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「妖霊星」と呼ばれたハレー彗星

今日は怖い日本史に分類される記事ですが、天狗が出てくるので、
妖怪談義とも関連があります。まず、「妖霊星 ようれいぼし、よろぼし」
とは何かというと、これは彗星のことです。ハレー彗星を指す場合が
多いようですが、その他の彗星もこう言われることがあります。

中国では紀元前から観測・記録されており、様々な史書に見られ、
日本で最古の記録は『日本書紀』天武紀に登場する684年のものです。
ただし、まだこの頃は、妖霊星という別称はなかったと思われます。
それ以降はちょくちょく日本の史書にも登場しますが、

不吉なもの、世が乱れる前兆と考えられ、陰陽師や寺社が
加持祈祷を行ったり、1145年出現のときには、
天養から久安に改元がなされています。この星は、大乱や
時の支配者の交代につながると考えられていたんですね。

それと、この星は「天狗」とかかわりがあるようです。元来、天狗とは、
古代中国では流星、隕石の類を指していました。天を走る狗(いぬ)、
または天つ狐(あまつきつね)などといって、動物的なイメージも
ありました。あの山伏姿で鼻の高い姿は、日本独自のもののようです。

『山海経』より天狗


妖霊星の名が有名になったのは、『太平記』からかと思いますが、
今、あまり太平記って読まれないんですよね。中高の国語の古典の
教材として『平家物語』は出てきても、太平記は取り上げられにくい。
たしかに平家物語は美文で、物語としての完成度も高いんですが、

それ以外にも、戦前に、太平記の楠木正成の勤王エピソードなどが、
大々的に取り上げられていたせいもあるかと思います。元寇の神風と
同様に、国粋主義的なイメージがくっついちゃったんですね。
さて、太平記に登場する妖霊星のエピソードは、

鎌倉幕府最後の執権、北条高時に関するものです。この人は
生来病弱でぼうっとしており、田楽踊りと闘犬のときだけ元気になって、
政治をないがしろにしていたと書かれていますが、太平記もまた
勝者の歴史であり、実際にそうだったかはわかってはいません。

『太平記』巻五、「相摸入道田楽を弄ぶ並びに闘犬の事」には、
高時が酒に酔って一人で田楽を踊っていると、どこからともなく、
座敷内に田楽法師の集団が現れ一緒に踊りだし、やがて曲調が変わり、
「妖霊星を見よや」と囃す声が聞こえてきました。屋敷の者がのぞき見ると、
踊っているある者は、嘴がかぎのように曲がってとんびのよう。

北条高時と化け物たち
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また、体に羽が生えて山伏のような格好の者もいます。
人間以外の化け物か妖怪どもが、人間の姿に身を変えているようです。
知らせを聞いて太刀を持った者が入っていくと、化物は一斉に姿を消し、
ただ高時一人が酔いつぶれて寝ていましたが、畳の上には、鳥や獣の
ものと思われる足跡がたくさん残っていました・・・と出てきます。

この後ほどなく、新田義貞の倒幕軍が鎌倉へ侵攻すると、
高時は菩提寺の葛西ケ谷東勝寺へ郎党と退いて自害します。
その人数は、北条一族と家臣で870人と伝えられていますが、
誇張もあるかもしれません。「腹切りやぐら」と呼ばれる
史跡が付近にあるものの、遺骨は発見されていないようです。

これにより、鎌倉幕府は滅亡したんですね。上の田楽の話は、
実際にあったこととは考えられませんが、羽が生えた山伏は
カラス天狗を思わせます。また、こういうエピソードもあります。
足利尊氏が征夷大将軍となり、京都に室町幕府を開いた翌年、
またしても夜空に妖霊星が現れました。

鳶のような姿で描かれる崇徳上皇
キャプチャ

『太平記』巻二十七、「雲景未来記」
羽黒山の雲景という山伏が修行で諸国をめぐり、愛宕山に登ったとき、
僧坊の奥に案内されると玉座があり、大勢の人が集まり座っていました。
上座には大きな金色の鳶が、そしてその右脇には、

大弓、大太刀を携えた大男が、左の席には、天皇の礼服を着て
金の笏を手にした方々が何人も座り、右の席には、
袈裟を着て水晶の数珠を持った法師が何人も座っていました。
雲景はおそれ、案内者に「これはどのような方達の集まりでしょうか?」
と聞くと、「上座に見える金色の鳶が崇徳上皇であられる。

右脇の大男が鎮西八郎為朝、左の席の上から、淳仁天皇、
井上皇后、後醍醐院、右の席は諸宗のすぐれた徳のある高僧の
方々が、悪魔王の棟梁となられて、今ここに集まり、天下を乱そうと
ご相談なされておる。」と楽しそうに答えました。

愛宕山と言えば天狗ですね。生きながら天狗と化したといわれる
崇徳上皇をはじめ、名前が出ているのはすべて、世に破れ
時をうらんで亡くなったとされる人ばかりです。
世を乱すための謀略に集まっていたのでしょうか。
実際にこの後、南北朝の動乱が起きていくんです。

幕末の妖霊星


次は幕末の妖霊星です。数年前放送されたNHKの大河ドラマ
『八重の桜』で、安政5年(1858年) に現れた妖霊星の話が
出てきていました。ただし、これはハレー彗星ではなく、
ドナティ彗星という星のようですが、

当時の人に区別はつかなかったでしょう。
これについてドラマの登場人物が、
鎌倉幕府滅亡時に現れた妖霊星と関連づけて語っていました。
やはり、ほどなくして戊辰戦争から明治維新となるわけですね。

さてさて、そろそろまとめますが、日本史の流れの裏筋の一つに、
「妖霊星ー政権交代ー天狗」という認識があったように思われます。
幕末で天狗と言えば『鞍馬天狗』ですよね。これは創作小説ですが、
鞍馬寺の本尊の一つである「護法魔王尊」は、650万年前、

ニュー・エイジ思想でも知られるサナート・クマラ


金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは
異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない
永遠の存在であると伝えられています。鞍馬山の天狗とは、
もともとはこの護法魔王尊(サナート・クマラ)のことだったようです。

また、鞍馬山といえば、源義経が牛若丸という名で、
カラス天狗に兵法を教えられて、少年期を過ごした場所としても
知られています。義経は平家を壇ノ浦で滅ぼし、
平家から源氏への政権交代の立役者となった一人です。

しかし、その源氏の世も長くは続かず、北条氏が実権を握るわけですね。
オカルト的に言えば、宇宙から来た天狗が歴史の要所要所で暗躍し、
空に妖霊星を出現させて、人間を操っていたということになるでしょうか。
まあ、さすがに宇宙人は言いすぎですが。長くなりましたが、このへんで。

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