っlkおい

今日も怖い話ではありません。前々回の「羊太夫」の最後で、
フランシスコ・ザビエル来日以前のキリスト教(ユダヤ教)の痕跡について
少し触れましたが、これはオカルトの一つの分野と言っていいかもしれません。
ただし大いに眉唾ですので、そのつもりでお読み下さい。

そうですねえ、自分的には2大キリスト系オカルトと考えるのは、
青森県戸来(ヘライ)村のキリストの墓の話と、
四国剣山中にあるとされるモーゼのアークの話ですね。


ね、嘘くさいでしょう。オカルトというのは、初めて聞いたときに、
「えーありえない」とほとんどの人が思うようなものは、
当然ながらメジャーにはなりません。そのかわりというか、
ディープなマニアと言える人を産んでしまうことが多いんです。

■戸来のキリスト墓
1935年(昭和10年)8月初に、青森県戸来村(現在は三戸郡新郷村)
を訪れた新宗教団体の教祖、竹内巨麿(たけうちきよまろ)は、
2間~3間の長方形の盛り土をみると立ち止まり、それが古文献を一人で
調べた結果により、そこに統来訪神と書いた目標と前の野月の二ツ塚に
「十来塚」と書くよう村長に話したという。

Wikiにあるこの話が発端ですね。また、同時期(1938年)キリスト者
山根キクは、著作『光りは東方より』(釈迦、モーゼ、ヨセフ、キリストが
修行のため来日したという内容)で、十和田湖畔の
十和利山(戸来岳)にキリストの墓があるとしています。

時期をみればわかるとおり、日本が大戦に突入する直前のことで、
東洋の威厳、日本の神国としての威儀を強調するような
内容です。西欧を支配するキリスト教文化を、
日本のうちに取り込もうとする意図が感じられますね。



ちなみにキリストの墓の近くには、弟イスキリの墓もあります。
キリストは来日して青森に落ち着いてからは、
「十来太郎大天空(トライタロウダイテンクウ)」(笑)と改名し、
鼻が高い彫りの深い顔貌から天狗と同一視されたりもしてるようです。

戸来説の論点としては、
・戸来の地名がヘブライにつながる。
・ダビデの星(六芒星)と似た紋章を使用する旧家がある。
・この村の方言で、大人の男を「アヤ」「ダダ」、大人の女を「アパ」と言い、

 それは聖書に出てくる「アダム」 「イブ」が訛ってできた言葉ではないか。
・産まれた子どもを初めて外に出すときには、その額に十字を書く。
・ナニャドヤラという民謡?があり、日本語としては意味がわからないが、
 古代ヘブライ語としてなら読み解ける。

戸来の子ども


かなり噴飯物の内容ですよね。特にアダムとイブのくだりは
ちょっとどうかと。母親をアバなどと言うのは北東北各県で
共通していますし、ナニャドヤラの歌詞
「ナニャドヤラ、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラ」というのは、

「何がどうやら、何をどうしたらいいか、何がどうやら」
・・・東北の方言は詳しくないですが、こう解してもおかしくは
ないんじゃないでしょうか。ということで、
これはまあ面白話でしょう。

さて、題名に湖中キリスト像と出ていますが、
戸来村の近くではありますが、直接キリストの墓とは関係のない話です。
大渇水した十和田湖の湖畔の岩くぼに、観音像
あるいはキリスト像と言われる構造物が出現したというものです。

下に画像を載せていますが、暗くてわかりにくいです。興味を
持たれた方は、youtubeに動画が出ていますので検索してみてください。
海外からはキリスト教関係の遺跡ではないか?と注目されされていて、
十和田湖の真ん中に渇水期のみ出現する島「御門石」の頂上と
像の標高がほぼ同じなのだそうです。

十和田湖湖中のキリスト像?


まあしかし、キリストが亡くなったとされる紀元前後のものかは
わかりません。たぶん違うでしょう。人工物であったとしても、
江戸時代の隠れキリシタンのものかもしれないし、
仏教や神道のものかもしれないんです。
ただ、こういうのはロマンがあるなあとは思います。

■剣山のアーク
1936年(昭和11年)のことです。
上記の戸来の話が出たのと時期が共通していますね。
これはそういう新興宗教ブームもありましたが、戦争が迫ってきて
周囲の風当たりが強くなってきたのに危機感を覚えた日本の

キリスト者の、一種の自己防衛の行動であったのではないかと
思います。そして、この頃に開発されたオカルト話が、
今になっても生き残っているわけです。
高根正教(神奈川県の尋常高等学校の校長を務めた名士で、

っぽい

聖書研究家)そして古神道研究家の内田文吉、角田清彦が、
四国徳島県、剣山山頂部の発掘を行いました。
表向きには「剣山鉱区地質調査」でしたが、本当の目的は、
「ソロモンの財宝」 「モーゼの失われたアーク」の発見!だったんです。

困難な登山の末、山頂付近にある「鶴岩」と「亀岩」の間を亀岩の下を
数年間かけて約150m掘り進んだのだそうです。ここで、
・130m付近で巨大な岩のドームが見つかった。
・さらに下には高さ15mほどの大理石の三角ピラミッドがあった。

この後、元海軍大将 山本英輔、この人は歴史に残る有名な軍人ですが、
この穴を特定し奥へと掘り進むと、レンガ作りの回廊の奥に、
100体以上のミイラが無造作に転がっているのが発見された。
しかしそれらは、いたみがひどく土くれのようでもあった。

・・・まあこんなお話です。結果としては、
財宝もアークも出てはいません。この他にも剣山の
秘宝に挑んだ者たちはいましたが、みな資金難で挫折しています。
これは日本ーユダヤ同祖論と言われるものの一部で、

剣山山頂


「剣山に古代ユダヤ人の失われた支族が移住し、日本の基礎を確立。
邪馬台国へとつながった」みたいな展開をみせていますが、
残念ながら現在この穴は埋め戻され、再調査はされていないようです。
では、今回はこのへんで。