今回はこういうお題でいきます。平安時代のことは、貴族の生活については
いろいろ資料がありますが、庶民の生活はよくわからないことが
多いんですよね。この記事も貴族についてのお話です。さて、平安時代の
貴族の住居と言えば寝殿造りですよね。

どのような造りだったかというと、基本的には夏向きの住居だった
ということです。冬は着物を着込めばいいですが、夏の高温多湿は耐え難い。
そのため、壁はほとんどなく床は板張りでした。外周を扉や蔀(しとみ)
といった開放可能な建具で覆い、夜は閉じ、昼間は開放していました。

寝殿は敷地の中央にあり、屋敷の主人の居所で、だいたい南向きになります。
正面には庭があり、庭には池があって中央に島がもうけてあります。
寝殿の東西と北には、それぞれ建物があり、ただし必ずしも左右対称では

 



ありませんでした。これらの建物は対の屋と呼ばれ、
北は正室の住むところで、ここから正室のことを
北の方と言うんですね。もちろん建物にトイレはありませんでした。

では、トイレはどうしていたかというと、携帯用のトイレ、おまるみたいな
ものです。皮籠(かわご)という籐や竹を編んだ籠に皮を張った
蓋つきのもの。あるいは樋箱(ひばこ)という木の箱が使われていました。
これだと、十二単のようなものを着ていても脱がずにできるわけです。

また、当時紙は貴重品であったので、トイレの後には使われず、木のヘラを
使ってこそげ落としていたようです。貴族でさえこれなので、
庶民は道端でしていたのだと思われます。まあしかし、これは日本だけの
ことではなく、フランスのベルサイユ宮殿なんかでもそうだったんです。

 



さて、平中を知っている方はどのくらいおられるでしょうか。本名は
平貞文で、平中は平仲とも書き、あだ名みたいなものです。この人は
たいへんな好男子で、なびかない女はいないとまで言われるほどだったんです。

といっても、この頃は女性に気軽に声をかけてもいいわけではなく、
まずは歌を作って使いの者に持たせる形で、それなりに教養がないと
できなかったんですね。

で、この平中、『今昔物語』『宇治拾遺物語』『平中物語』など、いろんな
書物に登場しますが、その中にトイレに関するエピソードがあるんです。
第62代村上天皇の時代(西暦950年頃)です。この平中が本院侍従という
女性に恋をし、歌を贈りますが、まったく返事が返ってこない。

 



そこで平中が「せめて見たということだけでも返事してください」と贈ると、
「見た」というだけのそっけない返事が返ってきたんです。一般的に恋と
いうものは、つれなくされればされるほど燃え上がるといいますが、
平中もそうでした。

そこで策略を使って侍従と2人だけになる機会をつくりましたが、侍従は
「襖の鍵をかけ忘れてしまいました」と立って出ていきます。
平中は裸で待っていましたが、いつまでも戻ってこない。で、襖を
開けようとしたら出られない。平中が外から鍵をかけられて閉じ込められて
しまったんですね。
 
こんな感じで、侍従という女性はどうやってもなびかない。平中はもうこの
恋はあきらめてしまおうと思いましたが、平素はモテ男なので、
どうすればあきらめられるかわからない。

 



そこで考え抜いて出てきたのが、その人のウンコを見れば恋もさめるだろう
ということ。なんだかな~と思いますが、案外実話なのかもしれません。
で、侍従の皮籠が下女によって運び去られるのを待ち構えてそれを
奪い取ります。そして中を開けてみると・・・

中にあったのは、ウンコのように見せかけた丁字(ちょうじ)の香木、
香木ですので良い香りがただよってきました。つまり侍従は、
こういうことがあるかもと予想して、あらかじめ偽のウンコを作って
おいたわけです。

さてさて、このことがあって平中の思いはますます高まりますが、
ついに侍従とは結ばれることはなかったということになっています。
これ、もし作り話だとしても面白いなあと思います。よくこんなバカな
話を考えついたなあと・・・では、今回はこのへんで。