今晩は、よろしくお願いします。わたし、山根と申しまして、
市役所に勤めてたんですが、4年前に定年退職いたしました。
今は一人暮らしをしてます。妻は5年前に、腎臓の病気で亡くなりました。
息子が一人いて、孫も2人いるんですが、東京のほうに出ておりまして、
仕事が忙しいため、毎年お盆くらいしか帰ってこれないんです。
まあ、お金のほうは年金と、わずかながら貯金もありますので、
生活に困るということはありませんが、やはり寂しくてね。
去年から犬を飼うようになったんです。犬種はチワワで、
市役所のときの同僚から、飼うことを勧められ、子犬をゆずってもらったんです。
最初はね、生き物を飼うなんてあまり自信がなかったんですが、
飼ってみるとこれがかわいくてねえ。

オス犬で、名前は「ヨシオ」にしました。これはね、わたしの初孫と
同じ読みなんですよ。おとなしい子で、めったに吠えることもありません。
ふだんは室内飼いをしてますが、毎朝、リードをつけて散歩に連れていきました。
これは、わたしの足腰が弱らないためのウオーキングもかねてです。
そんな長い距離じゃありません。朝の7時過ぎに、家の近所2kmほどを
40分くらいかけてゆっくり歩くんです。わたしの家は郊外にありまして、
交通量もそんなに多くはないんです。家を出て、まず近くの新興住宅地がある
丘に登ります。その中をつっきって降りてくると、
大きな運動施設に出ます。ある企業の厚生施設なんですね。
そのフェンス前をぐるっと半周して自宅に戻るんです。
でね、今日の話というのは、この散歩の途中にある神社のことです。

気がついたのはいつだったかなあ。ヨシオと散歩するようになって、
2ヶ月目くらいでしょうか。さっき話した企業の運動施設ね。
サッカー場と野球場があるんです。そんな立派なものじゃなく、
ナイター照明などはありません。で、この2つの敷地の間が林になってまして、
けっこうな高さのある杉の木が生えてるんです。その日散歩をしてましたら、
杉の木の中に赤い鳥居が見えたんですよ。「え、こんなところに神社があったか」
それまでまったく気がつかなかったので、不思議な気がしました。
そこ、ほぼ毎日通ってるわけですからねえ。鳥居の近くには、
狐の像やのぼりなどは見えませんでした。お参りしてみようかと考えたんですが、
そのときはほら、ヨシオを連れてましたでしょう。動物を連れて神社の敷地に
入るのは、よくないことなんじゃないかと思ったんです。

それでもね、鳥居の近くまで寄ってみました。細い参道がかなりの奥まで続き、
杉の枝の間に、お灯明が灯っている社殿がわずかに見えました。
でね、そのときに、ヨシオがすごく嫌がったんです。
ふだんは好奇心旺盛で、何にでも近づいていく子なんですが、
そのときは足を突っぱりまして、鳥居の近くまで連れてくのが大変だったんです。
でも、何を嫌がってるのかはわかりませんでした。その翌日です。
小雨まじりでしたが散歩に出て、昨日の神社のことを思い出して
林の中を見たら鳥居がないんですよ。「あれ」と思いました。
角度が悪いのかと、あちこち場所を変えてみましたが、どうやっても鳥居も

参道も見えない。これは不思議でしたね。場所を間違えてるはずはありません。
散歩コースの中で、ある程度まとまって木が生えてるのはそこだけでしたから。

不思議なこともあるもんだ、昨日見たのは狐に化かされたのだろうか。
そんなことまで考えました。翌日も次の日も、半月ほど鳥居は見あたらず、
そうなると、やはり最初に見たのが何かの間違いって考えますよね。
ところが、また鳥居があったんですよ。これはどうあっても確かめておこう、
そう思いました。前のときと同様に、ヨシオはそこに近づくのを嫌がったので、
短い時間ならいいだろうと考え、道の脇のガードレールの支柱にリードを

つなぎ、わたしだけ鳥居をくぐったんです。でね、変なことがあったんです。
鳥居をくぐったとたん、生臭い臭いを感じまして。これ、おかしいですよね。
鳥居なんだから、まわりの空気は外と中でつながってるはず。
それなのにすごく生臭かったんです。まあでも、ガマンできないほどでは

ないので、歩いていくと、わずかな林のはずなのに参道が長いんです。

10分も歩いたと思います。先のほうにたくさんの人が集まってるのが見えて
きました。そうですね、10数人の背中が見えましたが、
どの人も白い着物を着てたんです。林が切れて広い空間に出ました。
高い藁葺の社殿があり、ご灯明が灯っていて、その前にたくさん人がいる。
後ろ姿でしたが、男も女も、若い人もいたように思います。でね、その人たちは

全員、左手を高く上げ、その手に変なものをぶらさげてたんです。生き物だと

思いました。白い毛や茶色の毛が見えたので、ウサギなどの小動物でしょう。
それがすべて腐ってる・・・そう思いました。中には汁がたれてるものもあり、
とにかくひどい臭いだったんです。「ええ?!」思わず声を出してしまいました。
すると、それが聞こえたのか、その場にいた人がいっせいにこちらを見たんです。
中の一人が、「贄はどうしたぁ?」と大声を上げ、みなが次々に、

「贄はどうした?」 「贄なしでは入れんぞ?」こう叫んだんですが、
どの顔もすごく怒っていて、わたしは思わず、悪いことをしたような気がして
後ずさりしてしまいました。その人たちは、「不浄だ!」 「不浄者が!!」
わたしに詰め寄ってきたので、怖くなり、後ろを向いて逃げ出したんです。もう齢

ですから、よろよろ走っただけですが、追ってはきませんでしたね。鳥居を抜け、
林から道に出ました。息を切らしながら振り返ると、さっきくぐったはずの鳥居が

ない。もうわけがわかりませんでした。あの人たち、わたしのことを不浄だと

言ってましたが、神域で腐った死骸を持ってる自分らのほうがよっぽど

不浄じゃないか、そう思ったんです。ヨシオを見ると、大人しくしていたというか、
出がけは元気いっぱいだったのが、具合が悪そうに見えたんです。
リードを引いても歩くことができませんでした。それで抱き上げて、

その足で、まだ診療時間前でしたが、いつもお世話になっている動物病院に
連れて行ったんです。先生はもう来られていて、すぐ診てくっださったんですが、
事情を話すと、何か中毒になるものを誤食したんじゃないかという診断で、
胃洗浄をしたんです。でも、害になりそうなものは出てきませんでした。
ヨシオはぐったりしたままで、そのまま入院になってしまいました。
家に戻りました。もちろんヨシオのことが心配でしたが、
人間の病人のように、ついているわけにもいきませんからねえ。
気をまぎらわそうと、あの神社について少し調べたんです。
まず、10万分の1の地図を出して、神社のある場所を見てみたんですが、
鳥居の地図記号はついてませんでした。でね、近くのコンビニに行って
顔見知りの店員から、住宅地図を見せてもらいました。

ほら、宅配業者などが使うやつです。でも、野球場とサッカー場の間は、
その企業が所有してる倉庫になってたんです。神社なんてどこにもない。
午後になって、動物病院に顔を出しました。先生の話は、栄養点滴をしているが、
元気が出てきたということだったので、ひと安心しました。ヨシオは私の顔を

見て鳴きましたので、「もうすぐ家に帰れるよ」と頭をなでました。
翌朝、一人で散歩に出たんです。ヨシオがいないのはほんとうに寂しい。
わたしの中で、ヨシオの存在がどれほど大きいものだったか、
そのときに始めてわかったんです。はい、あの林の前も通ったんですけど、
予想どおりというか、鳥居は見えず、林の中に続く道もありませんでした。
前日のことを思い出し、だんだん怒りがわいてきたんです。
それで、午前中は市役所に顔を出しました。わたしのかつての職場で、

元の部下がまだたくさん残ってます。産業振興課の資料室に行き、
すこし無理を言って、市の航空写真を見せてもらいました。上空からなら、

あの神社の詳細がわかるかと思ったんです。ですが、出てきた写真には
神社も倉庫もありませんでした。小さくてはっきりしませんでしたが、
林の上だけがなぜか黒くマジックで塗られていたんです。担当者に聞いても、
首をかしげてるだけでした。近くの食堂で昼食をとり、また動物病院に顔を出そうと
していたところ、その病院からスマホに連絡が入りました。ヨシオの容態が

急変したと。すぐ駆けつけましたが、そのときにはもう亡くなっていたんです。
ヨシオの遺骸はバスケットに入ってまだ家にあります。はい、そうです。
明日、あの林に連れて行こうと思ってるんですよ。きっと鳥居が見つかる気が
するんです。その後、どうなるのかはわかりませんけど・・・