じゃあ話をしていくよ。ただなあ、聞いててあんまり
気持ちのいい内容じゃないからな。そこんとこは、あらかじめ断っておく。
あれは、俺が小学校5年生のときだな。俺は、学校で嫌われてたんだよ。
なんでかっていうと、すぐ暴力をふるったからだ。
男のガキは、俺の家が貧しくて、ゲームの一つも持ってねえってバカにした。
ま、成績も悪くて、バカだったのはたしかだけどよ。
だから、俺をバカにした態度のやつは、顔の真ん中、鼻っ柱をゲンコツで

叩くことにしたんだ。相手がやり返してくると目をねらった。
そうしてるうちに、やり返してくるやつはいなくなったが、
友だちもまったくできなかった。女のガキは、誰も俺と口をきこうとは
しなかった。無視してたんだな。まあ当時は、それはなんとも思わなかったが。

とにかく、俺が嫌われるのは、家が貧乏なせいだと思ってた。
だから家族も嫌いだった。親父は、酒が入ると声を荒げて、
俺と母親を叩くだけだったし、母親は下の弟妹の世話と内職で、
俺に声をかけるのは、何か用事を言いつけるときだけだったし。
俺にゆいいつ優しくしてくれたのは ばあちゃんだけだったよ。

ごくたまにだが、小遣いをくれたりもしたんだ。・・・ああ、すまん、
身の上話をしにきたわけじゃねえ。でな、さっき言ったように、
その頃流行ってたゲーム機なんて持ってなかったから、学校から帰って、
手伝いをさせられないときには、いつも釣りに出てたんだよ。
家にいて弟妹が泣くのを見てるのも嫌だったし。釣りったって、

家の近くにある三角沼ってとこにいつも行って、雑魚を釣るだけ。

釣り竿も、竹を切って自分で作ったやつだ。だから、鯉なんて無理だし、
釣った雑魚も、家で飼う水槽なんてねえから、全部、沼に放して

やってたんだ。でな、ある日、釣りしてる途中で糸が切れて、それでもう

できなくなった。かといって、家に戻るには時間が早いんで、草の中を、
行ったことのない方角へぶらぶら歩いていったのよ。道がわからなくなっても
べつにかまわなかった。でな、20分ほど歩くと、草丈が低くなって、
神社の境内らしいとこへ出た。始めて来た場所だよ。小さい神社で、
木なんかは、どこもかしこも腐ってた。2間四方ほどの小さいお社があって、
高床の下には細かい砂がたまってたな。俺は、アリジゴクがいるかもと考えて、
そこに潜っていったのよ。でな、アリジゴクの穴がなくて、がっかりして

出ようとしたとき、奥のほうに箱のようなものがあるのを見つけた。

そんなに大きくはない、ちょっと高さのある菓子箱くらいだった。
クモの巣をかき分けながら這っていって、手で持ち上げてみると軽い。
で、俺はそれを引きずるようにして外に出た。箱は木でできていて

ホコリだらけ。何重にもしばってあるヒモがあちこち切れてた。当然、

開けてみたよ。そしたら、箱の中は真新しくて、銀色に光ってたんだよ。
「何だろ?」中には、やはり銀色に光る楕円形の卵みたいなのがあり、
金属にしては軽い。いいものを見つけたと思って、軽く放り投げたり
転がしたりしてるうちに、ウィーンって音がして、パカっと半分が開いた。
ちょうど、ゆで卵を立てて、殻を上半分だけとり去ったような感じ。

でな、中には、やはり卵型の透明なゼリーが入ってたんだ。それは

崩れ落ちたりはしなかったが、ふるふる震えてて、やわらかいもんだと思った。


今ならスライムって言うかもしれねえな。透明なスライム。これは面白え。
そう思って、神社の参道の砂利の間に立てて、中に木の枝を突っ込んでみた。
ブニョンって感じに跳ね返されたが、強く刺すと枝は中まで入って、
抜くとスライムに空いた穴がひとりでに元に戻った。ますます面白えだろ。
枝は見たところ何ともなってなかったから、今度は人差し指を突っ込んでみた。
そのとたん、いろんなことが同時に起きたんだ。まず、目の前に燃える炎が

見えた。それと、頭の中に「ナラコ、ナラコ、ナラコ」って音が響いたんだ。

あわてて指を抜こうとしたら、指の先から紫の煙みたいなのが、スライムの中に

流れ出してた。そのときに、「このままじゃ死ぬ」ってわかったんだよ。

腕ごと引くと、俺は後ろに倒れて、スライムの中はうっすら紫の雲がかかって
渦を巻いてた。ますます面白えと思ったが、その日はもう暗くなってきてたんで、

また箱に入れて、神社の床下に戻しておいたんだよ。翌日、学校が終わるとすぐ、
その神社に行った。何度も行ったが、ついぞ参拝する人は見なかったな。
よほど寂れてたんだろう。で、最初に音が聞こえたって言ったろ。
そのスライムのことを「ナラコ」って呼ぶことにした。いろいろバカなことも

考えた。「ナラコ」って「コ」がつくんだから、これは女なんじゃねえかとか。
そのときには、俺の指から出た紫の煙で濁ってたナラコは、元の透明に

戻ってたな。で、最初でこりたんで、指を突っ込むのはやめにして、
そのかわりに、虫を入れてみることにした。神社の裏手にあった倒木を掘っ返して、
でかい、俺の指くらいのクワガタの幼虫を見つけて、用心のために木の枝で

はさんで、ナラコに入れてみた。そしたら暴れること暴れること。透明な中を、
紫の煙を吹き出しながらのたうち回っていたが、数分で動かなくなった。

で、ナラコ自体がまた紫色にかすんで光って、それがきれいでなあ。
いろんな生き物で実験してみた。小さい甲虫から、トンボからカエルから。
一番大きかったのが、家のネズミ取りにかかったネズミ。
でな、どれも反応は同じ。ナラコの中に入った瞬間から狂ったように動いて、
体から紫の煙を吹き出す。口からとかじゃなく、全身からだな。
体の大きい生き物ほど、ナラコの中で生きてる時間が長く、煙の量も多い。
その紫色はだんだんに薄くなっていって、1日たつとだいたい消え、中の

生き物もいなくなる。でもまあ、それだけだから、だんだん飽きてきたときに、
ある発見をしたんだよ。「死んだ生き物を入れたらどうなるだろう」って考えた。

だから、完全に動かなくなってアリがたかってるカブトムシの死骸をナラコに

入れた。けど、何も起きなかったんだよ。「まあそうだろうな、あ!」


そ、入れたのはナラコが透明なときだけだったからな。じゃあ、紫の煙が
残ってるうちに入れればどうなるだろうって思ったわけだ。で、やってみた。
そしたらだよ。なんとなんと、死んでたセミが生き返った。それも、

羽と頭だけ残ってて胴体が空になってるやつが、ナラコの紫の煙の中で、
ビクンビクンと羽先を動かし始め、それから狂ったみたいに、
ナラコの中を飛び回ったんだ。胴体の欠けたところが元にもどった

わけじゃねえ。当時は知らなかったが、今ならゾンビゼミって言うだろうな。
でな、セミはあちこちナラコの中でぶつかって跳ね返されてたが、急に

外に出てきたんだ。で、俺の体をかすめて、高い木の上に飛んでってしまった。

ああ、カエルとかでも試してみた。俺が踏んづけて内蔵をはみ出させて

死んだカエルも生き返ったよ。真っ白い目をしてのそのそ歩いたな。


・・・ここで話をやめたいとこだが、そうもいかないだろう。
こっからのことは、あんまりしゃべりたくはないんだが・・・前にな、
ばあちゃんだけが俺に優しくしてくれたって言ったろ。そのばあちゃんが病気に

なった。野良仕事に行った畑で倒れて、家に運ばれてきた。そのときだけ、
往診の医者に来てもらったが、脳卒中ってことだった。いや、入院なんてさせる金は
家にはなかった。ばあちゃんは意識がなく大イビキをかいて、大小便は垂れ流し。
その世話は母親がやってたんだが、「早く死んでくれ」みたいなことを、
親父がいないときに言ってた。で、俺がどうしたか、だいたい想像がついただろ。
ナラコの中にいろんな生き物を入れ、紫よりもどす黒くなったのを、こっそり

家に持ってきた。でな、母親がちょっと外に出た、家の中に赤ん坊しかいない
ときをみはからって、意識のないばあちゃんの手をつかんで、
 

指先をナラコの中に入れてみたんだよ。しばらくは何も起きなかった。「こりゃ

ダメか」と思いかけたとき、ばあちゃんがバネ仕掛けのように上半身を起こした。

前に見た死んだカエルのような真っ白い目を見開き、吠えるような声で、

「あああああ、おちたあああ」一声叫んで布団に倒れて動かなくなった。顔が

紫だったよ。俺は呆然としたが、ナラコを隠し母親を呼んだ。医者が来たときには、

ばあちゃんは死んでたんだよ。まあこんなところだ。もちろんナラコの話は誰にも

してねえ。次の日、ナラコは箱ごと沼に投げ込んだ。数日後、沼を見に行ったら、

たくさんの魚が浮かび上がってたっけ。でな、このことから10数年たち、

俺は県外で就職して親との縁を切り、あるとき、ばあちゃんの墓参りを思い立って

田舎に戻ってきた。そんとき、金払ってお経を読んでもらった坊さんに、

「ナラコ」ってわかるか聞いてみた。坊さんは少し考え、

「ナラコは梵語で仏教の奈落、つまり地獄のことです」こう答えたんだよ。