武藤ともうします。よろしくお願いします。私たち家族はずっと東京に住んで
いたんですけれど、主人が定年退職したのを機に地方に引っ越すことに
決めたんです。移ったのは宮城県です。子どもたちもみな独立して、私たち
夫婦だけです。それに、ここならなにか東京に出てくる用事があっても、
新幹線で2時間でこられるでしょう。それと、こう決めたのはもう一つ
理由があるんです。主人の父親が亡くなって、宮城県の古い住宅を
相続したんです。場所は仙台の近くですが、仙台市内ではありません。最初は
売ろうと考えたんですが、この少子化で買い手がつかないんです。それで、
二束三文の値段で手放すのも馬鹿らしいし、かといって固定資産税を払い
続けるのも馬鹿らしい。どうせだったら、東京の郊外にある住宅を売って
老後資金にし、宮城県に移り住もうと考えたんですよ。

ただ、引っ越しするにあたって心配なことが2つありました。一つは、
東京の知り合いと別れて、新しい土地でなじめるだろうかということ。
もう一つは、相続した家は50年も前に建てられたもので、高額の改築費用が
かかるんじゃないかということです。でも、1つ目の心配はそれほどの
こともなかったんです。郡部と言っても仙台まではすぐだし、居住地の近くには
スーパーも大きな病院もあったからです。これなら老化が進んでもそんなに
困らないだろうって思いました。それと知り合いが減るのも、悪いことばかりでは
なかったんです。つきあいの費用がかからないし、わずらわしいこともありません。
それに向こうには、主人のほうの親戚も何家族かいましたし。で、2つ目の
心配もたいしたことはなかったんです。つい最近まで主人の父が住んでいたので、
それほど大きく改築するところもないし、じつは主人の趣味が日曜大工で、
ちょっとした改修程度なら、自分で直すことができたんです。

で、引っ越しをして、まずやったのは大掃除です。かなり部屋数が多かったので、
これは大変でした。あとは階段に手すりをつけたりですが、主人がネット通販で
部材を注文して自作してくれたんです。ええ、当面使うには十分なで出来栄え

でした。家にある仏壇は買ったばかりの立派なものでしたが、神棚のほうは
家を建てたときの50年前のもので、ロウソクの火で黒く煤けてたんです。
それで、神棚は新調することにしましたが、これが思っていたよりも費用が
かかったんです。まず古い神棚ですが、ただ廃棄すればいいというわけじゃなくて、
仏壇の魂抜きにあたるお祓いをしてもらわなくてはならなかったんです。それと、

新しい神棚は買ったものではなくて、主人が白木の木材で自作したんですが、
やっぱり最初に飾るときはお祓いをしなくてはいけなかったんです。
はい、できた神棚を近くの氏神神社に持ち込んで、奉斎してもらわないと

いけないということでした。そのときの初穂料が3万円もかかりました。

これは失敗したなと思いましたよ。市販の神棚はすでにお祓い済みのものが

多いので、こんなことをしなくてもよかったんです。で、氏神神社は神明社で、

これは天照大神を祀るものだということで、飾る場所も変えたんです。
神社の神主さんの勧めで、天照大神は太陽の神様だから、ベランダからの朝日が
あたるように東向きに設置したんです。それと、ロウソクも電気式でタイマーで
点灯するものに変えました。神棚ができあがると、古い家ですが、家の中が
なんだか明るくなったように感じました。私はあまり信心深いほうでは
なかったんですが、毎日朝、お水を替えてお祈りをすることは続けていたんです。
それから、10年以上そんな生活を続け、私たちは75歳を越えて、主人と
一緒に温泉旅行などもしまして、老後生活を楽しませてもらいましたが、

主人も私もだいぶ弱ってきていました。それでもなんとか日常生活は
できていたんですが、私が脊椎すべり症になってしまって、手術のために
長期入院しなくてはならなくなったんです。それで、自分のことは、
手術前後は子どもたちに来てもらうことにしましたが、
心配なのは主人です。手術を含めて入院生活は2ヶ月の予定でしたので、
その間、一人暮らしができるのか不安でした。介護保険には
入っておりましたので、ヘルパーさんを頼んで面倒をみてもらうことに
したんです。それから、私の手術は無事に終わり、リハビリも順調
でした。主人とは毎日のように電話をしたんですが、なんとかヘルパーさんの
助けを借りて生活はできているようでした。その話の中で、主人が
私のかわりに毎日神棚のお水を替えているという話も出たんです。

これには驚きました。私がお世話していても、ふだんは何の関心もないよう
だったので、まったく信仰心などないのかと思っていたんです。
主人は「なに、あの神棚はもともと私が造ったものだから、世話を
するのは当然だよ。そのくらいのことならまだできる。朝起きたときに
すぐやればいいんだから忘れることもない」と言ってました。で、私のほうは

特に合併症もなく、後遺症も残ることはなく、予定より10日くらい
早く退院することができたんです。子どもに送られて懐かしい家に帰ると、
主人が杖をついて門のところまで出て迎えてくれたんです。家の中はきれいに

整頓されており、ヘルパーさんがよくやってくれたんだな、と思いました。

それで、地域の派遣センターへ、代金の支払いがてらヘルパーさんへの

お礼を言いに出かけたんです。そのときはタクシーを使いました。

そこで驚くようなことを聞かされたんです。ここで言っていいのかどうか
わかりませんが、秘密は守ってくださるという話だったので・・・
そこで出てきたのは40代の女性のヘルパーさんだったんですが、
こんな話だったんですよ。主人は歳のせいで、お金の扱いが
ルーズで、ヘルパーさんに銀行のキャッシュカードを渡して、
コンビニでお金をおろしてきてください、などと言ったそうです。
ヘルパーさんは、そういったことは禁止されているからと言ったんですが、
主人は残高を覚えている様子ではなかったので、一瞬変な気持ちに
なりかけたんだそうです。少しならお金をごまかしてもわからないかもと。
そしたらです。その日は曇りだったんですが、あの神棚から急に
金色の光が差し込んできて、ヘルパーさんのほうを照らしたんだそうです。

神棚には御神鏡はありますが、今まで光を反射したのなんて見たことが
なかったし、電気ロウソクの光がそんなふうになるとは考えられません。
で、その金色の光の中に、ひらひらした服装をした女性の姿が
見えたんだそうです。ヘルパーさんもこれには驚き、思わず膝をついて、
立ち上がったときには、そういった心はすっかりなくなっていたという
ことでした。そのときは、コンビニまではすぐでしたので、
主人の外用の歩行器まで介助して連れていき、ずっと見守りした
状態で自分でお金を降ろしてもらったということだったんです。
金色の光の中に女の人って・・・・まさか神様が出てこられたんだろうか。
そんなことありえないと思いました。自分の目で見たんでなければ、
とうてい信じられることではないですよね・・・

それからまた2年がたち、主人はもう歩くことはできなくなっていました。
いつも座椅子のままでこたつに入ってテレビをぼんやり見ている
だけだったんです。私も、トイレは洋式でしたが、一度座り込むと
かなり力を入れないと立ち上がれないようになっていたんです。
それで、冬もやっと終わりかけたある日のことです。私が9時ころに
なんとか起きて、隣の布団に目をやると主人の姿はありませんでした。
トイレに起きたのかと思いながら居間に入っていくと、あの神棚が
金色に光っていたんです。え? と自分の目を疑い、もう一度見直しても
やっぱりその状態のままでした。そのときに、前にヘルパーさんが話した
ことを思い出したんです。呆然として金色に光る神棚を見つめていると、
頭の中に女の人の優しそうな声が聞こえてきたんです。

・・・これまでよく世話をしてくれた礼を言うぞ。
残念ながらお前の主人の命は終わった。だがしかし、それは自然なことなのだ。
この神棚を造ったのはお前の主人だったし、お前は毎日水をあげるなど
かいがいしくよく世話をした。驚くことはない。悲しむこともない。
すべては自然のとおり、当たり前のことなのだから・・・
そして光はかき消すようになくなったんです。
今のは・・・どういうこと? できるだけ急いでトイレに向かいました。
戸が閉まっておりましたが、鍵はかかってませんでした。
それで、声をかけても返事がなかったので開けると、
トイレの前の壁にもたれかかるようにして、主人が目を閉じていたんです。
すぐに息をしていないことがわかりました・・・これで終わります。