うちの爺さんから聞いた話。爺さんが亡くなったのは
もう16年も前のことで、そんとき78歳だった。その爺さんが
子どものときの体験だから、昭和の初期の出来事だと
思う。これが嘘でなければな。うちの爺さんは村では
ホラ吹きと言われてて、つくり話をするのが好きだったんだ。
だからまあ、真偽のほどは保証できないよ。
その当時、村の人口は1500ほど、山間の小盆地で、
米はやっと自給できる程度、村の主な産業は炭焼で、
これはよい炭ができるってことで、近在の町や離れた都市からも
買いに来る人がいたそうだ。その頃はどこの家も子どもが
5人も6人もいて、そのかわり育たな子も多かったと言ってた。

農繁期は小学校が休みになり、田畑の手伝い。中には
山中に連れていかれ、炭焼の手伝いをさせられる子もいた。
けど、炭焼を手伝わされるのは数えで12歳以上の男の子で、
それでやっと一人前と認められたそうだ。
でな、村をぐるりと囲んだ低山の一つに「位牌山」という
不吉な感じのする名の山があり、高さは、今地図を見ると
800mくらいだった。そこの山は、いわゆる禁足地に
なっていて、いくつかある登山道はみな、麓のとこで
注連縄が張られ、登られないようになってた。むろん、
またぎ越していくのは簡単なんだが、もし勝手に入ったことが
わかると、村八分まであったそうだ。

で、位牌山では、山の木の枝一本とることは許されず、猟
などはトンデモない話で、例外として入ることができるのは、
さっき話した、これから炭焼きをする12歳の男児だけ。
もっとも、その祠までは大人が送り迎えしてくれるんだが。
祠は小さいもので、一間四方、一間はわかるよな。
畳2枚分だ。だから中には人ひとりしか入れない。
それでな、祠は釘を一本も使わないで造られてた。その理由は、
金気(かなけ)を嫌うからということだった。金気というと、
鉈や山刀もそうだが、それらを持って位牌山に入ることはできない。
あと、祠の前には鳥居などはなく、神道のものかもよく
わからなかったが、嵐で壊れたりした場合、村の鎮守神社の

神主が修繕をしていたそうだ。で、7月のこと。爺ちゃんの
誕生日がそのあたりで、その祠に一晩こもることになった。
誕生日が冬の子らは、4月になってからやったらしい。
爺ちゃんの爺ちゃんは「お前、いいときに生まれたな。
 山は涼しいし、あの祠のあたりにはヤブ蚊もおらん」
そう言ってたそうだ。で、爺ちゃんは夕方6時ころ、
爺ちゃんの爺ちゃんに連れられ、位牌山に登っていった。
800mの山だから、せいぜい1時間ほどしかかからない。
ただ、登山道はかなり草が繁っていた。山頂の手前、9合目
あたりまでくると、森の中に舞台のように平らになった場所が
あり、ひんやりとして涼しい。谷から風が吹き上がって

くるようだった。爺ちゃんの爺ちゃんは観音開きの扉を開け、
すると中はそれほど汚れてなかった。これは数ヶ月前に
お籠りをした子がいたためだろう。もちろん祠には窓はなく、
夜になれば灯りはない。真っ暗な真の闇になるわけだ。
で、爺ちゃんはその中に一人取り残され、一晩を過ごす。
夜が明けたあたりで迎えがくるんだ。祠は外から閂をかけられ、
自力で出ることはできない。祠の板壁はあちこち隙間があり、
少しの間、残光がさしていたが、やがて何も見えなくなった。
周囲は深い森なので、月明かりも届かないんだな。
爺ちゃんは、ここしばらく言われ続けていたお籠りの
きまりを思い出していた。まずひとつ目は、朝まで

眠らないこと。これは数日前から寝だめをさっせられていたそうだ。
それと、一晩の間に何回か、祠の中を通るものがある。それらに
絶対に触ってはいけない。また、声をかけたりしてもダメ。
だから、爺ちゃんは祠のひと隅に膝を抱えて座った。
あと、最後のきまりがあって、その夜の間に見たもののことは、
誰にも話してはならない。ただし、報告という形で鎮守神社の
宮司には言うということだった。風のない晩で、外は鳥や獣の
声もしない。2時間たち、3時間たち、少し眠くなってきたところで、
最初のが来た。祠の向かって右の壁から出てきたのは、
白い猟犬だったそうだ。まずハッ、ハッという息づかいが聞こえ、
ここらで使われている紀州犬が出てきた。けど、爺ちゃんには

まったく気がついてない様子だったそうだ。これはありえない。犬なら、
人がいるかどうかは臭いでわかるはずなんだが、そこで爺ちゃんは
これは実際にいるもんじゃないと思ったそうだ。あと、真っ暗なんだが、
どういうわけか犬の姿ははっきりと見えた。で、猟犬は息を
弾ませてもう一方の壁に消えた。これで終わりかと思っていると、
その後に、毛皮を着て火縄銃を持った背の低い猟師が出てきた。
さすがにその時代でも、火縄銃を使う猟師なんていない。
爺ちゃんが子どもの頃は兵隊ごっこが大はやりで、爺ちゃんも
旧日本軍の装備はよく知ってた。だから爺ちゃんは、これは昔の
人なんだろうと思ったそうだ。出てきた猟師は、体中に緊張感を
みなぎらせていたが、犬と同じく、爺ちゃんにはまったく

注意を向けず、もう一方の壁の中に消えた。爺ちゃんはほっと
ため息をつき、ただ、お通りは1度だけはないと聞いていたので、
ずっと膝をかかえたまま警戒していたそうだ。
もう眠気はすっかりなくなていたという。で、それからまた
数時間が過ぎ、夜明け近くなった頃に2度めがあった・
同じほうの板壁から、よろよろした足取りの男が出てきたが、
旧日本軍の軍服を着て、右腕がなかった。右腕はたった今、
もぎ取られたようで、ピュッピュと血を吹いていたそうだ。
あと、爺ちゃんはその兵隊の階級章を見て、上等兵とわかった
という。兵隊はガクガクした歩き方で祠の中央付近まで着て、
「日本は負けだあ!」そう一言叫んで、もう一方の壁に消えた。

その後、小一時間ほどで朝になり、爺ちゃんの爺ちゃんが迎えに
来てくれた。朝の光で見ても、犬の足跡や兵隊の血は床に
こぼれてはいなかったそうだ。爺ちゃんの爺ちゃんは無言で
笑い、爺ちゃんは言いつけどおり口を聞かずに麓まで
降りて、そのまま布団に寝かされた。昼過ぎに起こされ、
鎮守神社の宮司の私宅に行って、祠の中で見た2つのものの
話をした。爺ちゃんは、最初の猟師の話では宮司さんは
平然としていたが、日本兵のときは顔がくもったように思った
そうだ。その後、爺ちゃんは炭焼の手伝いをするようになり、
いろいろ教えられて名人と言われるまでになった。
それから、日本は中国に進出し、日華事変、満州事変などが

起き、太平洋戦争に突入した。爺ちゃんは徴兵されたが、
運よく内地勤務になった。けど、爺ちゃんには、この戦争は
負けるんだとわかっていたそうだ。まあ、こんな話なんだよ。
そのとおり日本は負け、終戦後、炭は飛ぶように売れたが、
やがて村の産業は牛の飼育になり、昭和30年前には
子どもが祠にこもることはなくなったという。爺ちゃんは
その後、一度も位牌山には登ってないが、ただ、今でも
その祠はあるということだ。俺もグーグルアースで見てみたが、
たしかにそれらしいものがあったよ。鎮守神社は今でも
あるから、そこでお世話をしてるんだろう。それにしても、断片的に
でも未来が見えるんだとしたら、なんだかもったいない気もする。

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