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今回はこういうお題でいきます。またオカルト論です。
さて、みなさんは、哲人プラトンが著作に記したアトランティス、
あるいは近代になって話が出てきた、ムー大陸はご存知でしょう。
では、レムリア大陸というのはどうでしょうか。

これは、ムー大陸と同じく近代に出された話なんですが、
ムー大陸が、ジェームズ・チャーチワードという人物の
でっちあげではないかと疑われているのに対し、
純粋に学問上から出発したものなんです。

レムリア大陸がどこにあったか、これには諸説あるんですが、
だいたいアフリカ東部のマダガスカル島から、アラビア海を経て、
スマトラ島にいたるまでの、インド洋中央部にあったと説明
されることが多いですね。この名前をつけたのは、

フィリップ・L・スクレーター


イギリスの動物学者、フィリップ・L・スクレーターです。
19世紀なかば、彼はレムール(キツネザル)の生息分布を
調査していて、そこに特異性があるのに気がつきました。
レムールが、マダガスカルから南インド、スマトラにまで分布
しているのに、すぐ隣といえるアフリカ大陸にいないのはおかしい。

そこで、現在のインドのある南に、ひとつながりの大きな
大陸があったが、海に沈んでしまったという仮説を立てたんです。
ただ、スクレーターはあくまで動物学者であり、地質学等には
くわしくなかったので、いつの時代に起きたことかは
言えませんでした。

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で、この仮説がどうなったかというと、当然のように黙殺
されます。まあそうですよね。大陸は浮き島ではありませんので、
そう簡単に沈んだりするはずはない。ただ、ごく少数ながら
この仮説を支持する学者もいました。ですが、その後の調査で、

レムールの化石がヨーロッパや北米大陸で発見されるようになり、
スクレーターが調査した分布は、たまたま生き残っている
地域だろうと考えられました。そして1910年代、ドイツの
気象学者、アルフレッド・‎ヴェーゲナーが大陸移動説を発表。
これについては、過去記事に詳しく書きましたが、

やはり世界の学者からはオカルトとして排撃されます。
ヴェーゲナーが唱えた古代の超大陸はパンゲアと呼ばれ
ますが、彼の時代の科学の水準では、大陸が移動する
巨大な力を説明することができませんでした。また、過去の
レムリアの事例からも、否定する勢力が大きかった。



大陸移動説が認められるようになったのは、ヴェーゲナーの死後
30年もたった1960年前後、地殻を動かすマントル対流の
力が発見されたからです。現在プレート・テクトニクスと
呼ばれる理論ですね。レムリアについても、現在では
大陸移動の一環として説明されることが多いです。

で、このレムリア大陸説が唱えられたのが、上記した
ように19世紀なかば。この意味がおわかりでしょうか。
そう、欧米では心霊主義が隆盛を迎えていた時代です。
心霊主義の旗手たちは、さっそくレムリア大陸を
自説に取り入れていきます。



例えば、神智学協会創設者の1人であるブラヴァツキー夫人は、
1888年の著書『シークレット・ドクトリン』で、レムリア
を取り上げ、大陸が存在した位置はインド洋ではなく太平洋に
あると発表し、神秘学者の間では高い支持を得ました。

また、レムリアは人類発祥の地でもあり、各地にその遺跡が  
残っている・・・おわかりのように、ムー大陸の原型みたいな
話なんです。実際、チャーチワードは、ムー大陸の起源を
レムリア大陸であるとしています。

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ただ、問題は、人類の発祥はせいぜい400万年前なのに対し、
大陸移動は数億年レベルの昔に起きていることです。
まったく時代が合いません。で、ここでトンデモない人物が
登場します。ドイツ人のラマ教系仏教学者のR・E・ディクホフ。

彼の名前はオカルトに詳しい方ならご存知でしょう。地底の都
アガルタについての著作を書いて、日本でも紹介されています。
この人物が、レムリアについても、火星人が太古に地球に飛来して
現在の人類の原型をつくり、後にやってきた金星人と

インド古代核戦争の証拠?
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地球の支配権を巡ってレムリアを舞台に核戦争を起こした。

そのためにレムリアは現在あるような地形に変わった・・・

この状況についてはインドの古代叙事詩『マハーバーラタ』に
克明に記されている・・・これもどこかで聞いたことのある
オカルトですよね。インド古代の核戦争。

さてさて、ということで、レムリア大陸についてみてきました。
このようにオカルトというものは、一つのアイデアがあれば、
後代の人がさまざまな尾ひれをつけ加えて、どんどん
荒唐無稽になっていくケースが多いんです。では、このへんで。