裏返る
デザイナーをしている元木さんの体験。小学校1年のときです。
雨降りの日で、傘をさして歩いてたのは間違いないです。赤い傘です。
たぶんお母さんといっしょだったと思うけど、そのあたりは記憶があいまいで。
一人だったかもしれません。あと、新しいピンクの長靴もはいてました。
子どもだったから、水たまりがあると、どんどん踏み込んでって。
それで、大きな水たまりがあったんですよ。傘をさした私の全身が
映るくらい大きな。そこにずんずん入ってって、傘をさしてる姿が、
大きくはっきり映ったんですよね。そのときに、水面がぐにゃんとゆがんで、
ほんの短い時間で、自分の体が下に沈んで、しかもひっくり返る感覚がありました。
「え?」と思ったときには、普通に戻ってたんですが・・・
それから、街中にある看板が一切読めなくなってしまったんです。

あの、鏡文字ってわかりますよね。字を鏡に写した文字。
すべてのものがそれに変わってしまってたんです。小学校1年でしたから、
ひらがなや簡単な漢字を習いますよね。それが全部読めなく

なっちゃったんです。教科書も、家にある絵本も、何もかもが鏡文字。
ええ、親が心配して病院に連れていきましたけど、珍しい症例だということで、
地域の大学病院から、東京の研究機関まで、あちこち受診させられました。
でも、結局治らなくて、字は一から全部おぼえ直すことになったんです。
まあ、小1だからまだよかったんですけど。それから、中高では美術の、
特にデザインの才能があるって言われて、美大に進んで今の仕事についたんです。
これ、どう思われますか? やっぱりあのとき、水たまりに映った私と
入れ替わっちゃったんでしょうか。まあ、そうだとしても不満はないんですけどね。

目の神社
JRを定年退職した西村さんの話。定年退職して1年。毎日が日曜日で、悠々自適の

生活をしてたんですが、さすがにね運動不足を痛感するようになりまして。
一念発起して、ウォーキングを始めたんです。女房が早くに病気で亡くなって

るんで、一人暮らしですよ。で、毎日4時半に起きて、5時には家を出ます。
始めてみたら、ウォーキングしてる方ってけっこういるんですね。
私よりかなり年配のご夫婦で歩いてる方や、私のような独り者の男性。
そういう方々と自然に知り合いになりまして、あいさるするのが日課になりました。
でね、ウォーキングをやり出してから1年ほどたったときですね。
私が歩くのは、だいたい往復で1時間で、コースもいくつかありまして。
その日は、市の運動公園へのコースをとったんです。ゆっくり歩いていくと、
脇道から、ウォーキングされてる人が何人も出てこられて、

それが、すべて男性で、見たことがない人ばかりでした。そのときは、今朝は

ウォーキングの人が多いなくらいで、特に気にも留めなかったんですが・・・
野球場をぐるっと回って、さあ戻ろうかというときに、赤い鳥居が見えたんです。
「あれ?」と思いました。だって、何度も通ってる道なのに、そんな神社、
記憶になかったですから。鳥居の中をのぞき込むと、参道の奥にたくさん人が
集まってるのが見えました。「何かお祭りでもやってるんだろうか」そう思って、
私も入っていきました。そしたら、大きくはない社殿の前に、年配の男性ばかり
20人ほどが立ってたんです。特にお祭りらしい様子はなかったです。
その人たちは、トレーニングウェアを着たり、水筒を肩から下げたりしてて、私と

同じウォーキングの途中に見えました。「この人たち、何でここにいるんだろう?」
そのとき、妙なことに気がつきました。全員、右の目に眼帯をしてたんです。

「?? ここはもしかして、眼病に効験のある神社か何かなのか?」
そう考えたとき、社殿の回り廊下の後ろから、白装束の神職が2人出てきまして、
閉まってた社殿の扉を、両側から開いたんです。「え?」そしたら、
中に、巨大な・・・幅2m以上ある目があったんです。いや、本物の目じゃなくて、
木彫か何かだと思いましたよ。そしたら、社殿にいた人たちが、そちらに向き直り、
いっせいに柏手を打って、お辞儀をしたんです。私もつられて、同じ動作を

しました。それで社殿の扉は閉められ、いた人たちは三々五々帰っていきました。
それだけの話なんですが・・・翌朝、その神社にもう一回行こうとしても、
どうやっても見つけることができなかったんです。野球場を過ぎたとこは、
ずっとフェンスが続いているばかりで・・・ね、変な話でしょう。それと、
あれ以来、右目の底のほうが痛いんです。ええ、病院に行こうと思ってます。

道路をにらむ
道路公団に勤めている三島さんの体験。あのほら、事故多発地点ってあるじゃ

ないですか。年に何件も、同じ場所で交通事故が起きる場所。僕は、そういう

ところの対策をたてる仕事をしてるんです。でね、事故が頻繁に起きる場所って

のは、たいがい、何かしらの理由があるんです。例えば、見た目よりもカーブの

角度がきついとか、ゆるい下りになってて、スピードが出やすいとか。でも、

ときどき、死亡事故が多発してるのに、これといった理由が判明しない場所も

あるんです。その、県道にあるカーブもそうでした。見晴らしが悪いわけ

じゃないし、角度も急ではない。それなのに、去年だけで5件の事故があり、
7人の人が亡くなってる場所。そこへ、上司と2人で出かけて、
あれこれ調べたんですが、どうやっても事故が起きる理由がわからない。

そしたら、上司が、「これはダメだ、峰さんを呼ぼう」こう言いまして。

峰さん、っていうのは、大きな声では言えないんですが、

僕らが協力していただいてる修験者の方です。年齢は

70代でしょうね。いや、気のいいおじいさんという見た目です。連絡したら、

すぐに来てくださりまして。服装もズボンにポロシャツの普段着です。
ただ、長い望遠鏡を持ってこられます。それを、事故多発地点に設置して、
四方八方を覗くんです。でね、30分ほどして、ずっと向こうにある小高い丘を
指さして、「ああ、わかりました。あそこですよ」って言ったんです。
それから、上司といっしょに、僕が運転する車に乗っていただいて、
その山を目指したんです。1時間ほどかかって山の登り口に着き、
そこを車で入っていくと、中腹に、大きな寺院がありました。でも、それ、
ちゃんとした宗派のものじゃなくて、ある新興宗教が建てたものだったんです。
しかも、その団体はつぶれてしまったらしく、荒れ放題でした。

ええ、立入禁止だと思うんですが、管理する人もいなかったし、
峰さんを先頭に、僕たちはどんどん施設の中に入っていきまして。そしたら、
草ぼうぼうになった前庭に、巨大な観音像が立ってたんです。そうですね、
高さ10m近かったと思います。峰さんは、それを見て「ああ、あれだ、あの目が
道路をにらんでる。祀る者がいなくなった恨みの目でな」たしかに、
そのうつろな視線の先に、事故多発地点があったんですよ。でね、原因がわかれば
あとは対策をするだけ。国会議員を通して施設の所有者に掛け合って、
その観音像だけは撤去してもらったんです。そしたら、それ以後は、
事故ゼロです。軽い接触事故すらありませんよ。まあ、こういう話です。
そうですか、興味深いですか。峰さんにやっていただいた仕事の中には、
もっと不可思議なものもあります。いつか機会があればお話しますよ。

きつね面
農業を引退した松崎さんの話。子どもの頃ね、俺は分家だったから、盆正月は

本家に集まったもんだ。昔は多産だったから、子どもらだけでもたくさんいて、
久しぶりにイトコや甥、姪に会うのが楽しみでね。でね、これは俺が中1のお盆の
ときのことだったと思うが、5歳くらいの女の子の手を引いてたんだ。
いや、その子も親戚で、名前は美代子って言ったはず。
ただね、何で俺がその子を連れてたかは覚えてない。とにかく、
お祭りの中にいたんだよ。たくさん屋台が出てて、人であふれてた。
で、そんとき。俺は珍しく小遣いを持ってたから、美代子に、
「何か欲しいものがあれば、買ってやるよ」って言ったんだが、
美代子は首を横に振るばかりで。でね、ある屋台の前に来たとき、美代子が、
指さして「あれ、ほしい」って言い出して。

ほら、昔よくあったお面屋だ、アトムの面とかがある。でも、美代子が指さした

のは、古臭いきつねの面で、こんなのが欲しいなんて、ちょっと変わった子だと、
そのときは思った。安いものなんで買ってやったら、美代子は頭の上にか被って
大喜び。それで、俺が面を顔の上まで引き下げてやったんだよ。そしたら、

浴衣を着ていた美代子の体が、銀白の毛をした本物のきつねに変わって、するんと

藪のほうに逃げてってしまったんだよ。いくら呼んでも探しても見つからない。
これは困った、小さい子を迷子にして怒られると思って本家に戻ったら、
家中がバタバタしていて、母親に「どうした?」って聞いたら、昨日の夜から
熱を出してた美代子ちゃんが死んでしまったって言うんだ。でな、

医者が帰ってから、顔に布をかけて寝かされてる美代子を見に行ったら、

小さな布団のすそのほうに、カランときつねの面が落ちてたんだよ。