今、仕事してないんですよ。人員整理にかかったとかじゃなく、むしろ逆です。
ヘッドハンティングにあいましてね、同業他社に移籍することになったんです。
それで、ほとぼりを冷ましながら休養してるとこです。
でね、この間、妻の親戚の法事に出かけまして。
私、一人だけです。妻は仕事が忙しかったですし、
それよりも、女が行っても役に立たないって言いましてね。
基本、男しか出られないそうなんです。いや、正直ウザいなあと思いました。
通夜から葬式、火葬まで1週間近く泊りがけなわけですからね。
で、行きたくないって言ったら妻から烈火のごとくに怒られましたよ。
そんなにヒマそうにして、毎日ネットばっかりやってるのになによ って。
どうしようもないので出かけました。

それは遠い親戚とはいえ人が亡くなってるわけだし、
妻が行くにしても私も当然いっしょってことになりますから。
亡くなった方は男性で、まだ50代ってことでした。死因? それが
よくわからないんです。妻も教えてもられなかったそうで、ただ急な病気で
ってことだけでした。特に入院とかしてたわけじゃないようですよ。
え? 自殺ですか。うーん、それも考えなかったわけじゃない。
通夜はともかく、葬式も親戚ばっかりで、外部の人は来てなかったですから。
どうやら故人は一人暮らしで、家族はなかったようです。
密葬ってことでもなかったですけど、だって仕事してりゃ普通、
同僚や上司が来るもんじゃないですか。ところがそういうのも一切なしで。
行った先は辺鄙な田舎の県の町です。

鉄道は通ってましたけど、店なんかも駅前にちょこっとしかなかったです。
私の宿泊先ですか。妻の本家というお宅に滞在させていただきました。
広いお屋敷で、映画の『八つ墓村』ってあったでしょう。
あれに出てくる屋敷を何分の一かにしたような感じで、その一室で
寝起きしてました。ええ、向こうに着いたその日がお通夜でしたね。
菩提寺の、本堂じゃなかったですけど、一室にご遺体を安置して、
その前で飲み食いして夜を明かすんです。これがね、妻の親戚の男だけ十数人。
女衆もいましたけど、料理なんかを持ち寄って宴の支度をこしらえたら、
みな帰っちゃったんです。ああ、妻が言ってた「女は役に立たない」
ってのはこれのことかって思いました。でね、坊主が枕経をあげて
引っ込んでから、すぐ宴になりました。

私の結婚式に来ていただいて顔を見知ってる人も数人いたので、
その人たちと杯をやりとりしてたんです。
そしたら、30分ほどして、一人のジイさんが立ち上がりまして、
「○○(これは亡くなった方の名前です)はよう生きた。そしてよう死んだ。
見事な人生であった」みたいなことを言いだしたんです。
酔っぱらってるのかなと思ったんですが、
それほどお銚の数も出てないし、真顔でした。すぐ続いて、
妻の従弟の人が「そのとおり」と大声で合づちを打ちました。
「あれほど見事な人生はないな。心残りなんて一つもないはずだ。
まさによく生きて、よく死んだ。人の手本になる生涯だった」
こう叫ぶように言うと、みなが「そうだ、そうだ」と声をそろえて唱和したんです。

ねえ、さすがに変だと思うでしょ。
でも、何かその地方に伝わる独特の作法かと思って、
黙って見てたんです。主席者が一人ずつ立ち上がって、「○○は死んだ、
確かに死んだ」 「心残りはないよな、ああいうふうに生きれば」
「いい死に方だった。俺もあやかりたい」こんなことを口々に言い始めたんです。
そうですね、聞いていると、まるでその人が死んだことを確認している、
というか、確かに死んだんだぞって言い聞かせてる感じでもありました。
いや、私はやりませんでしたよ。なんというか、部外者のようなもんですから。
ひととおりこの儀式?が済むと、最初に立った長老格の老人がまた立ち上がり、
個人の棺に歩み寄っていきました。ええ、白木造りで、
顔が覗けるフタがついてるやつです。そのフタを開けて上から屈みこむと、

さっきよりいっそうの大声を出して、
「○○、お前は死んだんだぞ。心得違いをするなよ。 死んだもんは
死んだままでいとけ」こう怒鳴りつけるような勢いで言ったんです。
それから次々に人が立ち上がって、同じような内容のことを言いました。
でね、これも呆然と見ていたんですが、妻の従弟に脇をつつかれ、
「あんたもやれ」って言われたんです。・・・やりましたよ。
見よう見まねでね、断れるような雰囲気じゃなかったです。
他の人のように声を張り上げたりはできませんでしたけど。
全員が終わると、一座にほっとしたような空気が流れました。
それを察してか、たしなめるように例の長老のジイさんが、
「まだ、まだ油断すんな。葬式が終わるまでは油断ならん」

出席者の顔をねめまわしながら、そう言ったんです。
でも、こっからは普通の通夜みたくなりまして、世間話も出ました。
5時ころ、少し明るくなってきたところでお開きになり、
迎えに来た女衆の車で、本家のお屋敷に帰って寝たんです。
2日後が葬式でした。これも同じ寺の本堂でやったんですが、
女衆も出ていましたが、基本的に参会者は親戚だけだったんです。
異様な緊張感がありましたよ。これは坊主も同じでした。
喪主のあいさつなどもなく、ただ長い長い経を坊主3人で読んで、
一人ひとりご焼香するだけでした。時間はそれでも2時間近くなりましたね。
で、全部が済むと、緊張していた皆の顔に笑顔が戻りまして、「いや、
よかった、骨団子を食ったって聞いたときはどうなることかと思ったが」

こんな声が聞こえてきたんです。私は長時間正座して、
足がしびれてましたので、外の庭に出てのびをしてました。
ちょうどそこへ妻の従弟が出てきましたんで、声をひそめて、
「さっき葬式が終わったときに、骨団子がどうとかって聞こえたけど、
何のこと?」って聞いてみたんです。
従弟はイタズラを見つかった子供のような表情をちらと見せましたが、
「俺が言ったって広めないでくれよ」こうことわってから、
「骨団子ってのは、俺らの一族に伝わるまじないみたいなもんなんだ。
亡くなった○○は不遇でね。もしかしたら親戚一同を恨んで、
骨団子を食ったかもしれない。それで通夜の席であんなことをしたんだよ。
不思議だと思ったろうが、またあることかもしれないしな」

「うーん、で、骨団子というのは?」さらにしつこく聞くと、
従弟は顔をしかめ、「それは言えない、さすがに勘弁してくれ。
・・・俺が子供のときにも、実は骨団子を食らって死んだって人が
いたんだが、そんときは葬式の前後に親戚中で七人、死人が出た」
こう答えたんです。その地域では葬式の後が火葬ということで、
火葬場には葬式に顔を見せなかった親族以外の人も来て、
なごやかに、というのも変ですが、晴れ晴れした感じで終わったんです。
遺骨の灰の台車が引き出されてきましたが、
火葬の火力が強かったのか、ほとんど骨は残ってませんでした。
形だけ灰を骨壺に入れながら、あの長老が、
「よしよし成仏した」こう言ってました。