大学生です。・・・俺のアパートに転がり込んでた友人が急死して、
俺に嫌疑がかかって、ごたごたが続いてたんですよ。それがなんとか片づいて・・・
疑いが晴れたっていうか、もともとあいつを殺す動機なんてないしね。
いい迷惑でしたよ。だから話は俺自身じゃなく、そいつから聞いた
ことなんです。いいですか。名前は仮に山野ってことにしときます。
東北出身で、山スキーが趣味なんです。ほら、かかとの上がる細いスキー
はいて歩くやつ。いや、俺はぜんぜんやらないです。寒いの好きじゃないから。
山野がとある湿原に単独行したのが、去年の12月ですね。
リュック背負って一人で雪の上をえんえんと歩いて、雪の上でテント張って、
何が面白いもんやら。しかも死んじまったんですからねえ。それで、
一日目の夕暮れにテントの場所を探して木のあるところへ入ったそうなんです。

大きな岩の陰に場所をとって、テントから顔だけ出して紅茶をわかしてた
んだそうです。したら、100mほど離れた雪の中を女が歩いている。
それがすごい軽装で、上半身はカーディガンだけに見えたそうです。
「地元の人なのか」と思ったそうですが、そこは集落から何kmも離れてるんです。
女が林に消えていったので、ちょっと心配になって見にいったそうです。
いや、変な下心っていうより、自殺者じゃないかと思ったんですね。
ところが、林の中は薄暗くなってて女の姿は見あたらない。
「まあ、いいか」と思って戻ろうとしたとき、
「ひゅいいいー」って音が小高くなったところから聞こえてきた。
歌ってるようにも笛のようにも聞こえる音で、何だろうと登ってみたんだ
そうです。だけど音はそれ1回きりで、周囲には足跡もない。

雪が深くてスキーでも無理っぽい感じがして戻ろうとしたとき、
斜面に、軽自動車より少し小さいくらいの奇妙な固まりを見つけました。
自然物のようにも、そうでないようにも見えた。
自然ぽいのは色で、茶色と黄色の中間くらいで青黒い斑点が入ってた。
らしくないのはその表面の質感。つるつるした陶器みたいな感じ。
近づいていってみると、あちこちポコッポコッと出っぱってた。
それが顔だったんですって。精巧に彫った人の顔が20ほども、一定の間隔を
置いて浮き出していたんだそうです。ええ、耳から前の顔だけ。顔はすべて
目を閉じていて、若い人ばっかりだと思ったそうですね。男と女は半々くらい。
それで最初、オブジェだと思ったそうです。前衛彫刻って言えばいいのかな。
雪に埋もれてるけど、下には台座があって人に見せるものなんだろうと思って。

でね、すぐ側まで来てさわってみた。したら柔らかかったんだそうです。
押した手袋の指がぐにょんと沈んだ。
あんまり空気の入ってない風船に指を突っ込んだ感じって言ってました。
それと、手のひらのほうを当ててみたら、鼓動を感じたそうです。
ドッキン、ドッキンていう心臓の音。まあしかし、そんな生物があるわけは
ないですよね。オブジェってことで自分を納得させて戻ろうとしたとき、
肩くらいの高さにあった女の顔が口を開けた。中には上下の歯も見えたそうです。
その口から「ひょいーん、ひょいいいーん」みたいな音が出てきた。
「さっき聞こえたのはこれだ」と思ったそうです。そ女の上のまぶたが
ヒクヒク動くのが見えた。「これ、目を開けようとしている」そう気づくと

怖くなって、後ろも見ずに逃げてきたって言ってました。

それ以後は特に変わったこともなく、もう一日過ごしてこっちに戻ってきたんだ
そうです。それから山野は実家に帰省して、1月半ばにアパートに帰ってきたら、
郵便受けに熨斗のついた薄っぺらい箱が入ってた。
開けてみると中はタオルで短い手紙が入ってました。
どうやら下の階に越してきた人からのあいさつの粗品のようでした。
でね、その夕方にいちおうお礼を言いに行ったんだそうです。インターホンを

押すとややあって返事があり、要件を話すと「どうぞ」って言われた。
出てきたのは山野より少し年上に見えるくらいの若い女でしたが・・・
その顔がね、あの山の中で見たおかしな造形物にあった顔。
それも最後におかしな声で鳴きだしたのとそっくりに見えたそうです。
山野のほうからお礼を言って、あたりさわりのない話を少しして帰ってきました。

その夜からだそうです。部屋でおかしなことが始まったのは。
1時過ぎに寝て、少し寝たあたりで「ひょーん、ひょいーん」という音が聞こえた。
上のほうからで、見上げると天上板に何かがあった。とび起きて電気を
つけたそうです。で、幻覚や夢なら消えるはずなのに消えなかったそうです。
天井板には板の色のまま顔が浮き出してて、それが山で見た女の顔、
引っ越してきた、その日話したばっかりの女の顔だったって言ってました。
それがぷるぷると震えながら、少しずつ少しずつ沈み込んでいって、
元の天井板に戻った。それからはね、夜になると鳴き声とともに女の顔が出てくる。
うん、顔だけ。それも耳から前のほうの。出てくるのは天上とは限らず、
柱とか、流し台の下とか、要するに木材部分ってことです。
ね、本当だとしたら気味が悪いでしょう。

それで、顔は何をするというわけじゃなく、ただ「ひょーん」と鳴くだけ。
山野が気がついて近づくと消えていく。どうしたらいいのか
困ったそうです。誰かに相談しても、ありえないって言われるだろうし、
俺を部屋に泊まらせて、出てきたのを見せようかと考えていたそうです。
始まって4日目の夜中ですね。それがまた出たときには、完全に頭にきて、
走って部屋を飛び出し、非常階段から下の女の部屋に文句を言いに
行ったそうです。したら電気がついてるのがわかった。インターホンは
返事がない。それでドアを確かめたら開いてた。開けたそうです。
さらに玄関から中仕切りになってる戸を開けたら・・・
壁際にその女がパジャマを着て立ってたんですが、頭がなかったそうです。
壁の柱にもたれるように立ってて、柱に顔がめり込んでた。

そうです。溶けたように柱と一体化して、後頭部の長い髪だけが
垂れ下がっていたそうです。山野は「うわっ」と叫んで逃げ出し、
財布と携帯だけを持って、俺のところに転がり込んできたんですよ。
でね、この話を聞かされました。いや・・・信じられませんでしたよ、当然。
だって世の中ってそうなってないじゃないですか。
とりあえず山野をなだめて落ち着かせ、
「明日になったら一緒に見にいってやる。なんならその女と話してもいい」
そう言って酒を飲ませて寝かせたんです。
このときの酒の量とかも後に警察で問題になりましたが、2人で焼酎の
ボトル半分くらいですよ。そんなベロベロになるほど飲んだなんてことはない。
俺の部屋はベッドがなくて、2人とも畳に寝ました。

寝たのは2時過ぎでしたね。冬休み中で、翌日も特に予定はなかったですから。
それで・・・寝入ったと思ったら、音が聞こえたんです。
「ひょーん、ひょいいーん」って音。でね、そのほうを見ると、山野ですよ。
やつが上を向いたまま口をひし形に開け、目をつむったまま音を出してたんです。
それ以外部屋に変わったとこはなかったと思います。
「ははあ」これやっぱ全部山野の夢なんじゃなか、と思いました。
音も自分で出してるし、女の顔うんぬんは夢で見たことなんだろうって。
起こそうとしたとき、山野が自分で起き上がったんです。
目はつむったまま「ひょー」と言って半身を起こし、這って近くの柱のほうへ・・・
でね、そのまま思いっきり顔をぶつけ・・・たら、
柱が粘土でもあるかのように顔がめり込みました。

あ然としましたが、襟首をつかまえて引っぱりました。
でも抜けなかったんです。山野の手足は痙攣し始めて、俺は足を
壁に引っかけてなんとか柱から引きはがしました。その間5分はありました。
柱のその部分は、デスマスクみたいに山野の顔型がついて、へこんでて・・・
山野は息をしてなくて、すぐ救急車を呼んだんです。助かりませんでした。
窒息死ということで病院が警察に連絡し、俺は取り調べを受けて・・・
正直にあったことを答えるしかありませんでした。
柱の跡は、夜中にははっきり跡がついてたのが、元に戻ってまして、
警察は話をほとんど信じてくれなかったです。山野のアパートのほうは、
引っ越してきたという女は、その夜のうちにいなくなってて、いまだ消息不明です。
荷物もなく、ただ・・・キッチンに奇妙なものが残されてたってことです。
サッカーボールくらいのいびつな楕円形の・・・粘菌というものだということでした。