※ この項は「妖怪談義」です。妖怪談義は江戸の妖怪絵師、鳥山石燕の

作品を読み解きます。

 

反魂香 鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より

 

今日は妖怪談義です。お題は反魂香(はんごんこう)。
これ、まず最初に2つのことを説明しておきます。「鳥山石燕の妖怪画は

妖怪の個体名?を集めてるはずなのに、これはお香の名前ではないか?」
こう思われた方がいるのではないでしょうか。

 

鳥山石燕『百鬼夜行図巻』の作者


「妖怪」という言葉は、前に京極夏彦氏について書いたときに

ちょっと触れたんですが、石燕の時代ではまだ、

「怪しい出来事、妖しいもの」という意味が残っているんですね。


例えば「◯月◯日、どこそこで妖怪があった(起きた)」のように、
「怪奇現象」という意味での使われ方ですね。ですから、

「隠れ里」「幽霊」などといったものも石燕の作品には収集されていてるんです。

もう一つは、「反魂丹」との違いです。字面だけみれば、「香」がお香で、
「丹」が丸薬なわけですが、「反魂丹」の説明をWikiで見ますと、
「丸薬の一種。胃痛・腹痛などに効能がある。
日本において中世より家庭用医薬品として流通した」と出てきます。


これは中国風の名前をつけた、昔の日本の胃腸薬なわけです。落語に

『反魂香』という演目がありますが、この二つを混同した勘違いが噺の骨子で、
隣りに住む僧が反魂香で高尾太夫の霊をを呼び出すのを目にした

長屋の八五郎が、間違えて薬屋から反魂丹を買ってきて燃やし、
死んだ女房に一目会おうとするという内容です。

 

反魂香を焚くと死んだ人に会える


さて、本来の反魂香は「焚くとその煙の中に死んだ者の姿が

現れるという伝説上の香」となっています。

もしかすればここでも勘違いがあるかもしれません。


効能は、永遠に死者をよみがえらせるということではなく、
香を焚いたときにだけ、わずかに死者の姿が見えるというものなんですね。
それこそ霊魂のようなもので実体はなく、触ったりはできないようです。

由来は古く、中国の前漢の時代。石燕の詞書には、
『漢武帝 李夫人を寵愛し給ひしに、夫人みまがり給ひしかば、思念してやまず、
方士に命じて反魂香をたかしむ。夫人のすがた髣髴として烟の中にあらはる。
武帝ますますかなしみ詩をつくり給ふ。是耶非耶立而望之 偏娜々何再々共来遅』

漢の武帝というのは前漢の第7代皇帝で、紀元前の人です。
その治世は、儒教を国教としてあつかっていたものの、後半になると、

取りまきの方士に影響されて、神仙術への傾倒を深めていきます。

不老不死をこい願うあまり、宮中に崑崙山の神人、
西王母が降臨して教えを説いた、などという話も伝わっています。また

その時代には、憎い相手の名前を書いた人形を地中に埋めて呪う巫蠱の術が流行し、

 

漢の武帝


多くの者が呪詛の罪で断罪されていますが、これには冤罪も多かったようです。
日本の平安時代にも「呪いを行った」という罪状で政敵を陥れる、
ということがありましたが、その元と言っていいかもしれません。

さて、なかなか話が進みませんが、反魂香は西域由来の植物香のようです。
西海聚窟州にある返魂樹という木の香で、楓または柏に似た花と葉を持つ、
西域の大月氏国から献上されたものである、といった記述が後の文献に見えますが、
種類の特定はされていないようです。


根を煮詰めた汁を練ったものを火にくべて用います。
李夫人については、正式な皇后ではなかったようですが、
あまりよくは知られていません。ただすごい美人であったのはたしかなようで、
「傾城」「傾国」という語の由来と一般的に見られています。漢書にある、
「一顧傾人城,再顧傾人国」(一目見れば城が傾き、再度見れば国が傾く)ですね。

 

白楽天(白居易)



反魂の儀式については、唐の詩人白楽天(白居易)の

『李夫人』という詩に出てきます。
白楽天には『長恨歌』という唐の玄宗皇帝と楊貴妃の物語をうたった
有名な長詩がありますが、こういう主題が好きだったみたいですね。


若くして李夫人を病魔にとられた武帝は、斉の方士、少翁を招き、
玉製の釜で反魂香を練り金の炉で焚かせると、確かに李夫人の姿が現れます。
それも病気以前の容色の衰えていない姿でです。

ですが、はるかかなたにぼうっと浮かんでいるのみで、
香が燃えるわずかな時間しかこの世にとどまっていてくれない。
これによって武帝の悲しみが癒やされるどころか、恋しさはますますつのり、

苦しみは増していくばかり、という内容です。この詩は

日本でも有名であったらしく、『源氏物語』にも一節が引用されていますし、
この故事を元とした和歌もいくつもつくられています。

 

『源氏物語』を書く紫式部



最後に白楽天はこう結んでいます。「人非木石皆有情 不如不遇傾城色」
(人はみな木石ではなく情を持っている。そのような美人には出遇わないほうが

幸せだろう)うーん、美人には出遇ったほうがいいように思いますが、
死別する悲しみは避けようがないものだ、ということでしょうか。


さらに、それをよみがえらせるなどといったことは世の理に反するから、
してはならないという教訓も含まれているのでしょう。
これは、中国日本だけではなく、西洋の死者をよみがえらせる話でも、
最後は不幸な結末になることが多いようですね。
現代の、有名なジェイコブス『猿の手』などもそうでしょう。

 



さてさて、反魂香の効果ですが、現代の知識で考えれば、
一種の植物アルカロイドを用いた幻覚作用と見ることができるでしょう。
ですから、もしかすれば幻覚が終わった後に、
人を鬱に引き込む副作用があったのかもしれません。

また、催眠術(幻術)でも同じようなことができたようで、
どこまで本当かわかりませんが、戦国時代の逸話として、果心居士という

諸大名を渡り歩く幻術者に、悪逆で知られる松永弾正久秀が、「何度も

戦場の修羅場をくぐってきた自分に恐ろしい思いをさせることができるか」


と挑んだところ、急にあたりが暗くなってしとしと雨が降り出し、
数年前に死んだ妻がいつの間にかかたわらにいて

「お話しませんか」と声をかけてきた。震え上がった秀久が術を止めさせると、

また元の晴天に戻ったという話が残っています。では、このへんで。