小学校6年生のときの話。
その日は地元の神明社の縁日で、7月第3週の土曜日。
昼間は山車が出るし夕方からは神社の参道沿いにずらっと夜店が並ぶ。
小学生は学校から子供だけでいく場合は、
8時になったら帰るように言われてたけど、中学生と違って、
先生方の見回りなんかないから守らないやつがたくさんいた。
俺も当然、8時過ぎても友だち3人とあちこち見て回っていたら、
隣のクラスの委員長をしてるやつが、元気ない様子で、
とぼとぼ人混みの中を歩いてるのを見つけた。
そいつはスポーツもできる活発なやつだったんで、

かなり意外な感じがした。

それで普段はあまり話したことがなかったけど、
近寄って声をかけたらほっとした様子で、
「よう。・・・お前ら『しめんをまもるあかのとり』って何だか知ってるか」
って聞いてきた。「何だそれ?」
「全然わかんね」俺らはほとんど考えもせずそう返したが、
そいつがあんまり真剣な目をしてたんでちょっと黙った。
「これ銀行の横の小路にいたヒヨコ売りに言われたんだよ」
「ヒヨコって鳥のヒヨコのことか?」
「さっき銀行の横通ったけどそんなのいなかったぜ」
そいつの話によれば、8時になったんで、
一緒にきた隣のクラスのやつらと別れて歩いていたら、


銀行の横のせまい小路から赤い光がもれているのが見えて、
いってみたらヒヨコ売りが店を出していたんだそうだ。
屋根もついてない屋台に大きな平箱を2つ並べてあり、中に

いろんな色のついたヒヨコがひしめいていた。金魚すくいは珍しくないけど、
そんなのはこれまで見たことなかったんで近寄っていった。
お客さんは他に誰もいなくて、裸電球の下で麦わら帽のじいさんが、
箱の前にしゃがんでいた。「これ一匹いくらですか」と聞いてみたら、
「あんたは選ばれてきたんだから金はとらんよ。ほうら」と言って、
蛍光ピンクの一匹を手のひらにのせてよこした。
生き物らしい温かみを感じたんだけど、
そのヒヨコはすぐにくたっとなって頸を手のひらにつけた。


すると急にふわふわの羽毛が風船みたいにふくらんできて、
大人の顔くらいになってパンとはじけた。風船と違うのは、
血の塊や内臓やら皮膚の断片があたり一面にちらばったことだった。
「うわっ」と叫んで手を引っ込めたが、
気持ち悪い管みたいなのがたくさんこびりついてた。
じいさんは平気な顔で「ああ、あんたじゃ飼えなかったんだな。
まあ千人に一人だからねえ」そう低い声で言った。
続けて「飼えなかったんだからやっぱりお代はもらうよ。
そうだなあ・・・あんたのお父さんの命だな」
気持ちが悪くて逃げて帰ろうと思ったけど、
聞き捨てにできない話だったんで後ずさりしながら、


「お父さんの命って、父さんが死ぬってことですか」と聞いた。
「そうだよ。ヒヨコがあんたを受け入れなかったのは、
こっちのせいじゃないから。・・・払いたくないか、
だったら『しめんをまもるあかのとり』を明日中に神社にお供えすればいい」
じいさんがそう言ったとたん、箱の中のヒヨコがいっせいに鳴き始めた。
しかしマンガにあるような「ピヨ、ピヨ」という音ではなく、
「ギョー、ギョー」という不気味な声だったそうだ。たまらなくなって、
その場を逃げ出した。手の汚れは缶ジュースを買って洗い流したという。
「変な話だなあ」「銀行の横の小路ってすぐだろ。みんなで行ってみようぜ」
で5人で行ってみたが、駐車場で銀行の人たちが子どもに風船をくばってた

くらいで、小路には何もない。電線もひかれてないし店があった様子は

なかった。「ほんとにここか。どっかと勘違いしてるんじゃない?


裏に回ってみようか」と言ったけど、
「もういいよ、アリガト。でも、『しめんをまもるあかのとり』
ってホントに知ってる人いない?」俺らはだれも答えられなかった。
そいつは帰っていき、俺らまでなんだか変な気がしてきて、
それから30分くらいで家に戻った。
2日後、農協の職員だったそいつの父親が籾殻にうずまって窒息死した。
そいつは1週間くらい休んで数日だけ出てきた。
俺らがお祭りのときの話をしようと休み時間にいってみても、
廊下にも出てこず教室の中で首を振るだけだった。

その後母親の実家がある近くの町に転校していった。