魔女は肉体の復活を妨げるため火刑にされることが多かった

今回はこういうお題でいきます。悪魔学なんですが、
新しいカテゴリとして「オカルト人物伝」のようなものを
作ったほうがいいのかもしれません。さて、魔女狩りは
ご存知でしょう。例によってWikiを見ますと、

「魔女とされた被疑者に対する訴追、裁判、刑罰、
あるいは法的手続をへない私刑(リンチ)等の一連の
迫害を指す。魔術を使ったと疑われる者を裁いたり
制裁を加えたりすることは古代から行われていた。
ヨーロッパ中世末の15世紀には、悪魔と契約して

キリスト教社会の破壊を企む背教者という新種の
「魔女」の概念が生まれるとともに、最初の大規模な
魔女裁判が興った。そして初期近代の16世紀後半から
17世紀にかけて、魔女熱狂とも大迫害時代とも呼ばれる
魔女裁判の最盛期が到来した」



長く引用しましたが、こんな感じです。で、これまで、
魔女狩りは主にカトリック教会が中心になって行われた
と考えられていたんですが、近年の研究によって、
そうでもないことがわかってきました。

カトリックには異端審問がありますが、そこで裁かれる
のは、あくまでキリスト教の教義に反するものについてで、
呪術を行ったとされる魔女を取り扱うのは管轄外だったんです。
もちろんキリスト教側は魔女とされた人物を迫害しましたが、
多くの魔女狩りは、民衆の手によって行われたんです。

マシュー・ホプキンス
かCDVDSV

これは重要な事実です。また、魔女狩りはヨーロッパ全土で
行われたとも考えられてましたが、そうではなく、地域に
よってかなりの温度差があったようで、現在の東欧と
される地域で魔女狩りは特に激しかったようです。
さて、今回ご紹介するのはイングランドでの出来事。

17世紀の話です。当時、フランスやドイツでは、
魔女の裁判は地域の教会が裁く形から、一般裁判所に
移されてきていました。しかし、イングランドは、
清教徒革命またはピューリタン革命と呼ばれる内乱で
大混乱していました。

そしてその時期と重なる形で、魔女狩り将軍の活動が 
始まったんですね。この将軍というのは自称で、
イングランド国から正式な位を受けていたわけでは
ありません。名前はマシュー・ホプキンスといいます。



マシューは、清教徒の牧師ジェイムズ・ホプキンスの
息子としてサフォークで生まれ、一時は弁護士をしていた
とされます。おそらく頭のいい人物だったのでしょう。
彼は主にイングランド東部で活動し、政府から依頼されたかの
ように偽装して、村々で魔女裁判を行いました。

そして多額の費用を徴収して荒稼ぎし、とてつもない蓄財を
したとされます。彼が告発して処刑された魔女の人数は
およそ300人で、これはイングランド全体で魔女の
魔女の死刑の3分の1にあたる数です。

マシューが使用した水責め機
キャプチャ

魔女として告発された多くは、貧しく身寄りのない年配の
女性でした。また、この告発はその地域の民衆によって
行われたものが多いんです。魔女裁判では、水は清浄なもので、
魔女は受け入れないため水に浮くという伝承があり、彼は
魔女とされた人物を川などに投げ込み、

浮かんできた者は有罪としました。これはおそらく、
何らかのトリックがあっただろうと考えられています。また、
魔女は集会サバトのときに、悪魔から体のどこかに
印をつけられるとされ、これを取り入れたのが
『ハリー・ポッター』に出てくる死喰い人の印です。

インチキ針
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その印の部分は、針を刺しても痛みを感じず、魔女の絶対的な   
証拠とされましたが、マシューが使った針は、
体に押し当てると、針の部分が柄の中に引っ込む仕掛けに
なっていました。これで魔女を量産していただけです。

しかし、このような非道なことが長く続くはずもなく、
あまりにやり過ぎてしまい、マシューを批判するパンフレット
が出回るようになり、魔女狩り将軍は廃業へと追い込まれます。
その後のマシューがどうなったかはよくわかりませんが、



伝染病で病死した、怒った民衆になぶり殺された、彼自身が
水責めにより刑死したなどの説があるようです。いずれにしても
歴史から消え去ったわけですね。1968年、この話は
イギリスで映画化されているようですが、自分は見てないので
詳細はわかりません。

さてさて、ということで、魔女狩りにおける いちエピソードを
見てきましたが、民衆の集団心理が暴走する恐ろしさが
際立ちます。ちなみに、現代でも、あるコミュニティ間で、
偏見にもとづいて行われる排除行為のことを「魔女狩り」と
言ったりしますね。では、今回はこのへんで。