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今回はこういお題でいきます。世界史の話ですが、以前に、
アーサー王の愛剣であるエクスカリバーのことを書いているので、
それと内容がかぶらないようにしたいと思います。
みなさんはアーサー王はご存知だと思います。数々の伝説に
いろどられた大ブリテン島の英雄。

自分がアーサー王を知ったのは、友人から勧められて聞いた、
イギリス人キーボード奏者、リック・ウエイクマンのアルバム、
『アーサー王と円卓の騎士たち』によってです。
これと、同じウエイクマンの『ヘンリー8世と6人の妻』は、
今でもときどき聞くことがあります。

アーサー王のイメージ
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さて、アーサー王伝説はイギリス人なら誰でも知ってる物語で、
上記の作品の他、何度も映画化されています。では、
この話が史実かというと、イギリスの歴史家の多くは
否定的です。信頼できる一次資料がないんですね。

アーサー王がもし実在したのなら、6世紀前半頃の人物という
ことになりますが、その時代の文字資料はありません。
11世紀にウィリアム征服王がイングランドを征服し、
大陸の制度を導入するまでは、イギリスはかなりの
未開の地で、歴史もよくはわかっていません。

王と円卓の騎士たち
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アーサー王の名前が広まったのは、12世紀、ジェフリーのモンマス
による歴史書『ブリタニア列王史』からですが、どこが資料の引用で、
どこが想像による物語なのか判別できないような本です。
それと、12世紀は十字軍遠征によってキリスト教の信仰の気運が
高まり、同時に騎士道物語が隆盛を始めた時期なんです。

ですから、アーサー王伝説のほとんどが、創作された物語である
可能性は否定できません。イギリスの正式な歴史書の多くには、
アーサー王の名前は入ってないんです。さて、では、アーサー王
伝説とはどのようなものなのか。ブリテン島の小貴族の子に

エクスカリバーで英語検索した画像 長剣ではないようです
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アーサーという若者がいた。森の中になぜか鉄床があり、それに
一本の剣が深く刺さり、鉄床には「この剣を引き抜いた者は
全ブリテンの王となる」と書かれていた。なみいる力自慢が挑戦しても
誰も抜けなかったのを、やすやすと引き抜いたのがアーサーだった。
ちなみにこの剣はエクスカリバーではありません。

その後の戦いでアーサーは連戦連勝、美しい娘グィネヴィアを妻とします。
また、小舟で湖を渡っているとき、水の中から白い腕が出てきて一本の
剣を授けられます。これがエクスカリバー。ついにアーサーは王となり、
宮廷魔術師マーリンや数々の勇者を配下とし、勇者たちは、
序列をつけないように円形になったテーブルに座ったので、

8歳の少女が湖で発見した剣 どうやら現代の映画撮影用のもののようです
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円卓の騎士と呼ばれます。あるとき、その円卓上に聖杯(キリストが  
最後の晩餐で用いたとされる杯)が現れて消え、騎士たちは探索の
旅へと出ます。アーサーは537年のカムランの戦いで、宿敵
モルドレッドと一騎討ちをして傷つき、アバロン島へ傷を癒やしに
赴くがそこで亡くなってしまう・・・だいたいこんな話です。

さて、アーサーが実在の人物だったとすれば、上記の話はかなり
おかしいですよね。まず、イギリスがキリスト教を受容したのは
ヨーロッパの中でもかなり遅く、アーサーの死前後のことです。
ですから、アーサーはケルト系土着宗教の信者と考えられ、
聖杯うんぬんの話はすべてでたらめです。

イギリス屈指のパワースポット「グラストンベリー・トー」
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また、映画になったアーサー王は金属製の甲冑に身を固めて
騎馬で戦いますが、考古学的には、アーサーの頃の鎧は簡単な
かたびら程度のものだったことがわかっています。エクスカリバーが
馬上で用いられる片手剣として描かれるのもかなり怪しい。

さて、余白がなくなってきたので急ぎます。アバロンはケルト語で
リンゴを表し、ケルト神話では不死の象徴とされていました。
その名前とったアバロン島は、西方の海に浮かぶ地上の楽園として
語りつがれていたんですね。まず候補にあがったのはレオノイス島。

イングランド西側の地図
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イングランド、コーンワル半島とその沖のシリー諸島との間に
その島はあったが、中世のいつかの時点で海に飲み込まれ、
島民一人だけが生き残った。そういう伝説が残っていて、
この島はイギリスのアトランティスと呼ばれていました。

ところが、1191年、コーンワル半島のつけ根にある小さな町
グラストンベリーで修道院が火事になり、その片づけの最中、
地下から、「ここアバロニアの島に名高きアーサー王眠る」と記された
鉛の大十字架が見つかり、その下から2名の遺骨が発見されたんです。
これはどうしても、アーサー王と王妃グィネヴィアと考えますよね。

グラストンベリーのアーサー王の墓とされる場所
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さてさて、その後、修道院は建て直され、遺骨は大理石の柩に移されて
保管されていたが、16世紀に修道院の撤去とともに地下に埋葬され、
そのまま場所がわからなくなってしまいます。ただ、この話、
みなさんが考えられるように、怪しさ爆発です。

まず、グラストンベリーは比較的海に近いとはいっても、島では
ありませんし、修道院の火事で発見されたのもタイミングがよすぎます。
修道僧たちが、建物を再建する資金を捻出するために
すべてをでっちあげたのではないかという疑惑が持たれているんです。
では、今回はこのへんで。

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