人間の感情の中で、何よりも古く、何よりも強烈なのは恐怖である。
その中で、最も古く、最も強烈なのが未知のものに対する恐怖である。
(ラヴクラフト『文学と超自然的恐怖』)




さて、これもホラー界の大御所の一人、クトゥルー神話で
知られるH・P・ラヴクラフトに登場してもらうんですが、
じつはラブクラフトを語る上で格好の映画があります。
スチュアート・ゴードン監督の映画『DAGON』2001。

『インスマウスの影』を下敷きとした、一般的にはB級と
見られることの多い映画です。これはわざとやっているのかも
しれませんが、この映画にはラヴクラフト作品とは相いれない
要素がいくつか出てきます。



H・P・ラブクラフトについては、オカルト・ホラーファンの方なら
当然 ご存知でしょうが、いちおうふり返ってみましょう。
19世紀末にアメリカで生まれ、1937年、46歳で
亡くなっています。発表誌の多くはパルプ・マガジンだったため、
ずっと無名でしたが、その死後、友人たちが作品集を出版し、

知られるようになっていきます。ラヴクラフト自身が、
「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」と呼んでいたその
作品テーマは、友人の作家オーガスト・ダーレスにより体系化され、
クトゥルフ神話と名づけられました。

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クトゥルフ神話とは、これもみなさんご承知でしょうが、
太古の地球を支配していたが、現在、地上から姿を消している
強大な力を持つ恐るべき異形のものども(旧支配者)が現代に
よみがえることの恐怖を描いた作品群で、クトゥルフ(クトゥルー)は
海底に潜むタコ型の巨大な神です。

ラブクラフトの評価については、エドガー・アラン・ポーと
並び立つとまで言う人もいますが、さすがにそこまでのことは
ないと思います。ただ、上記したような宇宙的恐怖を描いた作家は
それまでになく、サブ・カルチャーとしてのアメリカン・ホラーを
語る際には無視できない存在となっています。

H・P・ラブクラフト


また、クトゥルフ神話の作品世界は、その後も世界のさまざまな
作家によって書き継がれ、日本では小林泰三氏などが有名です。
じつは、自分が書いた「ムーンチョコ」なども、
クトゥルフ神話を意識したものなんです。

さて、次に映画『DAGON』について。2001年のスペイン映画で、
ラブクラフトの作品『インスマウスの影』などを下敷きとした
ものです。まあB級映画なんですが、それなりに評判を呼びました。
で、この映画、本来のラブクラフト作品と比較すると、
いろんなことが見えてくるんですよね。



まず、その一つめは女性の存在です。映画には、襲われ役&色気担当の
女性2名と、主人公を誘惑する美人のイカタコの女王が出てきますが、
本来のラヴクラフト作品は女っ気はなく、出てきても重要な役割を
はたすことはありません。まずここが違います。

もう一つ、映画はB級らしい残酷描写がたくさん出てきており、
その中でも生きたまま顔の皮を剥がすシーンが見どころなんですが、
ラヴクラフトの作品には肉体損壊の恐怖というのはあまりなく、
登場人物の多くは太古の秘密を知ったがための狂気に蝕まれていきます。

クトゥルーのゲームでもそうですが、じょじょに狂気に陥いっていく
恐怖というのがラブクラフトの作品では重要なポイントです。
つまり『DAGON』は典型的な娯楽としてのホラーなんですが、
これと比べると、ラヴクラフトの作品は、娯楽雑誌に描いていながらも
あまり娯楽性が高いとは言えず、



作品からうかび上がって見えてくるのは、神経質で人嫌いな
作者の人物像です。また、そういう人物だからこそ、あのような
壮大な神話的物語を構築することができたんだと思います。
(ただし神話大系が整ってるわけではありません。
それは後代の人の仕事によるところが大きい)

ラブクラフトの代表作の一つ『クトゥルーの呼び声』は、一読すると
地味な作品で、ウイアード・テールズ誌によってボツにされた
経歴がありますが、海底に眠るクトゥルーが星の動きによって
一時的に目覚め、世界の人々の精神に影響を与えるという内容で、
これなど実にラブクラウトの本質が表れていると自分は思います。

怖い代表作としては上記した『インスマウスの影』や
『エーリッヒ・ツァンの音楽』などでしょう。あと『ダンウィッチの怪』
の後半はなんかは日本のテレビ番組『ウルトラQ』を思わせるものがあり、
この手の活劇も、ラブクラフトの作品の中では異質です。

さてさて、自分も、今後、少しずつでもクトゥルフ神話系の話は
書いていきたいと思ってるんですが、日本を舞台にすると
なかなか難しいんですよね。いろいろと工夫が必要です。
では、今回はこのへんで。