今回は神道の祝詞(のりと)のお話です。
祝詞はみなさんも一度は聞かれたことがあるんじゃないかと思います。
まず、神式の結婚式でやりますよね。それから地鎮祭や棟上式など、
あと七五三や厄年の祓いで聞かれた方もいるかと思います。


場所は、神社でやる場合もあれば、
神職が来てくださって自宅などでやる場合もあります。
祝詞ができた背景には、2つの考え方があると自分は思っています。
その一つは「言霊(ことだま)信仰」です。


これは日本に古くからあったもので、
「言葉には霊的な力が宿る」という考え方です。
言葉に出したことが現実に影響を与える、と言ってもいいでしょう。
良い言葉を発すれば良いことが起こり、悪い言葉を発すれば悪いことが起きる。
そういう力が言葉にはあるということです。

 



例えば、「雨が降る」と口に出して言えば、
その言葉の持つ霊力が発動して実際に雨が降ってしまう。
この場合、「雨が降る」と言葉に出すことを言挙げ(ことあげ)と言います。


現代でも「結婚式で切れるなどの言葉を使ってはいけない」などという禁忌があり、
この忌み言葉というのも言霊思想からきているものなんですね。
ですから、祝詞を奏上する場合、読み間違えるのは大変にマズイわけです。
いい例えではないかもしれませんが、コンピュータのプログラミングと同じで、

 


一カ所でも間違えると効果がないんですね。
それと、言霊は文字にして書いたもの、口に出して言ったもの、
どちらにも宿ります。祝詞の場合は、まず必ず紙に書き、


それを読み上げるという形で行われます。また、ネットに

出ている祝詞は漢字ひらがな混じりで書かれたものが多いですが、
本来は下図の右のように漢字だけで書くのが正式です。

名称未設定 1

もう一つの考え方は、「神との交感(対話)」です。
祝詞の「のり」は神様が「のりうつる」という意味を含んでいる、
という説もあります。神様とは簡単に交感することはできません。
ある一定の形式に従わなければ対話はできないのです。

祝詞には2つの形式があります。人々に神の言葉を説き聞かせるのが、
「宣命体(せんみょうたい)」で、人々が神に言葉を聞いていただくのが、
「奏上体(そうじょうたい)」です。この見分け方は難しくありません。


宣命体は文末が「宣う」になっていて、奏上体は「申す」になっています。
宣うが尊敬語で、申すが謙譲語というわけですね。
さて、祝詞の始まりはとても古いものと考えられています。
日本神話の中では、言霊の神、天児屋根(あめのこやね)が、

 


天照大神を称える祝詞「太祝詞言」を奏上したところから始まるとされます。
現在の祝詞の元となっているのは、平安時代中期に編纂された
『延喜式』に出てくる27編です。祝詞は古来のものを用いる場合もあれば、
目的に合わせて神職が自分で書く場合もあります。

祝詞の中で最も有名なのは「大祓詞(おおはらえのことば)」でしょう。
これは民衆すべての穢れを祓うためのもので、
毎年、6月と12月の最後の日に奏上されることになっています。
神道の基本は穢れを祓うことですので、年に2回これを行うことにより、


世の中を穢れのない清らかな世界にリセットすることを目的としています。
「大祓詞」は前に出てきた天児屋根の子孫の中臣氏が奏上する役割を務めて

いたので、「中臣の祓(なかとみのはらえ)」と言われることもあります。

 



さて、では神職ではない一般の人は祝詞を上げることはできるのでしょうか。
これはかまわないと思いますが、神社に行ってやる人は少ないですね。
もし上げるのであれば、自宅の神棚に向かってやるのがいいんじゃないでしょうか。
ただ、祝詞を上げる場合には「精進潔斎(しょうじんけっさい)」が必要です。

祝詞は、食物に気をつけ、行いを慎んで身を清めてから上げるものですので、
食事の前に、お風呂に入ってからやるのがいいのかもしれませんね。
作法としては、まず二拝し、祝詞を上げてから、
二拝二拍手一拝するのが一般的(神社本庁の作法)です。

自宅の神棚に上げるのにふさわしい祝詞としては「神棚拝詞」があります。
下に掲載しておきます。


これは奏上体


さてさて最後に、実話怪談では、心霊スポットなどで霊障を受けた人が
神社でお祓いを受けるというシーンがよく出てきます。
これってどうなんでしょうね。神社に参拝して社務所で、


悪い霊が憑いているから祓ってほしいと言えば、普通は困惑されるでしょうが、
お祓いはもちろんやってもらえます。
お礼の初穂料・玉串料もけっして高いものではありません。
ということで、今回はこのへんで。