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今回はこういうお題でいきます。直近に座頭市のことを書いたので
その流れですね。さて、江戸時代の犯罪事情はどのようなものだったか。
まとまった資料はなく、裁判記録などの断片的なものが多いんですが、
人口に比例して多かっただろうと考えられます。

江戸の人口、これにも諸説あって論争になってるんですよね。
まあ中間的な説で、最盛期には武家寺社旅人が100万人、町人が
50万人の計150万といったところでしょうか。そのわりには
凶悪犯罪は少なかったという見方もできるかもしれません。
あと、犯罪より、火事による死者がひじょうに多かったんです。

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で、この江戸の町人社会の治安を担当するのが南北の町奉行所ですが、
人口50万に対して役人の数があまりにも少ない。両奉行所合わせて
与力は50人、その配下の同心が200人です。しかも、北と南の
奉行所で一月交代の月番制でした。月番でない奉行所も、訴訟などの
審理、処理を行っていて、休んでいるわけではなかったんですが。

「必殺シリーズ」に出てくる中村主水は同心で、「八丁堀」と
呼ばれていたのは、そこに官舎があったからですね。与力と同心は
はっきりと身分の違いがあり、与力は寄騎とも書くとおり、
騎馬が許されました。仕事は行政や司法業務。その配下が同心で、
雑務や市中の見回りを担当。検死や拷問などの汚れ仕事あり。

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これらの与力・同心は事実上ほぼ世襲であったため、数を増やすのが
難しかったんですが、幕末の混乱期には多少増やされています。
でも、この人数ではとてもやっていけませんよね。そこで、
同心が私的に雇っていたのが岡っ引きです。岡っ引きは、
目明かし、御用聞きなどとも言いますね。

岡っ引きの人数はだいたい500人ほどと考えられ、さらにその手下の
下っ引きを入れても1000人くらいだったでしょうか。もちろん
幕府公認の役職ではなく、お役目料も同心の私費から支払われて
いたんです。ですから、岡っ引きだけを職業とするのは難しい。
テレビの『銭形平次』は、原作が野村胡堂が書いた『銭形平次捕物控』。

南町同心だった中村主水、岡っ引きは使ってなかったようですね
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トレードマークの投げ銭は原作から登場し、重さ3.5gの
寛永通宝を悪人の急所に投げつけます。だいたい現代の5円玉くらい
ですね。ちなみに、このアイデアを、胡堂は『水滸伝』の投石が
得意な登場人物、没羽箭の張清を参考にしたと書いています。
(没羽箭は弓矢いらず、といった意味)

ただ、テレビドラマですから脚色があります。岡っ引きはつねに
十手を持っているわけではなく、実際は事件に加わるたびに
奉行所に十手を取りに行っていたようです。また、十手を携帯する
際も、見えるように帯に差すのではなく、懐などに隠し持つよう
指導されていました。

十手 岡っ引きのものは房はついていません これで刀を持った相手を取り押さえるには特殊な技が必要
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もともと岡っ引きは「放免」と言って、一度犯罪を犯して許された
者がなる場合が多かったんです。そのほうが犯罪者仲間の動静に
詳しく、密告や内偵がしやすいからです。上記したような事情から、
岡っ引きだけで食っていくのは難しく、その地域の顔役、いわゆる
「親分」が二足のわらじで務めていることが多かったんですね。

また、家人に髪結いや小間物屋、飲食業をやらせている場合も多かった。    
で、こういう実情だと、岡っ引きの中には奉行所の威勢を借りて
威張るものや、犯罪者を見逃して金を取るもの。商家からワイロを
巻き上げるものなどがいて、弊害も大きく、幕府はたびたび
「目明かし禁止令」を出していますが、守られませんでした。

南町奉行所のセット
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さて、では、この少ない人数と怪しげな岡っ引きで、どうやって
江戸時代の治安が守られていたかというと、町人は何かの被害に
遭っても、まず奉行所には訴えません。面倒なことになるからです。
江戸時代の職業の一つとして、「行き倒れ屋」(笑)というのがあり、
大きな商家などの前で倒れて死ぬ真似をする。

そういった場合、商家では何がしかの金を与えて済ませる。
それと、江戸時代の刑罰が厳罰主義だったことも大きいですね。
ですから、町方はできるだけ奉行所には知らせず、示談で済ませて
しまいます。特に罰が厳しかったのが姦通関係。

密通罪で生き晒しされる男女 この後死罪
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江戸幕府の定めた「御定書百箇条」には「密通いたし候妻、死罪」
とあり、「密通の男(不倫相手)」も死刑でした。武士の場合を
そのまま町人にあてはめたんでしょうが、あまりに厳しすぎますよね。
そこで、発覚した場合はほとんどが示談で済まされ、金額の相場も
だいたい決まっていたようです。

この他に、交通事故というのもあり、例えば大八車で人を引っ掛けて
殺した場合は死罪。風にあおられてぶつかった事故でも遠投。でも、
それだと被害者には1銭も入らないので、示談になったりしています。
また、10両盗むと首が飛ぶとも言われますが、被害者が犯人の
極刑を望まず、被害を少なく報告するなどのこともあったようです。

自身番 火の見櫓つき
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さてさて、ということで、江戸時代の犯罪事情を見てきましたが、
テレビの『銭形平次』や『半七捕物帳』のように、岡っ引きが颯爽と
活躍するシーンは多くはなかったでしょう。ただ、江戸幕府自体は、
町方に過度に介入することを避けており、町々には「自身番」が
置かれました。そこに勤めたのは地主・大家に雇われた町人で、

暴れている者などがいれば刺股などを持って駆けつけて取り押さえ、
捕縛して自身番に留め置き、奉行所に連絡して同心に引き渡す。
ですから、そういうときには、テレビで見られるようなシーンが
あったかもしれません。軽犯罪であれば町内で解決する自助努力が
求められていたわけです。では、今回はこのへんで。

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