「帝釈天像」(インドラ神)

今回はこういうお題でいきます。ただ、自分もあまり詳しい分野では
ないので(じゃあ書くなよというツッコミがありそうですが)、
いろいろ間違いがあるかもしれません。現在、日本にある仏像は
信仰の対象であり、また美術品としての価値もあります。

自分は大阪に住んでいるので、京都・奈良はそう時間をかけないで
行くことができます。年に数回は、ぶらっと奈良に日帰りで行って、
仏閣、仏像を見て回ることもありますが、自分は仏教の信者ではないので、
歴史的な興味が中心です。では、仏像っていったい何を表していて、
いつ、どうやってできたんでしょうか。

もともと、紀元前5世紀ころにお釈迦様が始めた原始仏教は
きわめて哲学的な内容で、現世での生き方を対象にしたものでした。
お釈迦様は死後の世界や輪廻転生、地獄や極楽については何も語って
いません。それは人間の理解を超えたものであり、
わからないものは語るべきではないという姿勢だったんです。

「仏足石」
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そのお釈迦様が亡くなり、弟子たちはお釈迦様の教えを尊ぶとともに、
仏教の開祖であるお釈迦様自体を慕いますが、
お釈迦様の像がつくられるということはありませんでした。
お釈迦様はこの世から消え去り、「悟りを開いた姿のない仏」となったと
考えられ、姿のないものの像はつくりようがないですよね。

ですから、仏教で礼拝の対象となるのは、お釈迦様の遺骨を納めた「仏塔」、
お釈迦様の教えを車輪に例えた「法輪」、お釈迦様の足の裏を彫った
「仏足石」などでした。この状態は長く続き、
お釈迦様の死後500年ほどは、仏像というものはなかったんです。

さて、その500年の間に、個人一人ひとりが悟りを開くための
「上座部仏教(小乗仏教)」から、多くの大衆を救済することを目的とした
「大乗仏教」が派生しました。現在でも、東南アジアの国には上座部仏教が
多いですよね。日本へは、中国を通じて大乗仏教が伝わってきます。

ギリシア彫刻のようなガンダーラの仏像
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大乗仏教では、多くの衆生を救済に導くため、「姿を現した仏」が
必要とされました。そこで初めて仏像がつくられることになったわけです。
最初の仏像は、紀元前1世紀ころ、西北インドのガンダーラ地方、
マトゥーラ地方でつくられ始めます。どちらが最初なのかは、
長年論争があってはっきりしていません。

ガンダーラ地方はシルクロード上にありましたので、初期の仏像は
ギリシア美術の影響を受けたスタイルでした。マトゥーラ地方のものは、
それよりはインド風ですね。はじめはお釈迦様の仏像だけだったんですが、
仏教の教えにより、悟りを開いて仏になった人物が次々と現れ、
その人たちの仏の像もつくられるようになっていったんです。

悟りを開いて仏になった者を「如来」と言います。みなさんも、
薬師如来、阿弥陀如来、大日如来などの名前は知っておられると思います。
これらは、もともとは仏教の修行をした人間だったんです。
仏像としての如来像は、基本的には衣を一枚身にまとっただけの
簡素な姿で、装身具もほとんどつけていません。

衣一枚だけの「薬師如来像」
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ただし、密教の大日如来だけは仏の中の最高位と考えられているため
少し違います。次に「菩薩」ですが、これは大衆を救おうという願いを持ち、
仏教を修行している途中の者です。ですから、如来よりは位が落ちるんです。
菩薩像は、シャカ族の王子であった修行中のお釈迦様がモデルに
なっているため、頭に宝冠をいただき、首飾りをつけるなどして着飾っています。

観音菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩などがよく知られていますね。
次が「明王」です。いつまでもお釈迦様の教えにしたがわない者を、
力ずくで教え導くための命を受けた者たちです。ですから、
明王像は憤怒の表情をしていて、手に武器を持ったりしています。

高貴な姿の「観音菩薩像」
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仏教に力ずくは似合わないと思われるかもしれませんが、仏教はその歴史上
ずっとバラモン教やイスラム教など他の宗教と競合していて、
仏教内でも宗派の争いがありました。そのため、
こういうものができたのかもしれません。

次が「天部」です。天部は、弁財天、大黒天、帝釈天なんかが
知られていますが、もともとはインド宗教の古来の神々で、大黒天は
ヒンドゥー教のシヴァ神、帝釈天はインドラ神です。
インドで布教を進めるには、これらの神々も無視できないので、
仏教に取り入れられていき、後には中国など他国の神もここに入ります。

恐ろしい姿の「不動明王像」
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最後は、お釈迦様の弟子や後代の「高僧」も像になっています。
十大弟子像、十六羅漢(仏教修行を志した16人)像、玄奘三蔵像、
達磨大師像、日本だと、鑑真和上像、一休禅師像、空海や最澄の像などです。
寺院にお参りしたとき、これらのことを頭に入れておくと、
仏像を見る目が違ってくるかもしれません。

さてさて、日本に仏像が伝わったのは、『日本書紀』に、欽明天皇13年
(552年)、百済の聖明王から経とともに金銅の釈迦像が贈られたと
記され、敏達天皇13年(584年)には百済から弥勒菩薩像の石像が
贈られたと出てきます。ただ、その受容に関しては争いもあったようで、

欽明天皇が蘇我稲目に仏像を授けて礼拝や寺の建立を許可したものの、
直後に疫病が流行したため、国神(神道の神)の怒りのせいだとされ、
仏像は川に捨てられたと書かれていますね。ということで、ざっとですが
仏像の歴史や分類などを見てきました。

 

3行まとめ ・如来は仏のことで最高位。菩薩は如来になるために修行して

いる者。天部はインド神話の神。明王は仏教を武力で守る神。

・それぞれ 如来←菩薩←明王←天部←仏陀の弟子や高僧 という順位。

では、このへんで。

 

 

 

では、今回はこのへんで。

「鑑真和上像」
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