今回は比較的軽い3題話ですが、これって妖怪談義になるのか、
それとも古代史になるのかなあ。まあ古代史といっても
眉唾ものの内容ですが。古代の吉備地方(岡山県を中心とした地域)に、
あるとき、空を飛んで巨大な鬼がやってきました。

真っ赤な髪をして、身長は一丈四尺(約4,2m)もあったとされます。
鬼は温羅(うら)という名前で、現在の総社市に鬼ノ城(きのじょう)という
城を築き、近辺を荒らし回りました。これを伝え聞いた大和朝廷は、
温羅を討伐するために吉備津彦を派遣しました。

 



吉備津彦命は第7代孝霊天皇の皇子で、四道将軍の一人です。
四道将軍は、大和朝廷が勢力圏を広げるために全国に派遣した
4人の武人。吉備津彦は温羅との戦いに備えて、
楯築(たてつき)遺跡に砦を築きました。

楯築遺跡は鬼ノ城の近くにある2世紀後半から3世紀ころの
弥生墳丘墓で、双方中円形をしています。○の両脇に□がくっついた、
腕時計のような形といえばわかりやすいでしょうか。全長72m、
2世紀当時としては最大規模の大きさで、
吉備の大王の墳墓と考えられます。

 

桃太郎



さて、吉備津彦は弓矢で温羅を攻撃するものの、温羅が石を投げて
矢を撃ち落としてしまう。そこで一つの弓に2本の矢をつがえて
射たところ、一本が見事に温羅の目に突き立った。
温羅は驚いて雉に姿を変えて飛び立ったが、

吉備津彦は鷹に変身して追いかける。温羅はさらに鯉になって
川に逃れたものの、鵜に変身した吉備津彦によって捕らえられ、
ついに首を斬られてしまう。しかし、温羅は首になっても泣き喚き、
そこで吉備津彦は吉備津神社の釜殿の釜の下にその首を埋めた。

 



現在、この吉備津神社では鳴釜神事といって、釜の鳴り方
によって吉凶を占っていますが、これはその下に埋まっている
温羅の首の霊力によるものとされています。そういえば、
時代は違いますが、同じように朝廷に反抗した平将門も、
首になっても喚き続けたと言われていますね。

これは朝廷に反逆したものの末路を表しているんでしょうか。
上田秋成の『雨月物語』には「吉備津の釜」という
怪談がありますが、吉備津神社の鳴釜神事が、
筋の上で重要な役割を果たしていました。

さて、温羅を見事退治した吉備津彦ですが、民話「桃太郎」の
モデルであるという説があるんです。桃太郎が行った鬼ヶ島は温羅の
鬼ノ城。おともに連れた犬、猿、雉は、犬飼健(いぬかいたける)
楽々森彦(ささもりひこ)留玉臣(とめたまおみ)の3人の家来で、

 

吉備津の釜



キビダンゴは黍団子(とうきびの団子)ですが、
これは吉備団子でもあるのです。岡山県は現在でもトウモロコシの
名産地で、また桃の産地としても有名です。
うーん、どうなんでしょう。吉備津彦は実在するとしても、

少なくみても1500年以上前の人物です。そういう人の
伝説が民話に姿を変えて現在まで残っているのだとしたら、
これはなかなかスゴイことだと思います。ただ、
古い桃太郎伝説は岡山県以外に、愛知県や香川県にもあります。

さてさて、最後に邪馬台国ですが、
ここからの話は邪馬台国畿内説にのっとったものですが、
九州説その他の方はどうかお気を悪くなさらないでください。
半分冗談みたいな内容ですから。

 

きびだんご



まず、最初のほうで出てきた楯築遺跡は、邪馬台国の前身であった
国の王のものであるとする説があります。畿内説の邪馬台国
候補地は、ほとんどが奈良県桜井市の纏向遺跡ですが、
卑弥呼の墓ともされる箸墓古墳(箸中山古墳)からは、

吉備で発祥した特殊器台とよばれる土器が出土しています。
纏向遺跡は2世紀最後半に突如として現れた巨大遺跡であり、
吉備の勢力が中心になって築いたというのは、
あってもおかしくないと思います。

さらに、吉備津彦の姉は倭迹迹日百襲姫(やまとととひ ももそひめ)
といって、記紀では箸墓古墳に葬られたことになっています。
シャーマン色の濃い女性で、畿内説ではこの人物を卑弥呼に
比定する研究者も多いんです。

 

楯築遺跡



それと、『魏志倭人伝』(三国志 魏書 東夷伝 倭人の条)
では、卑弥呼が魏に難升米(なしめ?)という人物を遣使していて、
その後さらに派遣されたものの中に、伊声耆(いせき?)
掖邪狗(えやく?)の名があります。

倭迹迹日百襲姫には吉備津彦の他にもう一人、稚武彦(わかたけひこ)
という弟がいます。この弟2人が、上記の伊声耆・掖邪狗ではないか
とする説があるんです。なんだ名前がぜんぜん違うじゃないか、
と思われるでしょうけど、吉備津彦の本名は、彦五十狭芹彦
(ひこいさせりひこ)で、男を表す彦を取ってしまえば「いさせり」です。

伊声耆(いせき)に似ているといえば言えなくもないでしょう。
また、掖邪狗は「ややこ」と読んで、若々しい赤子のような男子という
意に取れば、これが稚武彦ということになります。
ただの言葉遊びじゃないか・・・まあ、自分もそう思うんですが、

ちょっと面白いのでご紹介しました。あと、桃太郎の桃ですね。
纏向遺跡では、一カ所から2千個以上の桃の種が出土しました。
これは単なる食べカスではなく、同じ場所から祭祀用の
土器等が出土してますので、何らかの祭祀、

神事に使われたものと見て間違いないのです。時代もほぼ卑弥呼が
活躍した年代のものであるとされます。桃が神聖な果実として
尊重されていたのは間違いないでしょう。そして桃は、桃太郎(吉備津彦)
のモモであり、また倭迹迹日百襲姫のモモでもあるのです。

温羅の面