その日は朝からドキドキしていたんです。あ、すみません。最初に自己紹介を
しますね。私は秋山翠華といいます。14歳、中学2年生です。その日の夜は
町内にある八幡社の例祭・・・夏祭りがあったんです。屋台がずらっと出るし、
舞台でカラオケ大会もやる盛大なものです。子どもの頃からいつもうらやましいと
思っていました。というのは、私の父は同じ町内にある、そことは別の
稲荷神社にお使えする神職だったからです。でも、神社の規模としては
ずっと小さく、うちの神社では、秋の例祭はやりますが、氏子さんだけで、
人出が少なくて夜店なんて出ることはなかったんです。そのことを父に
尋ねたことは何度もありました。そしたらそのたびに、「うちのお稲荷様と
八幡神社は昔から仲が悪いんだよ。このせまい地域で信者を取り合って
きたからね。けど、明治の頃から、向こうのほうの信者が多くなって、

もうずいぶん氏子さんの数も差がついてしまった。しかたがないことなんだよ」
こんなふうに言われたんです。それで、今まではお祭りにも行ったことは
なかったんですが、今夜初めて出かけるんです。じつは、同じ中学校の男子から
お祭りに誘われて、それが2回目のデートだったんです。父にお祭りに

行くことを話したら「いや、別にかまわないよ。神様どうしは確かに仲が悪いが、
人間は別に仲違いする必要はないし、問題はない」と許可が出て、お小遣いも
もらえたんです。それで、ずっと夜になるのを楽しみにしていました。
じつはこの日のために新しい浴衣も用意してあったんです。アニメの柄の
安いものでしたが。夕方6時になって待ち合わせの場所に行くと、
もうすでに彼が来ていました。それからぽつりぽつり学校のことや
アイドルのことなどを話し、最初はぎこちない感じだったんですが、

だんだん会話がはずんで、このままずっと話をしていたい、そんな気分になった
んです。2人で、屋台の焼きそばやチョコバナナを食べたり、
ヨーヨー釣りをしたりしたんです。彼は私の浴衣をきれいだと言ってほめて
くれました。人でごったがえすせまい通りを並んで歩いていると、
奇妙なことに気がつきました。そのあたりは企業が所有するグラウンドの
近くで、ふだんは寂れた場所だったんですが、その日だけはたくさんの人が
出ていました。そのグラウンドのバックネットの隣に、アパートが集まった
一角があり、その上のほうに煙のようなものが立ちこめ、わだかまって渦を
つくってるのが見えたんです。これは何だろうと思いました。夜なんですが、
その日は居並ぶ屋台の照明で明るく、それで見えたんだろうと思いました。
しかも、その煙の雲の中に、たくさんの腕を持った青白いものの姿が見えた気が

したんです。彼に「あそこ、煙みたいなのがあるけど、見える?」と聞いたん

ですが、彼には見えないみたいでした。これはただごとではない、と思いました。
父に知らせなくちゃいけない。でも、今、デートの最中なんだし・・・どうすれば
いいか迷いましたが、やはりこのままにはしていられない。そう決心し、彼に
「あ、ごめん、家に大事な忘れ物しちゃった。ちょっと取りに行ってくる。
すぐ戻るから、ここで待ってて」こう言ったんです。彼はついてくると
言いましたが、そういうわけにもいかないので「別にただ取ってくるだけだから」
そう言って、草履を履いた足で家まで走ったんです。父はテレビを見ながら
晩酌をしていましたが、私が息を切らしているのを見ると笑って、
「おや、やけに早いじゃないか。ははあ、彼とケンカしたのか」と言いました。
「そんなんじゃなくて」私が事情を話すと、父は真顔に戻り「不思議な煙?

中に人のようなものが見えた? それはよくないことが起きてるのかもしれん。
ただ、あのあたりは今、お祭りをやってる八幡様の管轄だ。うちで下手に
ちょっかいを出すわけにもいかんから」そう言って、家に隣にある神社の
鍵を開け、いつもは竹筒の中にしまっている眷属・・・使い魔の小さな狐を
放して八幡神社に知らせたんです。狐たちは飛ぶように疾走っていき、私は
その煙がある一角の前、彼を待たせてあるところに戻ったんです。
見ると、やはり煙はあり、それが動くたびにちらちらと人の姿が見える。
それはインド人のような女性で、たくさんの手に剣を持って踊っていたんです。
なんだかわかりませんでしたが、その不気味な肌の色と禍々しい踊りの
動きから、悪いものだろうということはわかりました。そろそろ使い魔が
八幡様に着いたころだろう。そう思って、彼を誘ってお参りに行って

みることにしたんです。八幡社はそこから歩いて10分くらいで、境内は人で
ごったがえしていました。そこに並んで、拝殿の前で2人で手を合わせたんですが、
そのとき頭の中に声が響いてきたんです。「お前は稲荷神社のところの娘だな。
狐等から話は聞いた。よく知らせてくれた。このような近いところで
大それたことをするやつがいるものだ。すでに手は打ってある。安心するがよい」
手を打つって、どうするんだろう。何が起きるんだろう。そう考え、彼に
さっきの場所に戻るように言ったんです。彼は「どうしてあんなとこに
こだわるんだ?」と不思議そうでしたが、「あそこの屋台で売ってたTシャツで
気に入ったものがあったから」とか言ってごまかしたんです。行ってみると、
さっきより人がたくさんでした。通りから道を一つへだてたアパートの
一つから火の手が上がっていたんです。火は窓から空に高く上がり、

さっきまで不思議な煙のあったところに届いていて、それと火事の煙が
混じって、中のものの姿は見えなくなっていたんです。道で何かを叫んで
いる一団がありました。5,6人ほどの外国人の男性で、普段着の
ままでしたから、アパートから焼け出された住人だったんではないかと
思います。そうしてるうち消防車が到達し、いっせいに放水が始まって、
火事は比較的短時間で消火されたんです。異様な臭いが立ち込めていました。
・・・これはあとになってわかったことなんですが、そのアパートでは
全部の部屋の住人が外国人で、大家さんが高齢なのをいいことに、アパートの
ベランダや室内を使って、麻薬の元となる植物を栽培し、精製まで
していたそうなんです。そこでは祭壇に異教の神も祀られていたという
ことだったんです。外国人の大部分は逮捕されました。

こんなことがあったんです。彼は「あの火事はすごかったね。もしかして、
火事になってるってことがわかってたの?」と聞いてきましたが、私は
「そんなわけないじゃない」とごまかしました。それで、お祭りは10時すぎ
には終わり、だいぶ人は少なくなっていました。私は、彼が家まで送ると
いうのを断って、八幡神社にお礼をしにいったんです。境内には人が
パラパラといるだけになっていましたが、まだ、篝火は焚かれてあり、
たくさんのロウソクも灯っていました。私が拝殿の前で報告をすると
さっき聞いた声がまたしてきて「今日はご苦労であった。まさかこの界隈で
あのようなことがなされているとは、油断であった。それで、どうだ。
稲荷社とはずっと仲が悪かったのだが、そろそろ仲直りして、来年から
祭りは共同でやるようにしたらどうだろうか」こういう内容だったので

「帰って父に相談してみます。ありがとうございました」と心のなかで答え
たんです。それから、帰る間際におみくじを引いてみたんですが。結果は
末吉と、可もなく不可もなく、ただ恋愛運のところは「恋は急がねば成就する」
と書かれていたんです。まあ、こんな話なんですが、まだいくつか
夜店は残っていましたので、眷属の狐たちのためにおいなりさんの入った
パックを2つと、あとは自分のために狐の面を買って帰ったんです。
家では父に「心配しておったが、向こうからもお使いが来て、だいたいの
話は聞いたよ。それにしても、難しい世の中になったもんだなあ」と言ったんです。
その後に「デートはどうなった?」と聞いてきたので、「うん、楽しかったよ」
とだけ答えました。父は「そうか・・・」とだけ言い、私が買ってきた狐の面を
しげしげと見ていたんです。これで終わります。