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冨と強欲の悪魔 マモン

今回はこういうお題でいきます。悪魔学の一環なんですが、
これねえ、かなり難しい話になると思います。スルー推奨かも
しれません。どっから話していきましょうか。もともと
古代イスラエルの宗教はユダヤ教でしたよね。

それに異を唱えたイエス・キリストは、ユダヤ教の聖職者から
讒訴を受け、当時かの地を統治していたローマ帝国によって
処刑されます。が、死後に復活し、改めて昇天したとされます。
ここまではみなさんもよくご存知だと思います。

マモンに金貨で釣られる人


さて、では、ユダヤ教では冨についてどう考えられていたか。
ユダヤ教にはタルムードと呼ばれる教典があり、それに従って
生活を送らなくてはなりません。これがまあ、じつに
細かいんです。ありとらゆることが規定されています。
たぶん一般的な日本人では、守るのは不可能でしょう。

そのかわり、律法さえきちんと守っていれば、冨を築くのは
まったく問題にならないというか、むしろ称賛されるべき
ことだったんです。人が財産を築き上げたのは、神がそう為した
からであり、富とは恩寵の顕れと考えられていたんですね。

ユダヤ系の成功者


現代でも、ユダヤ人陰謀論というのがあります。世界の大富豪には
ユダヤ人が多く、陰でさまざまなことを牛耳っているのだ、
みたいな話です。このイメージはヨーロッパにはずっとあって、
シェークスピアの戯曲、『ベニスの商人』に出てくる金貸しの
シャイロックは、ユダヤ人という設定になっています。

この筋はご存知でしょう。指定された日付までにシャイロックに
借りた金を返すことができないと、胸の肉1ポンドを与えなければ
ならないという契約書を取り交わした主人公が、結局 返せず
裁判になる。判決は、胸の肉を与えなくてはならないが、
契約書にはない血は一滴も流してはならないというものでした。

『ベニスの商人』 ちなみに商人はシャイロックではなく主人公のこと
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こんな感じでユダヤ人は嫌われることが多く、ナチスドイツの
ホロコーストにもつながっていくんですね。イエス・キリストは
そういったユダヤ教の考え方を批判し、有名な『新約聖書』の
「山上の垂訓」にそれが表されています。「山上の垂訓」は、
ガラリアの丘でイエスが弟子たちに語った神の言葉で、

「心貧しい人は幸いである」から始まり、あの有名な「右の頬を
打たれたら左の頬も出しなさい」のフレーズも出てきます。
この中の一節に、「あなたがたは神とマモンに同時に仕えることは
できない」というのがあって、マモンとはシリア語で「冨」
という意味だったんです。

「山上の垂訓」
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それが後世になって、キリスト教の神学者たちが、マモンを
悪魔の名であると解釈しました。ぶっちゃけ、誤解なんですが、
こうしてマモンは金銭の悪魔となったわけです。他の堕天使、
異教の神などからきた悪魔とは、成立のしかたがかなり違うんですね。

さて、悪魔としてのマモンの姿は、古代イスラエルのソロモン王に
仕えていた悪魔アモンと混同され、鳥の頭を持つ姿で描かれる
ことが多いんです。鳥の種類はフクロウだったり
ワタリガラスだったりします。また、マモンが人間の前に現れる
ときは狼の姿をとると記されている文献もあります。

召喚したマモンに騙され、金貨を吐き続ける人
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またマモンは、エジプト神話の神アメンとも同一視され、アメンが
ガチョウの姿をとることとも関係しているようです。
マモンは、神が定めた「七つの大罪」のうち、「強欲 greed」を
担当しています。前にご紹介した映画の『セブン』では、

2番めの被害者である強欲な弁護士が、自室で血まみれになって殺され、
死体はちょうど腹の贅肉の部分を1ポンド分切り落とされていて、
状況から、犯人は2日間かけて被害者にどこの肉を切るか選ばせて
いたと推定されました。上記シェークスピア作品にかけてあるわけです。

『セブン』
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金銭を求めてマモンを召喚した人間は、金貨などを与えられるかわり、
神に背く悪事を為さなくてはならず、冨を築いたとしても
最終的には破滅し、魂は永遠に地獄の業火で焼かれてしまいます。
それだと、一時的に裕福になったとしても大損じゃないかという
気がしますよね。

さて、初期のカトリックでは清貧が尊ばれていましたが、
十字軍遠征で財政が厳しくなり、また教会が権威主義化するとともに、
だんだんおかしくなっていきます。免罪符(贖宥状)の発行などが
マルチン・ルターらに批判され、宗教改革が起こるんです。

教会への公開質問状を打ちつけるマルチン・ルター
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いっぽう、宗教改革から始まったプロテスタントには さまざまな
宗派があり、冨に対する考え方も多様です。冨は信仰を妨げるものと
考える一派もあれば、勤勉な労働と質素な生活の結果であるとする
派もあって、なかなか難しいんですね。ただ、チャリティなどの
喜捨が奨められる点は同じです。

さてさて、ローマ教皇庁は2008年に新たな「七つの大罪」を発表し、
その中の一つに「過度な裕福さ(大富豪)」が含まれます。
アメリカでは、50億円のクルーザーをぽんと買える大金持ちも
いれば、医療保険なしの貧困者も数千万人いて、そのあたりの社会の
ゆがみがコロナ禍によって浮き彫りになりました。では、このへんで。