今回はこういうお題でいきます。カテゴリはオカルト論にしておきますが、
日本史とも深い関係がある内容ですね。みなさん方の中で、
「ヤジロウ」という名前をご存知の方がどれほどおられるでしょうか。
一般的な歴史教科書には出てきませんので、よほど宗教史などに
詳しくなければ、聞かれたことはないんじゃないかと思います。

この人物、「日本人初のキリスト教徒」と言われることが多いですね。
ですが、ほんとうに日本人初かはわかりませんし、違う可能性のほうが
高いでしょう。「日本にキリスト教が伝来する契機となった人物」
こう言ったほうが正確なような気がします。

ヤジロウの像 しかし元海賊なのでこういう人物ではなかったと思われます
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さて、ヤジロウは名前の漢字がわかりませんので、アンジロウの可能性も
あるようです。庶民ですので名字はないと思われます。
彼は16世紀の人物で、現在の鹿児島県の出身。若い頃は倭寇(海賊)の
一員でした。人を殺した罪で追われ、鹿児島に来ていたポルトガル船に
乗り込んで、なんと現マレーシアのマラッカまで逃れます。

その地で出会ったのが、イエズス会の修道士、フランシスコ・ザビエル。
1547年のことです。ザビエルはヤジロウから日本の話を聞き、
布教の可能性を尋ねます。するとヤジロウは、「日本には第一の王である
天皇がおり、すべてのことを支配するる権力者ですが、実際の政治は
将軍と呼ばれるものにまかせています」と答えます。

ザビエルがさらに、天皇をキリスト教徒にする可能性を尋ねると、
ヤジロウは「ある」と答えるんですね。ザビエルの書簡には、
日本に渡航するにあたって、「日本に着いたらまず天皇のところへ
行こうと考えている」という言葉が出てきます。

フランシスコ・ザビエル
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ただ、これ、不幸なことに両者とも大きな誤解をしてるんです。
ヤジロウは辺地である鹿児島出身で、人生のほとんどを海の上で過ごし、
当時の京都の状況がわかってはいませんでした。また、ザビエルのほうも、
当時のヨーロッパ国王はみなキリスト教徒であり、ローマ教皇に従って
いたため、天皇に布教するのも難しくないだろうと考えてしまったんです。

こうしてザビエルは1549年に鹿児島の地を踏み、これが日本における
キリスト教伝来の年として教科書に載っているわけです。
鹿児島で島津貴久に布教の許可を得たザビエルは京都に向かいますが、
実際に訪れた京都は応仁の乱のために荒廃し、将軍の足利義輝は近江に
逃れていて、後奈良天皇も公的な活動は行っていませんでした。

ヤジロウの話では繁栄しているはずの日本の都でしたが、
見ると聞くとでは大違いだったんです。結局、ザビエルは天皇に謁見する
ことはできず、大内氏や大友氏などキリシタン大名の力を借りて
布教を図ることになりますが、ことはうまく進みませんでした。ザビエルとの
面会を断った後奈良天皇の子である正親町(おおぎまち)天皇が、

正親町天皇
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1565年、京都からのキリスト教宣教師追放令を出したんです。
これは「デウスはらい」とも呼ばれます。宣教師のルイス・フロイスは、
「天皇は宣教師を日本の神仏に対する敵対者として追放した」と書いています。
この後、キリスト教は織田信長によって庇護されますが、豊臣秀吉は、
ポルトガル商人が日本人を奴隷売買することに怒って、宣教師を追放します。

ここで注意しておきたいのは、天皇が日本神道を守ろうとしたわけでは
ないことです。当時の天皇は熱心な仏教徒であり、この追放令を出す
背景には、本願寺法主であった顕如による天皇への献金が
大きかったというのが通説になっています。つまり、
キリスト教は仏教の敵だったということですね。

さて、ザビエルは、日本全土での布教のためには、日本文化に大きな
影響を与えている中国での宣教が不可欠と考え、渡航を計画しますが、
その中途で病死します。では、ヤジロウはどうなったか。彼は、
日本上陸したザビエルの通訳を務め、洗礼を受けて
「パウロ・デ・サンタ・フェ」の名を授かり、自身も布教に努めています。

ヤジロウの墓(眉唾です)
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ですが、ザビエルの死後、上記のフロイスの記述によれば、
布教を離れてまた海賊生活に戻り、中国近海で殺されたと出てきます。
40歳に満たない短い生涯でした。ただ、これにはオカルト的な異説が
あるんです。ヤジロウは日本に残って九州でキリスト教布教を続けた。
島原の乱で敗れたキリシタンの残党もそれに加わり、

そしてその教えは「クロ宗」あるいは「クロ教」として、鹿児島領内の
とある島に残っている。また、ヤジロウの墓もそこにあるとされます。
で、現代に残るクロ宗では、長い間隠れキリシタンであったので、               
家の周囲に3m近い高い塀を築いて、中をのぞけないようにしてある。

また、その教義は長い年月の間に大きく様変わりして、いつの間にか
悪魔崇拝に変わっていた。その家の家長が臨終の際には、
まだ死なないうちに「サカヤ」と呼ばれる司祭のもとへと運ばれ、
生きながら血を抜かれ、胆嚢を摘出される。

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そして、その人物の魂を取り込むため、親族や近隣の宗徒はみなで
それを口にする・・・まあでも、これ、実際のことではありません。
あくまで興味本位でつくられたオカルト話なんです。芥川賞受賞作家、
堀田善衛による『鬼無鬼島』の内容をもとにして考え出され、
広まったものと見られています。

さてさて、ということで、キリスト教伝来の裏話、また日本の天皇の
応対などについて見てきましたが、隠れた歴史のエピソードですよねえ。
ヤジロウがマラッカでザビエルに出会わなければ、キリスト教の伝来は
ずっと遅れていたことでしょう。では、今回はこのへんで。

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