさな伝説があればあるほど価値が高いんですね。
この他にも、伝説を持っている日本刀はまだまだありますので、いつかご紹介する
機会もあるでしょう。ということで、今回はこのへんで。