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「植瓜の術」を行う藤山新太郎氏

今回はこういうお題でいきます。日本における幻術の話で、
カテゴリは妖怪談義かな。幻術は、言葉どおり他人に幻を見せる
術ですが、中でもこの「植瓜(しょっか)の術」と
「呑牛(どんぎゅう)の術」は、その代表的なものです。
歴史上、いろいろな人物がこれをやったとされます。

どっちから説明していきましょう。「植瓜の術」のほうかな。
これは日本には中国から伝わってきましたが、おおもとはインド魔術
のようです。中国の古典とほぼ同じ話が、平安時代の『今昔物語』に
出てきます。あと、西洋の童話「ジャックと豆の木」とも
関係がありそうです。

夏の暑い日、ある老人が瓜売りに、馬に積んだ瓜を一つくれとせがみ、
断られると、「では、自分で出そう」そう言って、落ちていた種を
地面に植え、するとすぐに種から芽が出て双葉が生えてきた。
みなが不思議に思っていると、瞬く間に葉が茂り、
花が咲き、瓜がたくさん実をつけた。

「ジャックと豆の木」
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老人は、なった瓜をその場の人々に配り、自分も食べて去っていった。
やがて瓜売りが自分の馬を見ると、積んでいた瓜は一つもなかった・・・
この内容はご存知の方も多いと思います。話の教訓として、
瓜売りたちの吝嗇を責めているわけですが、よく考えれば、
この老人のやったことは窃盗か詐欺ですよね。

もとになっているのは、インド魔術の「マンゴーの木」という手品で、
タネも仕掛けもあるものです。現代でも日本の手妻師(和式の手品師)
藤山新太郎氏が再現されています。この内容があまりに不可思議
だったため、昔の人にとっては、まさに幻を見せられたとしか
思えなかったんでしょう。

「散楽」
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日本における幻術の歴史は、奈良時代に唐より伝来した「散楽」
が始まりとされることが多く、最初は中国の宮廷で行われていたん
でしょうが、大道芸として民衆にも広まり、芸が磨かれて
いったようです。では、タネや仕掛けのない幻術はないのか?

日本では、幻術は忍者のエピソードとして語られることが多いんです。
「植瓜の術」 「呑牛の術」は、どちらも飛び加藤という忍者が
行ったとされます。本名は加藤段蔵、16世紀の忍者で
鳶(とび)加藤とも呼ばれました。ただし、講談や時代小説で
有名になったエピソードが、どこまで本当かはわかりません。

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「飛び」という形容がついていますので、さぞや体術に優れて
いたんでしょう。忍者は忍者の家系に生まれ、幼少時から鍛えられると
いうことですから、もしかしたら、高跳びや幅跳び、短・長距離走で
現在のオリンピック級ほどの力があったかもしれません。

この段蔵の有名な逸話として、こんなのがあります。
段蔵は全国を回って仕官先を探していましたが、上杉謙信に仕えるべく、
「呑牛(どんぎゅう)の術」を公道にて披露した。
城下の葉の生い繁る大木の日陰に一匹の大きな黒牛をつなぎ、
自分の口を指さして、集まってきた者に者に言った。

「この大牛をこの口で飲み込んで見せよう」黒牛の尻に段蔵が取りつくと、
どんどんと牛は飲み込まれていき、ついには段蔵の腹の中に収まって
しまった。観衆達は驚き騒ぎましたが、木の上で見ていた男が
一人いて、「それはまやかしだ、段蔵は布をかぶって牛の背に
乗ってるだけだ」と叫ぶと、ここで群衆ははっと気がついた。

武者修行者 夢想権之助、背中に「天下一」の文字が見えます
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腹を立てたであろう段蔵は、しかし笑って、近くにあった夕顔の葉を
扇で仰ぐと、その夕顔の茎がみるみる伸びて花を咲かせ実をつけた。
段蔵が脇差しを出して上にある花をスパリと切ると、
木の上にいた男の首が、血を吹き出しながら落ちてきたんですね。
観衆は怖れ、みな逃げ去ってしまった・・・

この逸話が実際にあったことかはわかりませんが、これは仕官の
ためのデモンストレーションのようです。戦国時代から江戸初期にかけて、
武者修行の武芸者が、羽毛の服を着たり、背中に日本一の旗を挿したり、
奇抜な格好をして自分は強いと公言し、仕官先を求めていました。
漫画の『バガボンド』に出てくるとおりです。

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高名な宮本武蔵などもその一人ですが、忍者もまた同じだったようです。
とにかく俺の腕を買ってくれ、ということですね。
デモンストレーションですから当然、周到な準備をしていたことでしょう。
では、幻術は物理的なタネなしでできるんでしょうか。
自分は、一人に対してならできる可能性があると思いますが、

大勢の集団に対しては不可能と考えます。上の段蔵の話でも、日陰で
黒い布を牛にかぶせたとあり、タネがあるんですよね。これらの術を、
集団催眠と見る向きもあるようですが、現代の催眠術でも、
何のタネもなしに、複数人に同じ幻覚を見せるのは不可能でしょう。
(自分は催眠術を勉強して、けっこうできます)

「塩の長司」
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さてさて、日本の妖怪に「塩の長司」と呼ばれるものがあります。
馬飼いの長者だった長司は、死んだ馬の肉を食べていたが、あるとき
どうしても馬肉が食べたくなり、まだ生きている馬を殺して食べてしまう。
すると、毎日同じ時間にその馬の亡霊が現れ、長司の口から腹の中に
入って散々に暴れまわり、長司は苦しんで死んでしまう。

ですがこれ、上記したように、「呑牛(馬)の術」は手品の見世物
だったわけです。この見世物が評判になり、仏教の殺生戒が加えられて、
後づけで長司の話ができ、妖怪化していった可能性があるんじゃ
ないかと自分はみています。では、今回はこのへんで。

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