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釈迦如来

今回はこういうお題でいきます。仏教のお話です。
さて、みなさんの中には、ブッダというと、仏教の開祖である
お釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)のことだと思って
おられる方がけっこういるんじゃないでしょうか。
でも、それだと半分正解にしかなりません。

ブッダとは、漢字で書けば仏陀、サンスクリット語で
「目覚めた者」 「真理、本質、実相を悟った人」という意味に
なります。このブッダという言葉が中国に渡り、
「仏(佛)」になったという説もあります。
仏は、「人であって人を超えたもの」と解されます。

阿羅漢(羅漢)たち
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何から説明していきましょうか。まず、お釈迦様が始めた当初の
原始仏教は、個人が修行をして悟りを開き、自分自身を救う
ためのものでした。修行者たちは集団生活をして戒律を守り、
瞑想などによって解脱への道を探りました。

この修行者たちはまた、自分たちはいくら修行を積んでも
お釈迦様のような境地には達することはできないとして、
その下位である阿羅漢(あらかん 仏教において最高の悟りを
得た、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者)を目指したんですね。
この原初仏教の時代は100年以上続いたんですが、

奈良の大仏(毘盧遮那仏)
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ちょっとマズいことがあります。世界の人すべてが出家をして
修行者になってしまうと、農業や商業など、生産活動、
経済活動をする人がいなくなってしまいます。でも、
そんなわけはないですよね。そこで、出家してない(在家)
者であっても、悟りを開いて救われるとする大乗仏教が、

前3世紀、マウリヤ朝のアショーカ王のころに起こり、
急速に広まっていきました。大乗仏教では、この宇宙には
無数の世界があり、その世界のそれぞれにブッダがいる
という考え方を取ります。このあたり、宇宙論の
マルチバースに似てなくもありません。

鎌倉の大仏(阿弥陀如来)
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それまでお釈迦様を中心とした一神教の世界観であったのが、
一気に多神教に変わるんですね。まあ、もともとインド古来の
バラモン(ヒンドゥー)教は多神教ですので、
その影響も大きかったと思われます。
われわれのこの世界に表れたただ一人のブッダがお釈迦様。

ですが、他の世界には別のブッダがいて、そのブッダが住む
世界のことを「仏国土」と言います。われわれの世界の
仏国土としての名前は「娑婆 しゃば」です。犯罪者が刑務所に
入るとき、「娑婆とはしばらくおさらばだ」などと言いますが、
刑務所の中も もちろん娑婆であることに変わりはありません。

薬師如来、手に薬壺を持っています


さて、ここからは、いろいろな仏国土と、その世界のブッダに
ついて書いていきます。やや退屈かもしれません。
ちなみに、ブッダの呼称として「如来」が使われます。
サンスクリット語のタターガタの漢訳ですね。

まず、西方極楽浄土にいますブッダが阿弥陀如来
サンスクリット語ではアミターバで「量りしれない寿命を持つ者」
という意味です。すべての人々を救うという「四十八願」の
誓いを立てて修行し、それが成就してブッダとなりました。

大日如来が中心の密教の曼荼羅


日本では、浄土宗、浄土真宗で特に信仰されています。
鎌倉の大仏様は阿弥陀如来ですよね。われわれが「極楽往生」
と言った場合、死後に、この阿弥陀如来の統べる世界に行く
ということになります。かの藤原道長も信仰し、死の際には
阿弥陀仏像と自分の手を5色の糸でつないでいたとされます。

次に、仏教の開祖である釈迦如来。霊山浄土と呼ばれる
インドの「霊鷲山 りょうじゅせん」で現在も存在しており、
仏教修行者を鼓舞しているとされます。ちなみに、
忘れ去られていた霊鷲山の場所を再発見したのが、日本の僧侶、
大谷光瑞が率いる探検隊。釈迦如来は日蓮宗の本仏です。

霊鷲山
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次が、密厳浄土にいます大日如来。真言密教を開いたとされます。
大日如来は宇宙神的な性格を持ち、密教の曼荼羅(まんだら)の
中心に位置しています。平安時代、空海が唐より
密教とともに大日如来の信仰を持ち帰りました。

いまいちよくわからないのが、蓮華蔵世界にいます毘盧遮那仏
(び るしゃなぶつ)。華厳宗において中心的な存在として
扱われています。聖武天皇が発願して造られた東大寺の
奈良の大仏が、この毘盧遮那仏です。

空海(弘法大師)
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東方妙喜世界にいますのが阿閦(あか)如来。東方浄瑠璃浄土に
いますのが薬師如来。薬師如来は、その名のとおり、医業、
薬業を通して衆生を救うとされます。あと、これはあまり
知られてないんですが、徳川家康が死後「東照大権現」
になったのは、薬師如来信仰と深く関係してるんです。

さてさて、ということで、ブッダについてみてきました。
仏教が大乗化し、多神教化することで、多重的な構造を持つように
なったわけです。また、修行の方法も、念仏、題目、座禅など
在家でいながらできるものとなり、大衆化していったんですね。
では、今回はこのへんで。