高野山奥の院

今日はけっこう誤解されている仏教のお話です。
江戸時代以前という条件で「天才」は誰か、を考えてみますと、
これはいろんな人の名前があがるのではないでしょうか。古くは
聖徳太子や天武天皇、新しくは坂本龍馬なども候補になるでしょうか。

自分的には、弘法大師こと空海(774年~835年)は
必ず入るかと思っています。真言宗の開祖として高野山を開き、
数々の偉業をなしていますが、その優秀さは、
遣唐使の留学僧として入唐後、短期間で梵語を習得し、

さらに密教の第七祖である唐長安青龍寺の
恵果和尚に師事、わずか2ヶ月ほどで、密教の奥義伝授、
大悲胎蔵、金剛界の灌頂(すべてを極めたという儀式)を
受けていることでもわかります。

弘法大師 空海
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これは史上の謎の一つとして数える人もいますね。
このあたりの事情を元に、夢枕獏氏が『沙門空海唐の国にて鬼と宴す 』
を書かれています。恵果和尚は病気のため、
自分の余命の少ないことを知っていたこともあるでしょうが、

異国から来た一介の無名の僧に、短い期間で伝法阿闍梨位の
灌頂を授け、「遍照金剛」(この世の一切を遍く照らす最上の者)の
名を与えたのは、空海の天才性を証明しているのではないでしょうか。
この結果、空海は「虚しく往きて実ちて帰る」と述べ、正式には20年の

滞在予定のところを、わずか2年で日本に戻ることになります。
(このため罪を問われて、すぐには都に入れなかったようです)
また空海は能書家として、嵯峨天皇、同時期に入唐した
橘逸勢とともに、三筆の一人に数えられてもいますね。

高野山奥の院御廟
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さて、お話は空海の死後のことです。空海は835年、かねて弟子達に
告げていたように入定したと言われます。この場合の入定は、
死したということではなく、禅定(宗教的な瞑想状態)とされ、つまり、
現在でも高野山奥ノ院の霊廟で生きているという扱いを受けています。

今でも高野山を訪れると、奥の院の方に向かって手を合わせている
参拝者の姿を見ることができます。高野山の人々や真言宗の僧侶には、
空海が死んだと言うことはタブーとなっており、
維那(ゆいな)という役職が設けられ、

髭と髪を剃ったり、衣服と食事を給仕しているそうです。
メニューはもちろん精進料理なのですが、冷たいものではなく、
温かいカレーなどもあるそうです。また年に一度、衣服も新調されます。
こうやって弘法大師空海の偉大さがますます高められるわけですね。

湯殿山の即身仏
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ただし、歴史的には別解釈もあり、『続日本後記』では、
淳和上皇が空海を弔った勅書に、高野山は遠いので空海の
亡くなった報せが伝わるのが遅く、使者を急いで行かせたが、
遅すぎて火葬の手助けができなかったと、述べています。

このことから、空海の遺体は火葬されているというほうが
定説に近いようです。空海の即身成仏伝説は、
その死後しばらくたってから起こったとするんですね
霊廟内には、前記の維那以外入ることは許されておらず、

空海の木像があるともミイラがあるとも言われています。
代々の維那も見たことを絶対に他言しないため、「即身成仏」
伝説が強化されています。即身成仏とは、仏教で人間が、
この肉身のままで、究極の悟りを開き仏になることです。

つまり生きているということは大前提なわけで、だから食事も摂ります。
その上で仏の境地を得た人、というのが本来の意味です。
ところがこの教義は、誤解されたとまでは言えないかもしれませんが、
後世に「即身仏」というものを生み出すことになるんですね。

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即身仏は、自分も怖い話のテーマとしていくつか取り上げていますが、
簡単に言えば修行者のミイラのことですね。僧侶が土中の穴
などに入って瞑想状態のまま絶命し、ミイラ化した物が「即身仏」
仏教の修行の中でも最も過酷なものとして知られます。

ただし現在では自殺とみなされますし、これを手伝うことは
自殺幇助の可能性があるため、行われることはありません。
即身仏は「入定ミイラ」とも言われ、空海の場合と同じように、
死んだのではなく肉体も精神も永遠になるという意味なので、
掘り出したときにミイラ化せず、

肉体が朽ちていれば失敗とされてしまいます。あと即身仏は
もちろん当人にとってはたんなる自殺ではなく、自分を捨てることで、
民衆を掬うことができると信じていました。ですから、世に飢饉が
起きているときなどに、即身仏になる僧が多かったんです。

ここまでのことをまとめると、
即身成仏→密教の修行により、生きた身体そのままで仏となること。
即身仏→五穀断ちの修行の後、自ら穴の中に入って死に、ミイラ化すること。

「即身成仏」と「即身仏」の違いがおわかりいただけたでしょうか。

さてさて、この空海の即身成仏に関する伝説は、
空海の没後約100年後に始まりましたが、それが山形県の
湯殿山系即身仏であるミイラ群を生んだ、一つの要因とも言われています。
後に天台宗に改修した羽黒山との宗教的な争いの中で、

山形県湯殿山総本寺


湯殿山が真言宗であることを強調し、さらには修験者が厳しい修行を
積んでいる証として、即身仏が増えていったということのようです。
最後に、興味深いものをご紹介します。下の画像はオランダで展示されている、
およそ1000年前の中国の仏像なのですが、現地でのレントゲン撮影の結果、
なんと中に人間のミイラが収蔵されていることが判明しました。


このミイラは西暦1100年頃に中国で亡くなった僧侶のLiuquanのもの
であると考えられている。研究者たちによる調査で、ミイラの内臓は取り除かれ、
その空間が何かの物体で満たされているようであることが判明している。

医療センターによると、その物体が「古代中国文字が印字された紙屑」

であることがわかった。

実に興味深い話ですね。即身仏の考え方は中国にもあったようです。
このミイラはちょうど、空海の即身成仏伝説が成立したあたりの時期のものです。
このようなものは、空海の即身成仏伝説に何か影響を与えているんでしょうか?
ただし、内臓を取り除きその代わりに紙屑が存在していることから、
即身仏ではなかった可能性も考えられています。