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今回はこういうお題でいきます。さて、みなさんは漢方薬などを
お使いになられてるでしょうか。自分は今、ジム通いで首を
痛めてしまったので、「疎経活血湯」というのを飲んでます。
血の巡りをよくすることで、関節の痛みを和らげるという
効能があるようです。

ちなみに、「漢方医学」というのは、中国から渡ってきた医術が
日本で発展したものを指すことが多く、中国の伝統医学そのものは
「中医学」と言います。漢方薬だけでなく、鍼やお灸も日本独自の
方法論ができ、逆に中医学に影響を与えたりしています。

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漢方では「証」ということを重視します。複雑な概念なので
詳しくはふれませんが、一言で言えばその人の体質のことです。
この体質の人にはこの薬という処方があって、これが合わない場合、
むしろ害になったりすると言われますね。

また、西洋医学が病気とその症状を診るのに対し、漢方では
体全体を診ます。西洋医学の薬は飲んですぐ効く場合が多いですが、
漢方は長く続けることが大切です。それと、以前は漢方薬には
副作用はないなどと言われてましたが、そんなことはなく、
中には命に関わる重篤なものもあります。

神農氏
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現在、ドラッグストアに行けば さまざまな漢方薬が売られており、
ネットにもたくさんの情報が出ていますが、やはり素人処方は
危険で、きちんと医師の診断を受けるのが望ましいでしょう。
健康保険がきくケースも多くなっています。

さて、この中医学の元祖と言われるのが、神農(炎帝神農)です。
古代中国の伝承に登場する三皇の一人で、盤古は別として、
女媧、伏羲に次いで古い神です。大きな業績が3つあり、一つは、
土地を耕作して五穀の種をまき、農耕をすることを人々に
伝えたこと。ここから、農という語が名前についてるんですね。

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2つ目は、人々に物々交換の交易を教えたこと。これは後の
商業につながります。3つ目が、たくさんの植物を自ら食して、
薬と毒を見定めたことです。一説では、神農の体は頭部と四肢を
のぞいてガラスのように透明で、内臓が外からはっきりと見えたとされ、
毒があれば内臓が黒くなり、影響の出る部分がわかりました。

うーん、たいへん便利な体ですね。『神農本草経』は、後漢から
三国頃に成立した中国最古の本草・薬学書ですが、神農の名が
冠されています。365種の薬物を分類しており、それが後に
730種あまりにつけ足して増やされています。

断腸草?
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また、神農には五絃の琴をこしらえたという伝説もあり、
同じく三皇の一人女媧が笙の笛をつくったとされ、古代中国では
楽器は神からの贈り物とみなされていたようです。それが日本に
伝わって、平安時代の笛や琵琶の不思議な話となりました。

さて、神農の最期ですが、戦いで破れたわけではなく、あまりに
たくさんの薬物を自分の体で試したので、毒素が蓄積してしまい、
最後は罌子(ケシ)を服用して亡くなったとも、断腸草という
植物で腸がちぎれて亡くなったとも言われます。

瑤姫
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断腸草について少し調べてみましたら、ゲルセミウム・エレガンス
という、ゲルセミウム科またはマチン科ゲルセミウム属のつる性
常緑低木で、世界最強の植物毒を持つとまで言われてるんですね。
中医学では、根を水洗いして乾燥させたものを「鉤吻」と呼ぶ
ようですが、「服用は厳禁」というただし書きがついています。

さて、日本神話に少名毘古那神(すくなびこな)という神がいて、
波の彼方より来訪し、大国主命に協力して国造りを行ったことに
なっています。この少名毘古那神が神農と同一視され、
少名毘古那神を祭る神社は「神農さん」と呼ばれたりします。

精衛
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で、この神農ですが、あまりに古い神なので、具体的なエピソードが
少ないんですよね。そのかわりというか、息子や娘たちの話が
多く残ってるんです。例えば娘の一人、瑤姫(ようき)は、
まだ嫁がないうちに若くして亡くなり巫山に葬られましたが、
瑤草(ようそう)という神仙草になったと言われます。

瑤草が何かというのは、調べるといろんなものが出てきて
よくわかりませんでした。また、瑤姫の妹に女娃(じょあ)という
娘がいて、『山海経』では、海で溺れ死んで鳥に生まれ変わったと
されています。その鳥は海を憎み、埋め立ててやろうと、周囲の山から
枝や石を運んで海中に投下するようになります。

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姿はカラスに似て、嘴は白く足は赤く、「セイエイ、セイエイ」と
鳴くので精衛(せいえい)と名づけられました。これも現代の
なんという鳥かわかりませんが、中国語で検索したら上の
図のようなのが出てきました。まあ、海の近くにいる鳥なんでしょう。

さてさて、ということで、神農についてみてきましたが、前に
加上説というのをご紹介しています。古い段階の神ほど新しい時代に
つくられるという考え方で、神農は『史記』の司馬遷が書いた部分
には出てこず、戦国時代頃にできたのではないかという説が
あります。では、今回はこのへんで。

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