去年、オーストリアのウィーン大学に在籍するCaslav Brukner氏が、
複数の粒子の量子もつれ(エンタングルメント)を同時に利用することで、
「ウィグナーの友人実験」を研究室内で再現する方法を考案しました。
Proiettiと彼のチームは、これを実行に移すことに成功したのです。

彼らはもつれの発生した6つの光子を利用して2つの現実を作りました。
一つはウィグナーを表し、もう一つは友人です。「友人」側は光子の回転軸
(上向きか下向き)を観測して結果を記録し、「ウィグナー」側はその後、
観測結果と光子が重ね合わせになっているかどうかを観測します。

量子力学上、光子の回転軸は、観測されるまで上向きと下向きの状態が
重なり合っているとされます。普通に考えれば、「友人」が観測した段階で
回転軸はどちらかに収束し、「ウィグナー」から見ても「友人」と同じ結果が
得られるはずです。しかし結果はウィグナーの予想通りで、
二つの現実は一致しませんでした。(GIZMOD)


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科学ニュースから、今回はこういうお題でいきます。ただこれねえ・・・
難しいというか、考えても無益かもしれない内容なんですよね。
なぜ無益なのかは、後のほうで少しふれたいと思いますが、
このニュースのような物理学的内容を「解釈問題」と言います。

さて、みなさんは「シュレディンガーの猫」の思考実験はご存知でしょう。
当ブログでも何度か取り上げていますが、もう一度簡単におさらいすると、
「蓋のある箱に猫を一匹入れる。また、箱の中にはラジウムがあり、
このラジウムは1時間に50%の確率でアルファ粒子を放出する。

アルファ粒子が放出された場合、ガイガーカウンターがそれを検知し、
青酸ガス発生装置のスイッチが入って、ガスを吸った猫は死ぬ。
量子力学的には、アルファ粒子の放出は確率的に記述される。つまり、
粒子が放出された状態と放出されない状態が重なり合っていることになる。
では、猫についても、死んだ猫と生きた猫が重なり合っているのか?」

だいたいこんな内容です。まず、「量子力学的な記述」について説明します。
昔は、原子核のまわりを回る電子は下の図の左のような形で表わされました。
これをラザフォードモデルと言います。しかし、量子力学が進展するにつれ、
電子が原子核のまわりのどこにあるのかは、
確率的にしか言えないという考え方が強くなってきたんですね。


ラザフォードモデルと現在のモデル
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電子は原子核の周囲のどこにあるかはわからない。ただし、電子がある確率が
高い場所と低い場所がある。これは空に雲の濃い場所と薄い場所が
あるのと似ている。だったら電子の場所は確率の雲として図示しよう。
そうして考え出されたのが、図の右側です。で、この電子の雲は、
観測された瞬間に収縮して、ある一点に定まります。

「シュレディンガーの猫」の場合も、猫の生死を蓋を開けて観測するまでは、
死んだ猫と生きた猫が、重なった状態で存在している・・・
さすがにそうは思えませんよね。ですから、この思考実験には多くの
批判が出されました。その代表的なものとして、「ミクロの世界の現象を
マクロの世界に適用してはならない」とするものです。

この場合、ミクロの世界は「アルファ粒子の放出の有無」であり、
マクロの世界は「猫の生死」です。この論は一見正しいように思えます。
「トンネル効果」という現象があります。エネルギー的に、
通常は超えることのできない領域を、粒子が一定の確率で通り抜けてしまう
ことで、それがミクロの世界では起きるんです。

ですが、例えばみなさんが野球のボールを壁に向かって投げたとして、
ボールが壁を通り抜けることはありませんよね。ボールを投げるのは
マクロの世界であり、そこにはミクロの世界の法則は通用しない。
だから、「シュレディンガーの猫」でも、生きた猫と死んだ猫が
重なり合っているなんてことはありえない。

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まあ、たしかに常識的な解釈です。ですが、「ミクロの法則はマクロには
通用しない、マクロの世界では量子的な効果は消えてしまう」ということが、
本当に正しいかどうかは証明されていないんです。もしかしたら、
たいへんに低い確率ですが、ボールが壁を通り抜けることも
起こりえるのかもしれません。

さて、引用ニュースの話に戻って、「ウィグナーの友人実験」とは、
ノーベル物理学賞受賞者のユージン・ウィグナーが、「シュレディンガーの猫」
のバリエーションとして考え出した思考実験で、「観測」ということを
より重要視しています。だいたいこんな内容です。

ユージン・ウィグナー
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「アルファ粒子が放出されると、箱の中のランプがつく。
ウィグナーの友人はそれを観測すれば、粒子が放出されたかどうかがわかる。
友人はその結果を別室から部屋に入ってくるウィグナーに伝えるが、
そのとき、友人のいる部屋は、ウィグナーにとっては
シュレディンガーの猫の箱と同じ状態になっているのではないか?」

ウィグナーが部屋に入って友人に聞くまで、当然ながらランプがついたか
どうかはわからないわけです。とすれば、ウィグナーからみれば、
いまだにアルファ粒子は、放出された状態と放出されない状態が重なり合って
いることになります。でもまあ、友人が見た結果とウィグナーが見た結果が
同じなら、それほど問題はないだろうと思いますよね。

ところが、最近の実験で、矛盾するような結果が出てきました。
わかりやすくするために極端な話をすれば、「友人はランプがついているのを見た」
「ウィグナーが確認するとランプはついていなかった」これだと、客観的な現実は
存在せず、観測者によって世界は異なる、ということになってしまいます。

引用ニュースの実験のイメージ
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また、もし、友人とウィグナーがいる研究所に別の研究者が来て、
ランプがついてるかどうかを聞いたらどうなるでしょう。その研究者にとっては、
研究所の建物が、シュレディンガーの猫の箱になってしまいます。
さらに、研究所は塀に囲まれていて、その外からまた別の研究者が・・・(笑)
という具合に、無限に続く入れ子構造を想定することもできてしまうんです。

さて、ここまで読まれて、みなさんはどうお考えになられたでしょうか。
これについて、無限の観測の上に立つ、究極の観測者を想定する論があります。
つまり、その観測者だけは、死んだ猫と生きた猫の重ね合わせなどということに
左右されず、全ての出来事を無限の視点から観測して結果がわかっている。
もうおわかりでしょう。この観測者は、神ということになります。

さてさて、最初に書いた話に戻って、量子力学では研究者に対して
「若いうちは解釈問題には立ち入るな」と言われることが多いんですね。
いくら解釈問題に深入りしても、ノーベル賞級の確たる成果は出ず、
学者として一番頭の働く時期をムダにしてしまうという意味です。
では、今回はこのへんで。