あ、ここで怖い話をすれば謝礼がもらえるんだよな。いや、

俺もまずったことに、金がねえんだよ。ここんとこ、何をやってもダメだ。
すべてがうまくいかねえ。ああ、秘密は厳守してくれるんだよな。
これ、漏れちゃいけねえ話なんだ。そうか、よろしく頼むよ。
そのかわりって言うか、嘘は一つもねえことだから。

あれは、俺がまだ20歳を少し過ぎたばかり。正式に盃はもらってたが、

組の中では一番下っ端のペーペーの使い走りだった頃だ。盆暮れのつけ届けを

やってたんだよ。ほら、俺らは義理ごとを大事にするだろ。冠婚葬祭は

もちろんだが、歳暮や中元、これもすげえ大切なことなんだよ。昔はそういうのは

豪勢だった。梨でも巨峰でも、採れたてのはしりを贈ってた。あと、松阪牛とかな。

それが、暴力団排除条例がしかれて、すっかりダメになっちまった。


今や、組が贈る品物も、一般の家庭とかと何も変わりねえ、

タオルとか水ようかんとかになっちまった。ああ、スマンな。愚痴を言いに

来たわけじゃねえ。でな、俺が中元を配る先に、三島さんって家があった。

これな、70歳近いジイさんが大きな屋敷に一人で住んでて、
だいぶ前に引退した組の幹部だった人なんだよ。ああそう、大先輩ってわけだ。
うーん、一人暮らしだったのは、娘さんがいるって話だったが、

自分から縁を切ってるらしい。カタギに嫁いだからなのか、そこらへんの

事情はよくわからんな。でな、最初に行ったときはずいぶん怖い人だと

思ってたが、これが優しい人でね。俺みたいなチンピラにも、言葉遣いとか、

いろいろ気を遣ってくれた。だから、苦労した人なんだって思ってね。

悠々自適の生活みたいだったから、俺も先はこうなりたいなんて考えたもんだ。

まあ、今から思えばトンデモねえ間違いだったけどよ。
三島さんの屋敷は、平屋造りの立派な日本家屋で、広い庭があった。
場所は言えねえが、もちろん都内じゃねえよ。でな、初めて俺が訪れたときに、

三島さんは庭にある洋風の花壇に水をやってたんだ。「ご精が出ますね」

って愛想を言ったら、俺みたいなもんを屋敷に上げてくれてな。

でもよ、そんときにちょっと違和感があったんだ。

というのは、庭師が入ってる立派な日本庭園なのに、そこの水をやってた

一画だけ、素人がこさえたようなブロックに囲まれた花壇でな。

でな、組に帰ってから、当時の兄貴にそのことを話したんだよ。
そしたら、俺の言うことを聞いて、兄貴はちょっと顔をしかめたが、
何も言わなかった。まあ、同じ組の人間でも話せるような内容じゃなかったんだな。
 

で、それから5年経ったが、それでも俺はまだ25くらいで、やっぱり下っ端に

変わりねえ。まあ、つけ届けとかは、もっと下のやつがやるようになってたが。

ある日、だいぶ上の兄貴から話があったんだよ。「お前な、三島さん知ってるだろ。

前に歳暮とか届けに行ってたよな」 「ああ、はい」 「あの人な、

一人暮らしなんだが、軽い脳梗塞やっちまって、今、体が不自由なんだ。

それで、組のほうに話が来て、病院への送り迎えとか、買い物とかしてくれる
若い衆を一人貸してほしいってことで。それで、お前にやってもらおうと思ってな」
「かまわないスけど、介護とかできねえスよ」 「それはいらん、三島さん、
自費で看護婦とまかないの婆さんを雇ってるんだ。それが住み込みでつき添ってる。
だから、お前は車の運転くらいでかまわねえ」 「わかりました」
「でな、三島さんのあの屋敷な、もし死んだら、組にゆずってもらえるような話に

なってるんだよ。だから、絶対に三島さんの機嫌を損ねるようなことはするなよ」
「はい」 こんな感じで、三島さんの運転手をやることになったんだよ。

久しぶりに会った三島さんは、だいぶ老け込んでた。これは病気のせいが

大きいんだろう。愛想のよかった顔は表情がなくなり、話もほとんどしなかった。

あと、半身が麻痺して、看護婦の押す車椅子に乗ってた。仕事はけっこう

大変だったよ。買い物のほうは、看護師の渡すメモを見て買えばいいが、

通院は大変だった。今と違って、介護用の車両なんてなかったから。
三島さんの大きな体を抱えて車に乗せ、それから車椅子を折りたたんで乗せる。
そんな具合だ。でな、看護婦は、40代くらいの陰気な人だったが、
病院で、三島さんの診察を待ってるときに、こんな話をしたんだよ。
三島さんは、眠剤を飲んて10時前に寝るんだが、

12時過ぎ、看護婦がもう休もうとすると、急にうなされ始めるときがある。
それは毎日じゃないし、1時間ほどで収まるが、
そのときに、庭を誰かが歩き回ってるんじゃないかと思うって。
もちろん広い屋敷だから、歩いてる音が聞こえてくるわけじゃねえが、
最初にまかないの婆さんがそれに気づいたって言うんだな。
黒い影が何人かで庭を歩いてるって。まさかと思った看護婦が、
三島さんがうなされてるときに、廊下に出てガラス越しに庭を見ると、

たしかに何かが動いてるように見えたんだと。それ聞いて俺は、「いや、あんな

高い塀だし、門の鍵も厳重。人が入るとかありえねえですよ」って言った。

けどよ、もしそういうことがあったら、俺の責任問題にもなりかねねえ。
だから、1回、俺も泊まり込んで様子見ようってことになったわけ。

でな、1日目は何もなかった。で、翌日、三島さんがうなされ始めたって聞いて、
庭を見ていると、ザッコザッコ、人が歩くような音がかすかに聞こえた。
で、俺は用意してた木刀を持って、サッシ戸を開けて庭に降りた。
すると確かにザッコザッコ聞こえてくる。「誰だ、コラ」懐中電灯で照らしたが
何も見えない。とにかく音のするほうに駆けてくと、背筋がぞくぞくっとした。
俺も商売柄、さんざんよくねえことはしたが、あんな感じは初めてだったな。
ましかし、幽霊か何か知らねえが、そんなのにブルってるわけにはいかねえだろ。
「いるなら出てこいや」そう叫ぶと、オオオオ~ンって何とも言えない音がした。
いや、人の声じゃねえ。そっちに向かって走ると、足をとられて転んだ。
下が玉砂利から、土に変わったんだな。あの、三島さんがよく水をかけてた

花壇だよ。それっきり、何の気配もしなくなった。

屋敷に戻ると、看護婦が出てきて「発作が治まりました」って言った。
でな、朝になって庭を見に行くと、花壇の柔らかい土に、俺の靴の跡の他に、
足跡とも何とも言えねえ、尖ったものを突き刺したような跡がたくさんついて

たんだ。いや、何だかわからなかった。それからもう3日泊まり込んだが、
何も起きず、三島さんの容態も安定してた。それから1ヶ月後くらいかな。
俺が街にいるとポケベルが鳴った。当時は携帯はなかったんだよ。
それで、三島さんの家にこっちから電話をかけた。看護婦が出て、三島さんの

容態が悪いって言う。これな、組から救急車は呼ぶなって言われてたんだ。
それで、少し酒が入ってたが、車で三島さんの家に向かった。
ベッドのある部屋に入ると、三島さんの顔が黒くなって、
「うあ~、うあ~」って叫び声を上げてたんだ。

これは車椅子に乗せてる暇はないと思って、俺が抱きかかえて車まで

運ぼうとした。そしたら、建物を出たときに庭に何かがいて、前に聞いた
「オオオオ~ン」って声を出したんだ。俺の足が止まったとき、
三島さんが急に正気に戻ったように、その声のするほうに向かって、
「あんだけ世話してやったろう、何で感謝しねえんだよ」
こういう意味のことを叫んだ。オオオオオオ~ン。
俺は足を早め、看護婦といっしょになんとか三島さんを車に乗せ、
いつもの病院の救急外来に運んだ。けどな、三島さんはまた脳に出血が
あったみたいで、その夜のうちに死んだんだよ。
まあ、これでだいたい話は終わりだ。俺は事務所に連絡し、
その後の処理は組のほうで全部行うことになった。

でな、私物を取りにいったときに見たら、例の花壇に、等間隔で4つ穴が

空いていた。大きなものではなく、やっと人の頭がくぐれるくらいの穴で、
その中は黒々としてたな。こっからは後で兄貴から聞いた話だ。「三島さんな。
引退してからは落ち着いた暮らしだったが、若い頃はずいぶんと

強(こわ)い人でな。都合、20年以上ムショに入ってる。まあそれは、正式に

罪をつぐなった分で、プライベートでも4人殺(や)ってたんだ。で、あの屋敷の

庭に埋めてた。組でな、あの屋敷を遺産としてもらった後、遺体を掘り出して

内々に処理した。その後、神職を呼んでお祓いまでしてもらったんだ。

まあ、あの屋敷はつぶして、土地を売って今はスーパーになってるけどもな」
なんとなく、そんなことじゃないかとは思ってたが、あらためて聞くと怖いよな。

あの花壇に花を植えて水やってたのは、三島さんなりの供養だったのかね。