今晩は。じゃあ話を始めさせてもらいます。僕、小学校の教員をしてるんです。
はい、音楽をのぞいたすべての教科を教えてますけど、
大学で専攻したのは社会で、歴史が専門なんです。
ですから、趣味は地方史の研究です。ジジ臭いって言われることもありますけど、
これがねえ、けっこう面白いんです。例えば、地元にあるお稲荷さんは
いつごろできたかとか、この地域にいた戦国武将は誰で、
どんな合戦をしたのかとか、調べ始めると興味はつきないです。
研究の進め方は、まず図書館に行くことですね。
そこで、江戸時代以前の古文書を見せてもらいます。貸出不可のものです。
もちろん、変体仮名で書いてあるものが多いですが、
それは大学で勉強してだいたいは読めます。

あとは、先人が書いた地方史の本を読むことですね。これも図書館専門です。
いや、そういう本って、目の玉が飛び出るほど高価いし、
僕の給料で買えるとしても、東京の古書店から取り寄せになってしまいます。
ですから、週末はほとんど図書館通いですね。
それならほとんどお金はかからないし、人からもいい趣味って言われます。
それで、3週間前の日曜日のことです。その日も市立図書館に行って、
郷土史本がまとまってるコーナーから、1冊を選んで閲覧室で読んでたんです。
あ、本の題名は『烏円奇譚集』という変わったもので、そのとき初めて
読み出したんです。いや、古文書じゃなく大正時代に書かれたものでしたね。
しばらく読み進めていったんですが、どうもよく意味がつかめませんでした。
おかしいなあと思って、後書きを見ようとしたとき、

はらっと、机の下に紙が一枚落ちたんです。しおりかなと思って拾い上げたら、
新しい和紙に、変体仮名が筆字で書いてたので読んでみました。
これ、昔の文章だったんで、現代語に直して話しますけど、

「一、〇〇神社の鳥居を一度だけ逆側から通り抜けろ 二、△△家の

板塀に沿って西に向かえ 三、☓☓公園の枡形遊具の一番下をくぐれ

そうすれば大いなる幸運が訪れるであろう」・・・こんな内容だったんです。
変だと思いますよね。変体仮名で古文で書いてるけど、☓☓公園はできてから、
まだ10年くらいしかたってないんです。で、ちょっとわくわくしました。

1から3の場所は、道はやや遠回りになりますけど、アパートに帰る途中に

あるんです。あ、はい、図書館へは自転車で来てたんですよ。

だから、書いてるとおりに行ってみようと思ったんです。

いやまあ、それで幸運が舞い込むとかは信じてませんでしたけど。
その本は意味がわからなかったので書架に返して、夕方の4時ころまで
別の本を読んでました。その帰りです。紙は本の中に戻しましたけど、
書いてたことは頭の中に入ってました。まず、〇〇神社だったよな、
「鳥居を一度だけ逆側から通る」ってどういうことだろう?
その神社は、ちょっと高い丘の上にあるんで、坂の下に自転車を停め、
石段を上っていきました。そしたら鳥居があったんで、わざとくぐらず、
横の藪を通って向こう側に出て、それから石段を下りて鳥居をくぐりました。

これで、1回だけ逆から通ったことになりますよね。それで、鳥居から

出たときに、何だか奇妙な感じがしたんです。うーん、うまく言葉では

表現できないんですが、あたりの空気が湿っぽく感じたっていうか・・・


で、また自転車に乗って、△△家のほうへ向かいました。△△家は、この地方で
江戸時代から続く造り酒屋なんです。敷地も大きくて、四方に黒い板塀が
たてまわしてある。西に向かうには、△△家の裏側を通らなくちゃならないので、
塀に沿って自転車でゆっくり走っていったんです。そしたら、塀の中から大きな
松の木の枝が道路に張り出してるところがあり、頭を下げてそれをくぐったら、

また、何とも言いようのない感じがしたんですよ。一瞬、体温が

高くなったみたいな感覚です。でも、熱っぽいというのとはまた違う。

自転車がふらついたので、しばらく立ち止まってたら治りました。

それで、最後の場所、☓☓公園に向かったんです。はい、かなりの広さのある

公園で、僕が勤めてる小学校の児童もよく遊んでる場所です。

ですが、日曜の夕方ということで、中には人影はありませんでしたね。

鉄柵の外に自転車を置いて、中に入ってみました。遊具はブランコや滑り台、
いろいろありましたけど、たしかあの紙には、「枡形遊具の一番下をくぐれ」

って書いてまして。これもすぐにわかりました。枡形ってのは四角いって

ことでしょう。だったら、ちょうどジャングルジムがあったんですよ。ですけど、

一番下は、とうていくぐれそうにはなかったです。枠の高さがなくて、
小学校以下の幼児じゃないと体が入りそうもなかったんです。
物好きもここまでだなって思いました。まあでも、ためにし頭を低くして、
一番下の枠から向こうをのぞいてみたんです。そしたら、
どういうことか今だにわかりませんけど、そこ、するっとくぐれちゃったんです。
僕は体も大きいほうだし、ありえないんですけど。で、そっから、
夢の中にいるというか、自分が自分でないというか、そんな状態になりました。

とにかく、何かに呼ばれてる気がしたんです。公園の外に出てどんどん走りました。
はい、自転車は公園に置いたまま、自分の足で、

とっとこ、とっとこ駆けてたんです。いや、すごく体が軽い

気がしました。それと、これも今にして思えばですが、
視界がなんか変だったんです。すごく低い、まるではいはいしてる赤ちゃんが
町の中を見てる感じで。それから、人の家の庭や、用水路のフタの上、
草むらなんかを通り抜けて、大きなお屋敷の庭みたいなところに出ました。
一度も来たことのない場所です。で、そこに猫がたくさん集まってたんですよ。
そうですね、20匹くらいはいました。毛並みや汚れ方からみて、
どれもノラ猫なんだと思います。そいつらがいっせいに、お屋敷の縁側に向かって、
にゃーんって鳴いてたんです。で、ややあって、
縁側の雨戸が開き、一人のおばあさんが出てきたんですよ。

たぶん70歳は過ぎてたと思いますが、若い人が着るようなドレス・・・
夜会服って言うんでしょうか、それを着てまして、あと、顔はすごい厚化粧で、

つけまつげなんかもしてたと思います。それと、金髪のかつら。鼻の横に

大きな黒いほくろもありましたね。とにかく異様としか言いようがないんです。

そのおばあさんが、「さあ、お前たち、今日もよく来たな」そう言って、
持っていたボウルから、小魚、たぶんイワシの稚魚かなんかを、
猫たちに向かって撒きはじめて。はい、猫はいっせいに群がって食べてましたけど、

それ見てて、ああ、僕もほしいなって思ったんです。で、おばあさんは

餌を全部撒いてしまうと、「お前たちの中から、今回も一人もらうよ」

優しい声でそう言って、ちょうど僕の隣りにいた白猫を抱き上げ、
家に中に入っていったんです。そこで、気がついたっていうか・・・
 

はい、僕、あの☓☓公園のジャングルジムの前に、寝そべるようにして

倒れてたんです。はっとして起き上がりましたけど、口の中が

べちゃべちゃして生臭くて。吐いてしまいました。そしたら、あの家で

おばあさんが撒いてた小さい魚、その尾っぽが出てきたんです・・・・

公園の水飲み場で口をゆすいで、それから自転車に乗って部屋へ戻りました。

何事が起きたのかよくわからなかったです。まあ、今でもわからないんですが。
それで、ほら、本にはさまってた紙には、「大いなる幸運が訪れるであろう」
ってあったんですけど、特にそれらしいことはなかったですね。
いやまあ、もしかってこともあるから、宝くじを買ってみようとは考えてます。
それで、先週の土曜日ですね。また市立図書館に行きました。
この間見た、『烏円奇譚集』を探しましたが、書架には見つかりませんでした。

そのときも、夕方まで地方史関係の本を読んでまして、
そろそろ帰ろうと思って、本を返しにいったんです。そしたら、
書棚のところにすごく背の高い女の人がいたんです。そうですね、
179cmある僕よりまだ高い。その人は古風なドレスを着てて、長い金髪でした。
そのときに、前にあの屋敷で見たおばあさんを思い出したんです。けど、
おばあさんは背が小さく太ってたのに、その人はすらっとした体型でした。
僕が立ち止まっていると、その人はふり返ってこっちを見たんですが、
青い目の外国人で、肌が抜けるように白かったです。あと、
あのおばあさんと同じ場所、鼻の横に黒いほくろがあったんです。
その人は、僕に目を向けると軽く会釈をし、「この間は母がお世話になりました。

ぜひともまた、うちにお寄りください」って言ったんですよ。