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ギリシアにあるマケドニア王家の墓

今回はこういうお第でいきます。考古学、世界史に関連した内容で、
カテゴリは怖い世界史に入れておきます。日本では、歴史の謎の一つに
邪馬台国問題というのがありますよね。『三国志』に記された
邪馬台国はどこにあったか。

ひところは書店に専門コーナーができるほど、プロの学者、アマチュアを
問わず、多くの本が出版された時期もありましたが、今は下火に
なりました。それでも、所在地論争は、主に九州と近畿地方に分かれて
現在も続いています。で、邪馬台国の女王卑弥呼、あるいはその後継の
台与の墓が見つかれば、論争に決着がつく可能性が高い。

奈良、纒向遺跡の箸墓古墳 卑弥呼の墓の可能性も
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ただ、日本の場合、手あたりしだいに発掘することはできません。
最も大きな問題は、宮内庁により陵墓指定されている古墳は
調査許可が下りないこと。その他にも、文化財保護法によって、
民間による発掘は難しいことなどがあげられます。ですから、計画的な
発掘を行うのは地方自治体になりますが、どこも予算がありません。

これはしかたがないことで、歴史の学問的な興味を、現在生きている
人の生活に優先させることはできないんですね。さて、
このように、所在が不明で、捜索、発掘が期待されている墓
というのは世界史にもいろいろあります。

この下にアーサー王の棺があるとされますが、眉唾です
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そうですね、順不同にあげていきましょうか。まずはイギリス、
「アーサー王の墓」、ただこれ、根本にアーサー王が実在の人物か
どうかという問題があります。伝説の域を出ないんですね。
アーサー王のモデルがもしいるなら、5世紀後半から6世紀初めの
ブリトン人ですが、王ではなく軍の司令程度の人物だという説もあります。

アーサー王伝説は中世になって、王妃や宮廷魔術師、名剣エクスカリバー、
円卓の騎士、聖杯探索などの尾ひれがついて有名になりましたが、
実際はイギリスにキリスト教が入ってくる以前の人物で、それらは
全部作り話です。ですから、アーサー王が亡くなったとされる
アバロン(ケルト語でリンゴ)島についても、きわめて怪しいんです。

映画『ダ・ヴィンチ・コード』
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どんどん行きましょう。「イエス・キリストの墓」世界のクリスチャンに
よってさまざまな議論が行われ、いちおう3つの候補地があります。
これについては過去記事で詳しく書いたので、興味のある方は
参照されてください。ただ、もし『新約聖書』の記述が真実だとすれば、
キリストは復活し昇天したので、そこに遺骸はないことになります。

一方、キリストの昇天はあくまで神話であるとみる(まあ常識的ですよね)
立場からは、キリストの墓は庶民的なもので、そこには妻や子の
遺骸もあるのではないかという話があり、実際に候補らしきものが
発見されています。で、この説をもとに書かれたのが、ベストセラーに
なったダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』です。

日本の青森にあるキリストの墓(笑)
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次は現実的な話で「アレクサンダー大王の墓」。紀元前4世紀の
マケドニアの王です。当時、強大だったペルシャ帝国を数々の激戦で
打ち破り、インドにも侵攻したことで知られています。
その生涯は32年と短く、死因はてんかん説、マラリア説、
酒の飲みすぎ説、お定まりの毒殺説もあります。

で、その墳墓なんですが、1977年にギリシャのヴェルギナで、
マケドニア王家の遺跡3基が発掘されており、このうち第2墳墓が、
アレクサンダーの暗殺された父親、フィリッポス2世など、
親族のものであることはほぼ確実と見られています。

アレクサンダー大王
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ただ、アレクサンダーの墓はギリシアにはなく、文献には、
その死後、アレクサンダーの遺骸はまずエジプトのメンフィスに埋葬され、
ついで彼の名を冠した都市に移された。この地に作られた大王の墓を
人々が訪れ、神殿のように崇敬した、と出てきます。
つまり、現エジプトのアレクサンドリアにあるということになりますね。

世界の考古学者が情熱的に墓探しに取り組んでいて、もし見つかれば
世紀の大発見ですが、アレクサンドリアはカイロに次ぐエジプト第2の
都市でビルが立ち並んでおり、きわめて困難です。じつは自分は、
もう数十年もアレキサンドリアを調査しているギリシア人考古学者と
個人的に知り合いでして、見つかればいいなあと心から願ってるんですが。

チンギス・ハーン
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もうここまで、だいぶ長くなってしまいました。最後の一人になるかな。
だいたい誰か想像がつくんじゃないでしょうか。アレクサンダー大王とは
時代は違いますが、肩を並べるほど有名なアジアの英雄、
モンゴル帝国初代皇帝の蒼き狼、チンギス・ハーンの墓です。

その偉業については書くまでもないでしょう。大英帝国などといったのは
別にして、個人としては世界史で最も領土を拡大した人物。
その孫のフビライは元の皇帝となり、日本にも遠征してきました。
1227年、ハーンは陣中で病没しましたが、『元史』などによると、
モンゴル高原の「起輦谷」へ葬られたと記されています。

チンギス・ハーン時代のものと見られる遺構
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その墓は大きくはなく、しかも所在地は厳重な秘密とされました。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』では、チンギスの遺体を運ぶ隊列を見た者は
秘密保持のためにすべてて殺され、また、埋葬された後はその痕跡を
消すために千頭の馬を走らせ、一帯の地面を完全に踏み固めさせたと
出ています。秘密にしたのは、墓を暴かれると国が破れると考えたからです。

さてさて、冷戦が終了した後、世界からモンゴルに多数の考古学者が
訪れ、墓探しを行っています。日本の調査隊も行きましたし、
最近、ナショナル・ジオグラフィック誌の調査隊も赴きましたが、
地上構造物はない可能性があり、これも発見はきわめて難しいでしょう。
では、今回はこのへんで。