今回はこういうお題でいきます。オカルト論ですね。
自分がいろいろな宗教の話を書いているのは、オカルトと
宗教、特に西欧においてキリスト教とは切り離せない
ものであるからですが、それ以外にも、もしみなさんが
伝奇時代小説などをお書きになるとき、

何かの参考になればいいかなと思うからです。さて、
本題に入る前に、仏教の諸仏には階級があります。
階級というと言葉があんまりよくないんですが、種類と
いうのも変だし、まあ、この言葉を使うしかないです。

諸仏は大きく4つに分かれ、「如来、観音、明王、天部」です。
一番位が高いのが如来、完全に悟りを得て、仏になった者。
仏は実体があって ないようなものなので、身なりには
こだわらず、簡素な衣一枚だけの姿で表されます。
次が菩薩、観音菩薩などですが、これは仏教を修行して

蓮華の花を持つ観音菩薩
キャプチャhhhjkk

如来を目指している者で、お釈迦様の修行中の若い頃が
モデルになっているので、宝冠や首飾りなどをつけて
着飾った姿で表されることが多いんです。『西遊記』には
観音菩薩が出てきますが、あれだけの力を持っても、
まだ修行中なんですね。

明王は仏教を護る親衛隊のような存在、孔雀明王、不動明王
などが知られています。怖い顔をして手には武器を持っている。
仏教は北インドにおいて、長い間イスラム教勢力と争った
歴史があり、こういう存在が出てきました。

宝剣を持つ不動明王
キャプチャgggh

最後の天部は、インドに古くから伝わる神々を無視できず、
仏教に取り入れられたものです。帝釈天(インドラ神)、
梵天(ブラフマー神)など。さて、今回のお題である
持物(じもつ)とは、それぞれの仏が手に持つ道具のことです。

それらにはそれぞれ意味があるので、一つずつご紹介して
いきます。まずは「宝珠」、如意宝珠とも言い、
「思いのままに望みのものを出すことができる」とされます。
日本では、下部が球形、上部が山なりに湾曲し尖っています。

吉祥天や地蔵菩薩が持っていて、信者に財宝を降らしたり、
災いを除いたりします。橋や神社の建築に見られる
擬宝珠(ぎぼし)がこの形をしていますね。
ネギの花の形に似ているとも言われます。

薬壺 を持つ薬師如来


次が「羂索 けんじゃく」、何重かに巻かれた縄の形をして
います。これは何かを縛るためのものではなく、すべての
衆生をすくい取るためのものとされます。
不動明王や千手観音が持っています。その名がついた

不空羂索観音(ふくうけんじゃく)は、六観音の一つに
数えられる密教の仏ですが、多くの腕を持ち、シカの
毛皮を身に纏っています。空しくなることがないよう、
自分を頼るすべての者を救うため、羂索を持っています。

わかりにくいですが、羂索を持つ不空羂索観音
キャプチャvvv

次が「蓮華 れんげ」インド原産のハス科多年性水生植物    
の花で、観音菩薩を象徴し、煩悩に汚されない清らかさを
持つとされます。これは仏が立ったり座ったりしている
蓮台とは別で、やはり手に持つものです。

「水瓶 すいびょう」、中には霊水が入っていて、
穢れを祓います。十一面観音菩薩や勢至菩薩が持っています。
「薬壺 やっこ」、これはもちろん、薬師如来が手に持つ
持物です。薬師如来は、この世における衆生の疾病を
治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめん、

宝珠を持つ吉祥天
キャプチャ

と誓い、仏と成りました。医療が発達していなかった古代に
おいて、病気平癒は人々の共通の願いであり、それが
形となった仏と見ていいでしょう。仏教が日本に
伝えられた最も初期から信仰されています。

「宝剣」、これは仏敵を倒すという意味もありますが、
基本的には、自分の中の煩悩を砕くためのものです。
諸明王や、文殊菩薩が持っています。そろそろ字数が
なくなってきましたね。最後は「鈷杵 こしょ」

鈷杵を持つ密教者として描かれる後醍醐天皇


金属製の密教法具で、武器の鉾を象徴化したもので、煩悩
をくだき、仏性を顕現させます。刃の数によって、独鈷杵、
三鈷杵、五鈷杵などと言います。後醍醐天皇は死に際し、
これを持ち、自分の体を使って北朝を呪いながら死んでいった
と伝えられます。

さてさて、ということで、仏教の持物を見てきました。
一般的に、如来が持物を持つのは薬師如来の薬壺くらいで、
多くは菩薩や明王が持っていることが多いんです。
如来は物には頼らないということなのかもしれません。

では、今回はこのへんで。