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今回はこういうお題でいきます。地味な内容になりそうなので
スルーされたほうがいいかもしれません。さて、みなさんは
1981年に亡くなったジャマイカ出身のレゲエミュージシャン、
ボブ・マーリーはお好きでしょうか。

自分は曲によって聞くものと聞かないものがあります。
ライブバージョンの「ノーウーマン ノークライ」などは大好き
ですが、中には理解しずらい曲もあるんですよね。ですから、
全面的なファンというわけではありません。ボブ・マーリーは、
「ラスタファリ運動」に傾倒し、その象徴として活動してきました。

エチオピア皇帝 ハイレ・セラシエ1世
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で、この「ラスタファリ運動」というのが、ひじょうに不可解な
もので、一言では説明しにくいんです。まず宗教であるのは
間違いありません。それと同時に政治運動でもあります。
ただし、誤解してはいけないのは、ジャマイカではラスタファリ運動が
宗教的に主流というわけではなかったことです。

さて、ここで話を変えて、「現人神 あらひとがみ」は
ご存知でしょう。「この世に人間の姿で現れた神」という意味で、
戦前の日本の天皇がそういう存在でしたね。大日本帝国憲法に、
「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるとおりです。

マーカス・ガーベイ
キャプチャ

では、世界にはこういう存在は他にあるものでしょうか。
チベット仏教におけるダライ・ラマがそれに近いかもしれません。
あとは、ローマ教皇が「神の代理人」とされるくらいかな。
で、ラスタファリ運動には、かつて現人神が存在していました。
それはジャマイカとは直接の関係がないエチオピアの初代皇帝、

ハイレ・セラシエ1世なんです。なぜエチオピアの皇帝がジャマイカで
神と考えられるるようになったかは、きわめて複雑な事情があります。
まず、18世紀、エチオピアニズムというがあって、アメリカの
バプテスト教会の黒人説教師の間で、聖書の断片的な記述から、

ハイレ・セラシエとボブ・マーリー
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「エチオピアがすべての黒人のルーツである」という考えが
広まっていました。ここに登場するのが、1887年にジャマイカで
生まれた社会運動家マーカス・ガーベイです。彼はアメリカに渡り、
黒人の地位向上をめざす活動を始めます。それと同時に、アメリカの
黒人がアフリカに帰る「アフリカ回帰運動」を進めていきます。

また彼は、貿易会社ブラック・スター・ライン社を設立し、
事業家としてのスタートをきります。ジャマイカ出身の黒人としては
大変な活躍ですが、社会活動がアメリカ政府ににらまれ、
会社のささいな違反を告発されて投獄、本国へ強制送還となります。
その後、ガーベイはジャマイカで労働者のための政党をつくり、

ラスタの長老
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1927年、ラスタファリ運動が生まれる重要な発言をします。           
それは「アフリカを見よ。黒人の王が戴冠するとき、解放の日は近い」
というもので、その3年後、エチオピアの初代皇帝に即位したのが
ハイレ・セラシエ1世。ラスタファリ運動では、ハイレ・セラシエを
唯一神ヤハウェの現人神とみなし、ジャー(Jah)と呼びます。

またマーカス・ガーベイは、キリスト教における洗者ヨハネのような
預言者と とらえられます。もちろん、上記したようにハイレ・セラシエは
ジャマイカとは何の関係もなく、即位した当時は、遠いカリブ海の国で
神とみなされているとは思いもよりませんでした。ちなみに、
ハイレ・セラシエの即位前の称号が「ラス・タファリ(タファリ侯)」

帝政時代のエチオピア国旗 この3色と中央の「ユダのライオン」

がラスタのシンボルとなった


それがラスタファリ運動の名になっているわけです。不思議な話ですよね。
その後、ハイレ・セラシエはエチオピアに独裁政権を敷きますが、
だんだんに、ジャマイカで自分が神とあがめられていることを知るように
なります。また、アフリカ回帰運動の存在も知り、ジャマイカから
積極的に移民を受け入れ、国の近代化に貢献してくれると期待しました。

ですが、ジャマイカから来た人々は働かず、マリファナばかり吸っていて
納税もしない(笑)。1966年、ハイレ・セラシエはジャマイカを訪問。
神が訪れることを知ったラスタファリアン数万人が空港に押しかけ、
麻薬を吸い、太鼓を叩いて踊り、セラシエは飛行機から降りることが
できなかったんです。(ラスタ指導者のおかげで、なんとか降りることは

ジャマイカで大歓迎を受けるセラシエ ラスタファリ運動の絶頂期
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できましたが、歓迎パーティは中止)このときジャマイカ移民の処遇に
困っていたセラシエは、ラスタ指導者に「ジャマイカ社会を解放するまでは
エチオピアへの移住を控えるように」という私信を送ります。これは神の
言葉なので、「ザイオン(アフリカ)回帰より バビロン(ジャマイカ)解放」
という新しいスローガンがラスタファリ運動に定着してきます。

1974年、エチオピアでクーデターが起き、セラシエは宮殿内で
陸軍により逮捕・廃位され、拘禁中の翌年に暗殺されます。ジャマイカで
ラスタファリアンは、「お前たちの神は死んだぞ」とバカにされますが、
これを受けてボブ・マーリーが、「Jah Live(ジャーは生きている)」

(ジャー=ハイレ・セラシエ)という曲を出します。

そのマーリーも1981年、悪性メラノーマの

「ジャー リブ」
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脳転移により死去。これで宗教としてのラスタファリ運動は終わったと
考えていいでしょう。マーリーは死の直前、エチオピア正教会の
洗礼を受け、洗礼名ベラーネ・セラシエとなります。現在もラスタは
存在しますが、それはマリファナをよしとし、ドレッドヘアや
菜食主義などの特徴を持つ文化、ライフスタイルに変わりました。

さてさて、ということで、ジャマイカで奇妙な宗教が生まれ、そして
終わるまでの経緯を見てきました。音楽としてのレゲエはもちろん
現在も盛んで、レゲエは宗教歌ではないとして、ラスタファリ運動と
レゲエ文化を切り離す試みがジャマイカでは行われています。
では、今回はこのへんで。

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