こんばんは、秦野ともうします。よろしくお願いします。
今から20年ちょっと前、私が中学校1年生だったときのことです。
当時、私は美術部に入ってました。うちの中学は、部活動全員制
というのをやってたんです。でも、女子だと運動が苦手の子も
多いですよね。かといって、科学部や吹奏楽もちょっとという場合、
入れるのは美術部しかなかったんです。顧問は女の美術の先生
でしたけど、指導は熱心ではありませんでした。まあ、
あれだけの人数がいれば指導なんて無理だったでしょうけど。
ですから、週に3回、4時から5時半まで、美術室と技術室を開け
最後にもう一度来て生徒を追い出し、鍵をかけるだけでした。
そんなだから、みんな好き好き勝手にイラストを描いてました。

その中で、私といつもいっしょにいたのがA、B、C。
私をいれて4人のグループだったんです。Bと私が同じクラスで、
A、Cは別のクラスでしたが、4人とも同じ小学校だったんです。
みんな、どっちかといえばクラスでは地味めな存在でしたね。
美術室には3年生がいて、私たちは技術室のすみっこの机で、
先生がいないのをいいことに、その日に出た宿題の教えっこなんかも
やってたんです。それで、夏休み前、7月のことだったと思います。
Bが「うちに帰りたくないな」と言い出して。私はその事情が
わかってました。Bの両親はすでに離婚が決まってて、
今はいろんなことの始末のために家にいるけど、目も合わせないし
口も聞かないってBから聞いてたんです。

それと、Bは母親に引き取られる予定だったんですが、それが嫌で、
お父さんのほうがよかったみたいなんです。そしたら、Cが
「じゃ、みんなで少しコックリさんやらない」って。
はい、コックリさんは学校ではまったく流行ってませんでした。
ですから、禁止ということさえ言われてなかったんです。
ただ、私とAは、Cの家に遊びに行ったとき、何回かやったことが
あったんです。Cはそういうオカルトっぽいことが好きで、
占いやお守りなどにも詳しかったんです。そうですね・・・
初めてCの家でやったときは、みんなで10円玉に指をかけるじゃ
ないですか。あれって10円玉がコックリさんの力で動くんじゃなく、
以心伝心というか、自分たちで動かしてるんだと思いました。

そういうの、あんまり信じてなかったんです。Cはバッグの中から
コックリさんの紙を出しました。家に帰りたくないBが、
「何それ、やろうやろう」ってすごく乗り気で。
でも、さすがにその場では他の子がいて無理だろうと思ったんです。
それでCが、「栄光室でやろう」って。栄光室というのは、
運動部とかのトロフィーとかありますよね。その飾りきれない分を
置いておく部屋で、美術室と同じ棟にあって、いつも鍵はかかって
ませんでした。今思えば、もう少子化が始まってて、教室があまって
たんですね。私たちはバッグは技術室の机の下に置いたまま、
そっと抜け出して栄光室に入りました。顧問が様子を見に来るとは
思えないし、怒られることはないだろうと。で、初めてのBに

だいたいのやり方を説明し、Bが「じゃ、私が10円玉出す」と言って
サイフから出して、コックリさんが始まったんです。4人がそれぞれ、
その10円玉に指をかけ、Cがわざと恐い声を出して、
「コックリさん、コックリさん、どうぞおいでください」と言い、
私とAが「おいでになりましたら、「はい」にお進みください」声を
合わせました。でも、10円玉は動かなかったんです。あれ、と思いました。
前にやったときはすぐ動いたのに、Bが入ってるせいだろうか。
でも、何度か語りかけているうち、ぎこちなく「はい」に動いたんです。
それから、一人ずつコックリさんに質問をしました。
内容は他愛ないもので、「通知表に5はありますか」とか、
「サッカー部の〇〇君に好きな人はいますか」そんな感じです。

1回目は、「はい・いいえ」で答えられる質問がいいんです。
で、ふた回りめに入り、また一人ひとり、もっと複雑な質問をしました。
10円玉が「あいうえお」の字の中を動かなければならないような。
それでも前にCの家でやったときは、それなりに意味のある答えが
返ってきたんですが、その日はどうやってもダメだったんです。
動かなかったり、「とて」とか、意味があるとは思えない答えだったり。
その最後がBの質問でした。Bは少し考えてましたが、「私は、
お父さんとお母さんのどっちに引き取られるんですか」と言ったんです。
そしたらやはり、10円玉は動かなかったんですが、なんか指先が
熱いような感じがしたんです。でも、離すことはしませんでした。
いつまでも動かない10円玉、私たち4人は顔を見合わせてました。

数秒間くらいそうしてましたが、Aだったかな、「熱い」と叫んで
指を離したんです。はい、指先が沸騰したヤカンをさわってる
感じで、ガマンできなかったんです。私たちもほぼ同時に指を離すと、
それと同時に、壁際のロッカーに整頓されて置かれていた
トロフィーや盾が、カチンカチンと音を立てて床に落ち始めました。
それから、窓の暗幕が、窓を開けてもいないのにブワーッと広がって・・・
私たちは「キャーッ!」と声を上げ、われ先に部屋を逃げ出したんです。
美術室の近くまで戻ったら、3年生の部長が顔を出して、
「あんたらうるさいから、真面目にやらないんなら帰りな」と
怒られてしまったんです。栄光室をそのままにしてはおけない、
コックリさんの用紙も広げたままだし、見つかったら先生方に怒られる、

親を呼ばれるかもしれない。そう考えて、みながひとかたまりになって
おそるおそる戻ったんです。そしたら、たしかに下に落ちたはずの
トロフィー類は、一個も倒れてはおらず、カーテンももとに
戻ってたんです。「??」今考えても不思議です。間違いなく見たのに。
それでコックリさんの紙ですが、字の間に焦げ茶色のか細い字で何かが
書いてあったんです。「も っ て か え れ」というふうに読めました。
それと10円玉、ちょうど「はい・いいえ」の中間、鳥居のとこに
あったんです。コックリさんはお帰りになったのか。
そのとき、Cだったかな「あ!」と言ったんです。私たちはいつも
10円玉の表側、つまり建物がついているほうを上にして
やってたのが、裏の数字の10のほうになってたんです。

みんなで「もってかえれ」の意味を考えましたが、その用紙と
10円玉くらいしか思いつきませんでした。Cは、「いや、気味悪い」
と言って、コックリさんの紙を丸めて、栄光室のゴミ箱に投げ入れ
ましたが、Bはゆっくりした動作で自分の10円玉をサイフに
しまったんです。どういうわけか、そのときの様子が記憶に
焼きついたように残ってるんですね。ここからのことはあまり
話したくないんですが、そういうわけにもいかないですね。
夏休み中に殺人事件が起きたんです。Bの父親が母親の首を絞めて
殺してしまったんです。動機は、当時の私にはよくわかりませんでしたが、
後になって、新聞記事などを調べたりしました。そのことは関係ないと
思うのでここではお話しませんが、複雑な事情があったようです。

結局、Bは母親には引き取られず、父親のほうは裁判があって、殺人罪で
拘置所から刑務所へと行きました。Bは、母方の祖父母のもとに引き取られる
ことになったんですが、夏休み後、1回も学校に出てくることはなく、
そのまま転校してしまったんです。それから、手紙なども一度も
もらってはいませんし、私たちのほうは新しい住所を教えてもらえ
ませんでした。ここからは聞いた話ですが、Bは転校先の
中学卒業と同時に祖父母の家を飛び出し、どうやら東京に行った
みたいなんです。その後、どうしているかはわかりません。
ときどき考えてみるんです。Bがあの10円玉を持って帰ったのは
よかったのだろうか、悪かったのだろうか。もし捨ててしまっていたら
どうなっていたんだろう、って。これで終わります。