※ 骨董屋シリーズです。

こんばんは。また、来させていただきました。引退した
骨董屋です。思い出したことがありますので、そのお話をしに。
あれは昭和の30年代前半だったと思います。同業の仲間から
相談が持ち込まれまして。ええ、当時から、おかしなことが
起きる品物については、一度あいつに見てもらえみたいな
話が広まってたんです。こっちとしては普通に商売してた
だけなんですけどね。で、話を聞きましたら、中国製の
大きな百味箪笥だということで。百味箪笥ってご存知ですか。
日本では薬箪笥と言いまして、ほら、時代劇なんかで
医師のところにあるやつ。小引き出しが五十も百もついてて、
中に薬種を入れてある。引き出しの一つ一つに、

薬名を書いた紙が貼られて。あ、おわかりですか。
まあ、珍しいものなんですが、一般家庭だと扱いに困る
でしょう。よほどの好事家でないと買うことはしません。
「へええ、よく手に入ったな」と言うと、戦前から日本に
住んでた中国人の金持ちから、まとめて買い取ったものの
うちの一つだということで。「その中国人は?」
「主人が亡くなったので、屋敷ともども調度が売りに出され、
家族は台湾に戻った」そういう話だったんです。
「そうか。で、おかしなことってのは?」と尋ねると、
「全部で引き出しが120ほどあるんだが、前日にはすべて
閉めてあるのに、朝になるといくつか開いてるんだ」

「そら、建てつけが悪くて空気が入ってるだけじゃないか」
と言いました。箪笥の中には、ある引き出しを勢いよく
押し込むと、他が少し出てきたりするものもあるんです。
軽い桐製の箪笥に多いんですが。でも、そうではないと。
どの引き出しも、むしろ開け閉めはしぶいくらいで、
ひとりでに開くとは考えられない。そういう話だったんです。
「ふうん、他に変わったことはあるかい」 「うーん、そうだな、
その箪笥、でかいんで倉庫のほうに入れてあるんだが、
そこにネズミが出るようになった」 「ネズミねえ。出ても
べつに不思議はないだろ」 「いやでも、食い物なんてないし
何かが齧られた跡もない」 「ネズミの姿をちゃんと

見たのか?」 「いや、1回、小さい影がチョロチョロと
箪笥の下に這いこんでいくのを見ただけだ」 「ま、わかった。
じゃあ見てやるから、俺の店に持ってこいよ」ということで、
翌日、軽トラで運ばれてきたのが、縦横とも180cmもある
百味箪笥。ただし、入れるのが薬なんで、厚みは20cm程度。
引き出しの数は120でしたが、上のほうの2段くらいは
使われてなかったようでした。でね、私の店の最奥の壁に
くっつけるようにして置いといたんです。引き出しはずべて
開けてみましたよ。中はどれも空っぽで、薬の粉なんかも
残ってませんでした。たてつけは確かにしぶいくらいで、
ひとりでに開くなんてことはないと思ったんですが・・・

それで、一晩置いて朝に見ても、何も変化はなかったんですが、
2日めを迎えると、4つの引き出しが開いてました。
もちろん引き出して調べましたけど、特におかしな点はなく、
ただ開いてるだけ。とりあえず、その引き出しに貼られている
紙の薬の名をメモしておきました。私にはチンプンカンプンの
日本では使われてない漢字が多かったです。次の日は5つの
引き出し、さらに翌日は3つの引き出し。不思議に思いつつも、
一つ共通点があったんです。それは「尓蜥」という引き出しが
必ず開いてることで、それ以外はバラバラ。「尓蜥」については
読み方も意味もわからず、漢和辞典、中国語辞典を見ても
載ってなかったんです。それで次の日、一計を案じまして。

夜中に箪笥を見にくることにしたんです。布団には入りましたが、
寝ずに起きてて、夜中の2時になると布団から抜けて、そっと店に
入って、いきなり電灯をつける・・・すると、コンクリの床の上で
何かがパッと散ったんです。ネズミ・・・いや、ネズミよりも
やや小さく、毛はなく、赤い色が背中にあるように思えました。
そういうのが2つ3つ。ただ、それらの動きはとても
素早くて、あっという間に消えた・・・しかも、床にもぐり
込んだように見えたんです。はい、コンクリ製なのに。
引き出しは、まだそいつらが仕事にかかる前だったのか、
開いてたのは「尓蜥」のところだけ。
これではどうにもならない。そう考え、知り合いの華僑の

馬さんという貿易商をされてる方に連絡したんです。
馬さんは風水も研究されてて、日本語はペラペラです。
喫茶店でお会いして、これまでのことを説明すると、馬さんは
興味深そうに目を輝かせ、「尓蜥という言葉はわからないし、
中医薬にもそういうものはないと思う。ただ、それらは何かを
探しているように思えるな」そう言ってメモ帳を破り、
「與夢對話」とペンで書いて、私に渡してよこしました。
「これは」と尋ねると、「夢の中で話し合おうという意味だよ。
もしそいつらが妖の者なら、上手くいくかはわからないが、
何か起きるかもしれない。その尓蜥の引き出しに入れて
おけばいいよ」そういう説明をうけたんです。

お礼を言って家に戻り、さっそくメモを尓蜥のところに入れ、
その晩眠りにつき、そして夢を見ました。山の中、秋の
紅葉の季節だと思いました。地面に一面に敷きつめられた
色とりどりの落葉の中に、何やら鳥かごのようなものが
置いてある・・・いや、鳥かごではなく、日本のネズミ捕り
に近いものか。その中に、トカゲのような生き物が数匹入って
ました。全身が黒に近い深緑で、その中に大小の斑点があり
・・・人の顔をしていました。中国の清代の辮髪にした人間の頭。
何だこれは?と思ったとき、ふっと目が覚め、そしたら
枕の横に小さな人がいたんです。手のひらくらいの大きさで、
やはり辮髪にした人。ただ、体はトカゲではなく、

支那服を着てました。その小人が、私に何やら話しかけてくる。
私は中国語はまったくできないんですが、意味はすっと頭に
入ってきました。「われわれの仲間が人間につかまり、
黒焼きされて薬として使われた。許せないことなので、
薬を作った人間に意趣返しをしている。あなたはこの箪笥を
所有しているだけのようなので危害を加えるつもりはない。
願わくば、われらが同胞の体を探してもらいたい」
こんな内容だったんです。ただねえ、この小さな支那人と
話したことも夢の続きかもしれないんですよ。気がついたら
朝になってましてね。で、どうしたかというと、まず箪笥を
預けてよこした同業者に連絡し、解体する許可を得たんです。

あとは建具屋を呼びまして。大きい上に日本のものではないので、
建具屋も苦心してましたが、なんとか傷つけないでバラすことが
できました。そしたら、底板の隅にはさまっていたものが
あったんです。15cmくらいのトカゲの干物。ただし頭は
人間のものとしか思えませんでした。ははあ、これを探して
いたのか。でね、箪笥を組み立て直してもらい、干物は尓蜥の
引き出しに入れておきましたよ。はい、翌朝、引き出しは
閉じたままでしたが、開けてみると干物はなくなっており、
その代わりに丸い銀色の粒が2つ入ってました。鑑定では
純銀。箪笥は仲間に返しましたが、銀は手間賃として私が
いただいておきました。まあ、こんな話なんです。