こんばんは、宮田ともうしまして、中古車販売の会社を
やっております。今から話しますことは、私が小学校6年生のとき
ですから、もう40年以上前の出来事になります。
当時・・・野間という友だちがいまして、家が近所でしたので、
幼稚園の頃から知ってて、いつもいっしょに遊んでました。
ええ、親友と言ってよいと思います。で、6年に進級した4月、
野間が塾に行くことになったんです。進学塾です。
野間は私と違って頭がよく、成績はつねにトップクラスで、
両親が私立の中学に進ませたがっていたんです。
それに対し、私はせいぜいが中の上でしたし、家も父親が普通の
会社員でしたから、公立中学に行くつもりでいました。

これはけっして、野間がうらやましかったということではなく、
ずっと兄弟のようにして過ごしてきたのが、遊ぶ機会がなくなって
残念だと思って・・・私は思い切って、両親に野間といっしょの塾に
行きたいって言ってみたんですよ。そしたら、父は大人に話すように、
少し考えさせてくれと答え、数日後の夕食のときに、
行ってもいいって言われたんです。お前がそうしたいなら、
私立の中学でもかまわないが、ただし絶対合格できるっていう
成績が取れたらだぞ、って。まあ、こんな事情で、新年度から、
放課後は野間といっしょに塾に通い始めました。その塾は
小学校よりも遠く、週4日で、社会以外の全教科を教えてました。
時間は5時から7時までで、学校が終わったらそのまま行ったんです。

ですから、行くときはいつも野間といっしょで、帰りは親が迎えに来る。
塾は場所のせいもあって、他の小学校の生徒が多かったです。
で、その塾に行く途中、林の中を通っていく近道があったんです。
大きな運動公園になってる山があって、そのふもとの林道。
道はせまく、車は通れるけど、通ってるのは見たことがありませんでした。
街灯もなく、もし大人が知ってたら、そこは通るなと言われたと思います。
あれは5月、先生方の研究会かなんかで、午後の2時過ぎに学校が
終わったときのことです。いったん家に戻ってもよかったんですが、
野間が「なあ、あの林道の道な、コンテナみたいなのが落ちてる
じゃないか。あれ、ちゃんと立てて、僕らの秘密基地にしないか」
こんなことを言い出しました。はい、林道の脇の木の中に、

四角い金属製の大きなものが傾いた状態で置いてあったんです。
今思えば、コンテナではなく簡易型の物置でしたね。
どうしてそんなとこに置いてるのかわかりませんでしたが、
不法投棄だったのかもしれません。それで、そのときにいっしょに
見てみたんです。斜面にあるので傾いてましたが、上下はそのままでした。
子ども2人でも押して動くほど軽かったです。扉がついてて、
開けてみると、中は金属の角パイプにトタンを張った状態で、
畳2畳ほどの広さがありました。それを、草の上をずりずり押し動かして、
平らなとこまで移動しました。入ってるものはなく、
窓もありませんので、扉を閉めると真っ暗にまります。それとね、
トタンですから5月でも中は強烈に暑かったですね。

でも、私も野間も大満足でしたよ。ねえ、男の子どもって、そういうのに
あこがれるものじゃないですか。「下に敷物がいるな、今度のとき、
家から何か持ってくる」 「あ、じゃあ僕はマンガ持ってくるよ」
こんなことを言い合って、すごくワクワクしてたんです。
ふだん塾に行くときは時間がないけど、道々見ることができるし、
次の日曜は昼からずっとそこで過ごそうって話になりました。
で、塾に行ってからもその話をしてたんです。そのときは理科の
プリントをやってたんですが、小さい声で話してると、
後ろから「へええ、秘密基地か、いいなあ」って声がして、
驚いてふり向くと、油井先生が立ってたんです。油井先生は、
塾の理科の先生で、齢はそうですね、30代くらいだったでしょうか。

すごく顔が小さくて髪はオールバック、大きくて分厚いネガネをかけてて、
どことなく爬虫類みたいな印象がありました。怒られるか、と思いましたが、
「秘密基地の場所はどこ?」と聞かれたので、正直に答えました。
そしたら「ああ、あそこの林道は知ってる。そのコンテナ、鍵がついてて
中に閉じ込められたりしないよね」 「大丈夫です」
「じゃあ危険はないか。そうだ、じゃあ先生が秘密基地に、うちであまってる
テレビを寄付しよう」こんなことを言い出したんです。
私が「あ、でも先生、電源ってないですよ。テレビがあっても見られません」
そう言うと「ああ、そうかあ。じゃあ、中にバッテリーを入れておくよ。
先生、そういう機械いじりは得意だから。明日は塾休みだし、
車で運んでおくから」 「ありがとうございます」

でもこれも、今から考えると変ですよね。当時は車のバッテリーでも
性能は低く、発電機でもないかぎり、長時間テレビが見られるなんてことは
なかったと思います。で、次の塾の日に野間と林道を通り、
基地の中を見たら、奥に昔の小さめテレビが置いてあったんです。
「あ、先生、約束を守ってくれたんだな」 「塾でお礼をしよう」
スイッチを入れたらテレビはつきました。室内アンテナなので映りは
悪かったですが、ちゃんとその時間帯の番組をやってたんです。
ですが、塾に行ってみたら、その日 油井先生はお休みで、他の先生に
聞いたら、具合が悪いという連絡があったってことでした。
で、待っていた日曜日になったんです。親には、お互いの家で
勉強すると嘘をついて、リュックにはマンガを入れて落ち合い、

林道の秘密基地に向かいました。時間は2時過ぎで、そのときは
曇り空でしたけど、雨になりそうな様子はなかったんです。
基地について、さっそく野間が持ってきたブルーシートを広げて
寝そべりました。油井先生のテレビをつけてみたんですが、
最初にパッと明るくなっただけで、その後は映りませんでした。
「ああ、やっぱバッテリーじゃダメだよな」 「機械が得意って
言ってたけど、さすがに無理だよね。次、塾に行ったときに
映らなくなったって言おう」それから1時間くらいいろんなことを
話し、飽きてきたのでマンガを交換して読んでたんです。
5月にしては気温の低い日だったんですが、4時頃にポツンポツンと
雨が降り出し、あっという間に土砂降りになったんです。

「わー困ったな、これじゃあ帰れないや」家までは30分は
かかるので、その間にびしょ濡れになってしまいます。野間が扉から
顔を出し、「空はそんなに暗くない。そのうち晴れるんじゃないか」
でも、雨はますます激しく、草の斜面を流れ落ちるまでになりました。
今でいう、ゲリラ豪雨ってやつだったと思います。
それだけじゃなく、ピカッ、ドーンと雷が鳴り出しました。
「うわわ、近いぞ」 「この基地、金属だし、落ちるんじゃないか」
「大丈夫だろ、木のほうが高い」 「やまなかったらどうする?」
「濡れるのを覚悟で走るしかない」こう言い合っていると、
次に稲妻が光ったタイミングで、基地の中が青くなったんです。
テレビがついてました。でも、映ってるのは青い画面だけ。

「あ、こりゃいいや。番組が映らなくても明るくなる」 開けてた扉から
強い雨が入ってきてたので、数cmだけ残して閉めました。
そのとき、テレビに私らの基地の外が映ったんです。すごくはっきりと。
「えっ??」 そんなはずないですよね。誰かがテレビカメラで
撮ってそのテレビに中継してるなんてありえない。画面を見てると、
雨の中を、人が基地に向かって傘もささず歩いてきます。
油井先生だと思いました。顔に、濡れた髪が張りついてましたが、
メガネでわかりました。「え、え、どういうこと? ここの前に油井先生が
 来てる?」 「そんなバカな」急に油井先生の顔が大写しになりました。
油井先生は首のあたりに両手をかけ、下から上にゆっくりと顔を
めくっていきます。ネガネが下に落ち、出てきたのはトカゲの頭でした。

「うわあああ」 「ここの前にいる!」ドガーン、強い衝撃がありました。
近くに雷が落ちたんだと思います。そこで私は気を失い、どのくらいたった
でしょうか。気がつくと脇に野間がうつ伏せに倒れてました。
雨はやみ、外は明るくなってるようでした。野間を揺すると目を覚ましたので、
2人でおそるおそる扉を開けると、外には何もいなかったんです。
あと、テレビのブラウン管が黒く煤けたようになってましたね。
私たちは転げるように走って家に戻りました。まあ、こういう話なんです。
親には基地のことはバレず、怒られませんでした。次に塾に行くと、
理科は別の先生になってて、油井先生は辞められたと聞かされたんです。
この後、私は結局公立中に行き、私立に行った野間とは疎遠になりました。
野間は東大から政府の宇宙科学研究所に進み、今はそこのトップなんです。